切り替わる



 ――世界が切り替わる。


 白塗りの石壁と煌びやかな内装に囲まれた部屋にいる。目の前には豪勢な食事や華美な装飾品、上質な布地や肉付きの良い動物がぎっしりと並べられていた。

 そしてその向こうには、大勢の人間が頭を垂れている。

 彼らの「願い」を聞くと、彼らは諸手を挙げて喜んだ。彼らの為に指を示し、彼らの為に杖を掲げ、彼らの為に言葉を紡ぐ。そうすれば、目の前に積み上がる山はどんどん高くなった。

 

『カミサマ』と。

 そう崇められた。

 無邪気な笑顔を守るために、この身は全てを捧げた。力も、命も、心も、全て。

 けれども、誰も、この身の名を呼ばない。

 それが、彼女の人としての死。死なない少女が、己の名を失った日。


 ――切り替わる。


 誰かが力を欲し、また誰かも力を欲した。

 積み上がった品々も、頭を垂れた大人たちも、全てが血と泥の海に沈んだ。


 この身体だけが綺麗なまま。

『バケモノ』と。

 そう恐れられた。

 愛したつもりだった。けれども返ってきたものは石礫と痛罵だけで。


 それが、彼女の心の死。名を失った神が、人の心を捨てた日。


 ――切り替わる。


 空腹に苛まれていた。

 明日はどうなるだろう。どこかの路地に転がりながら、意味もないことを考えた。

 隣に転がった別の塊は、もう随分前から動かなくなって久しい。

 お腹が空いていた。もう限界だと思って目を閉じる。意識がなくなって、あの転がった塊の仲間になれるのだと思って。


 けれども目は開いた。少し経てばまた、別の塊が隣に転がっていた。

 目を閉じて、また目は開いて、お腹だけが空いて。明日はどうなるのかと考えて。


 この身体にはいつまで経っても終わりが来ない。

 それが、彼女が時間を殺した日。心をなくし、己の時を止めた日。


――切り替わる。


「あなたは愛されるべき存在なのよ」

それが、彼女の心を取り戻そうとした女の言葉。

「君が自由に生きられるように、僕たちができることをしてあげたいんだ」

それが、彼女の自由を取り戻そうとした男の言葉。


 ――切り替わる。


 いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。

 あかい。いたい。ぐるぐる。いたい。くるしい

 いたい。

 目の前が真っ赤に染まっていた。

 彼女の身体が、ただ獣のように叫ぶ。

 それが、彼女が痛みを失い、時を止めた日。

 

 ――切り替わる。


 日は蔭り、雨が地を打ち、雷が轟く。魔法が爆ぜ、天は割け、海は唸り、地が揺れ、竜の翼風が万物を削り、生物は怒り狂った。

 無辜の民は死に、魔法使いも死に、愚かな為政者は逃げ、逃げた先で死んだ。

 その天変地異の喧騒の中心に居る。

 杖を掲げて、立っていた。

 誰もがその時、化け物だった。

 けれども一番の化け物は、アリシアだった。


 日は蔭り、雨が地を打ち、雷が轟く。魔法が爆ぜ、天は割け、海は唸り、地が揺れ、竜の翼風が万物を削り、生物は怒り狂った。

 無辜の民は死に、魔法使いも死に、愚かな為政者は逃げ、逃げた先で死んだ。

 争いは復讐を呼び、復讐は争いを産んだ。

 争いは終わらなかった。

 その天変地異の喧騒の中心に彼女は居た。

 敵と仲間、大勢の骸の中で。杖を手に、ただひとり。

 結局、みんな死んでしまって。


 それが、彼女が、夢と愛を失った日。


 ――切り替わる。


 暗闇の中でただ一人うずくまっていた。

 目を開いているのか、閉じているのか。それすらも分からない所へ沈んでゆく。


 ――切り替わる。

 

『君の力を貸してくれないかい』

 何故と問いかけた。

『僕たち魔法使いと人間。今と未来、全てを守るために』


 ――切り替わる。


『僕たちの願いのために』

『我々、梟のために』

 止り木を見つけた不死の鳥は、その日から、「梟」となって――。




 それでも。

 それでも――アリシアは、彼女は終わらなかった。彼女のことを、ある人は人形と称し、ある人は化け物と呼び、ある人は生ける屍だと言った。


 死と再生の繰り返し。終わりなき日々。

 それは彼女の運命であり、そして呪いのようなものだった。

 ただの少女だったあの日。神と崇められたあの日。稀代の悪女だったあの日。化け物と恐れられたあの日。路地裏の住人であったあの日。巨万の富を得た大富豪であった日。本当の獣になったあの日。軍を率いて革命を起こしていたあの日。『梟』として、駆け回ったあの日――。


 もはや千年以上の時を生きた。

 隣にいたはずの家族も、頭を垂れていた大人たちも、権力を争う為政者も、石を投げた民衆も、飢えた住人達も、仲間も、魔法使いも――愛した人も。結局は、いずれ彼女を置いていく。


 

 ――もう、終わらせたかった。だから、


「ごめんなさい」


悲しげな声が、微かに耳元を揺らした。

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