The Water

鯵坂もっちょ

The Water

19:38。ホースト宇宙開発センターの地下駐車場に、一台の白いワゴンが滑り込んでくるのが映る。

周りは騒然としている。音声はないが、ワゴンが明らかに「警備員の制止を振り切って」侵入してきたことが映像から察せられる。

19:39。警備員二人がワゴンに近づく。車内をうかがう素振りを見せた後、何かに驚き、弾けるようにしてその場から逃げる。

以降3分間、映像に動きはない。

19:42。突如、ワゴンが爆発炎上する。

19:48。映像が白い煙で満たされる。


  ■


「連中、計画を止めるつもりはないらしい。テロには屈しない、だとさ」

イゴールのもたらした情報は、セームを落胆させた。

「蒙昧どもが……」

惑星ジェロムの第3衛星レコ。この青白い星への2度目の探査船打ち上げ計画が大詰めを迎えようとしていた。

ありとあらゆる交渉手段は尽くしたのだ。もはや実力行使しか、この計画を止める手段はない。セームはそう考えるようになっていた。

「どうするよ? セーム。『卑劣な行為であり、言語道断』。ッハハ! もう少し気の利いたこと言えんもんかね」

「どうもこうもない。奴らが計画を中止するまで攻撃の手を緩めるな」

イゴールも、セーム自身も、そしてこのテロ集団の誰にとっても、これが分の悪い戦いであることはわかっていたが、ここまでこじれてしまった以上、他によりよい手段があるとも思えなかった。

セームが頭をかきむしる。栗色の癖毛がいつにも増して暴れまわっていた。この地下室を満たすむせ返るほどの湿気は、外が激しい雨であることを雄弁に伝えていた。


レコに注目が集まったのは10年前だ。

観測技術の進化は、レコほど遠く離れた星に対しても詳細な表面の観測を可能にした。

レコは雲に覆われていた。しかもさまざまな分析からそれが水の雲であることもわかっていた。

それだけでも地球外生命の徴候というには十分なのだが、それがどうやらただの雲ではないようなのだ。

その水の雲は、ある一点から逃げるように全体が動いたり、逆にある一点に集まったりする。あるいは、その厚さを周期的に変化させる。

それこそ、粘菌のように。大勢の蟻のように。すなわち、生物のように。


どんなに詳細な解析を与えても、それが水の雲であることは間違いないようであった。では、それに生物のような動きを与えているのは一体何なのか。

実は細かな生物の集合で、地球からの解像度ではそれが水の粒に見えている説。

何か「水を操る」ようなテクノロジーが存在する説。

アカデミアは議論百出となった。


そこで取られたのが、「実際に行って採取して帰ってくる」方法だ。

技術者たちは5年の歳月をかけ、この方法を実現した。

そして持ち帰った水の分析を担当したのが、当時ホースト宇宙開発センター研究主任だったセームだった。


セームたちのチームはその水のことを定冠詞をつけて<水>と呼んでいた。

<水>は紛れもなくH2Oだった。何千万kmも離れていた頃とは違う、目の前で分析しても水そのものだったのだ。

しかし、その挙動は水ではなかった。つまり<水>は、火からは逃げるし地球の水には近づいた。「自らの体積を増やそう」という強い傾きがあるように思われた。

そして地球の水と一体化すると、今度はそれ全体が生物のような挙動をし始めた。

セームは血の気が引いていた。これは由々しきことだ。

この<水>は、この研究所から一歩も出してはならない。もし、この<水>を一滴でも地球の海に垂らせばどうなるか。

レコの<水>は、一体いつからこの性質を獲得したのか。


レコの雲の下は、一面の水に覆われているのだ。


セームたちは<水>を密閉し、厳重な管理のもとで地下深くにしまい込んだ。

ホースト宇宙開発センターが2度目のレコ探査機の打ち上げを計画し始めた、との情報がセームにまで届くと、当然セームは猛反対した。

レコから持ち帰った<水>の危険性を、上層部のお歴々は全く理解していない。

この計画はこれ以上進めるべきではない。

さまざまに交渉を続けたが、お偉方の頭が想像以上に固いことを学ぶと、セームは辞表を提出した。5年前のことだ。


  ■


打ち上げ当日の午後からは雨の予報だった。もともと乾燥地帯を選んで建設されたホースト宇宙開発センターだったが、ここ5年は大雨も全く珍しくなくなっていた。

「はは、恵みの雨だぜ」イゴールが軽口を叩くのを、セームは黙って聞いていた。

この雨では当然ロケットの打ち上げなどできまい。セームたちのテロ集団が直接手を下すことなく、打ち上げは中止されるだろう。

「雨が我々の味方をしてくれているんだ。“心あるべき初時雨”だな」

セームが引用符のジェスチャーをしながら言う。

「なんだそりゃ?」

「ハイクだよ。この雨で打ち上げはできない。絶対に地球に<水>は持ち込ませない、という我々の心をこの雲は理解しているんだ。実にワビサビだ」

「は〜ん」というわかったのかわからないのか曖昧な返事でイゴールは答えた。

セームたちの足元では、この雨によって形成された水たまりがその面積を広げ続けていた。


(了)

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