第99話

二週間が過ぎた。

 王都はルシャクによって完全に占領されてしまった。

 だが、ルシャクは王位に就かなかった。

 裏で操りやすい幼い王族を選んだのだ。

 そして、自身は全ての実権を握ってから公爵の座に就いた。

 自ら王位に就かない理由は簡単だ。

 まだカシャクの腹心たちが大勢残っているため諫言する者がいたのだろう。

 王都を占領しただけで、エストレン全域の領地を屈服させたわけではない。

 もちろん、王都の有力貴族、つまり逃亡を図った公爵たちは捕えてきて人質にした。

 こうなれば公爵の指揮下にいる貴族たちはそのまま人質にならざるを得なくなる。

 そこにエストレン王朝の名前を存続させてエストレン王家の人物を王位に就かせれば、いずれにせよエストレン王国だ。

 この状況で下手に反発すれば自分が逆賊になってしまう仕組みだった。

 王位に就かないことでこれだけ多くの実利を得られるなら、ルシャクとしても受け入れるしかなかったはずだ。

 こんな状況でエストレンを完全に倒す方法?

 とりあえず中央政府さえ倒せばいい。

 地方貴族は本気でルシャクに承服したわけではない。周囲に火種が残っている状態でルシャクが掌握した中央政府さえ消えれば、その権力を握るためにあちこちの領地で反乱が起こるはずだ。

 一元化されず各地方が戦うことになる混乱状態で王の存在までなければ国は一つになれない。

 今はルシャクが王都を掌握してなんとか一国を標榜している状態だが、彼がいなくなればすぐにエストレンは四方に分裂することになる。

 そうなればむしろ周辺諸国がエストレンを放っておくはずがなかった。

 身内で争っている隙に各個撃破して徐々にエストレン領地の服属を狙えるこのチャンスを逃すはずがないから。

 おそらく、周辺国全体が飛びつくだろう。

 そうなれば互いにより多くの領地占領を巡って争いを起こし、大陸東南部全体がエイントリアンに関心が向かない状況となる。

 後方の安全が図られれば俺は安心してナルヤと南ルナンを相手できる。

 逃亡中に殺された王の首がいまだに吊る下がった王都の城門が眺められる丘。

 幸いにもセレナは二週間でドフレの死からある程度解放されていた。

 彼女はこの土地に精通しているためとても役立った。


「これからどうされるおつもりで?」

「ルシャクを倒します」

「ルシャク伯爵を……?」

「今となっては公爵です」


 俺が答えると彼女は急に跪いた。


「そんなことが本当に可能でしょうか? ルシャクを倒せるなら……父の敵を討てるなら、私は死んでも思い残すことはありません!」

「殿下の復讐のためにやつを倒すわけではありません。エイントリアンのためです」

「それでも、復讐できるなら私は何でもします!」

「殿下、わかりました。まずはお立ちください。これは土下座するようなことではありません」


 俺が彼女を起こそうとすると、セレナは考え込むような素振りを見せては何かを決心したように口を開いた。


「エルヒン様、殿下とお呼びになるのはおやめください。陛下はお亡くなりになり、私は王宮を出た逃亡者ですから、もう王妃でも何でもありません。私は、夫どころか父親すら救うことのできなかった罪人に過ぎませんので……」


 実はそれを望んでいた。

 とりあえず助けは必要だし能力のある人材ならいつだって歓迎だ。


「殿下が一つ決心してくださるなら、そうします」

「決心? 私は……何でもしますよ。あなたに従います」


 微笑みながらそう言うセレナの頬にはえくぼができていた。


「エイントリアンの一員となって働いてください。何でもすると仰ったので、その覚悟で生きてもらいます」

「私、私が……エイントリアンの一員に……? ですが、私は何の才能もありません。どうして私なんかに……!」


 私なんか? そこまで言うことはない。

 人材という意味では基本魅力値が高いため内戦に使う切り札としては十分だ。

 魅力度は別途表示されない秘められた能力値だが、その魅力度が高いと徴兵や税の徴収をする際に民心が下がらない。それに開発や農業においても効果がある。

 そんな人材が一人でも多くいれば国に相当なプラス効果が生まれる。

 今のエイントリアンの人手不足は深刻な状態にあった。

 カシャクが剣を握った時、その前に立ちはだかったあの気概なら信用できると思ってもいいだろう。


「自分で言うことではありませんが……私は才能ではなく顔で王妃となりました。そして、父の望む政策を実行できるよう手助けをしただけで、私自身の力で何かを成し遂げたことはありません」

「そうでしょうか? 今のお話の中にあったそれもまた才能だと思いますが」


 俺の言葉にセレナは呆然とした顔で言葉を続けることができなかった。

 それから数秒後。


「そ、その……才能なんてものはよくわかりませんが……エイントリアンの一員かどうかに関係なくエルヒン様に従います。私の夢は世界を飛び回って自由に生きることでした。そして、今この瞬間すでに夢を叶えたのです。こうしてエルヒン様と世界を見渡していますから。だから私は今とても気が楽です。私は自由だって叫びたいほどに!」

「それなら……これから部下として扱います。いいですね?」

「はい、もちろんです!」


 彼女は大きくうなずいた。少し大げさなくらいの身振りで。


「それほどの覚悟なら、早速の命令だ」


 俺がそう言うと、セレナは姿勢を正し緊張した顔で俺を見上げた。束の間の沈黙。


「叫べ」


 沈黙の果てにそう命令すると彼女は驚いた顔で俺を見た。


「今ここにいるのは俺だけだ。父親の埋葬場所もよく見える上に王宮も見渡せる最高の場所じゃないか。ここで全てを出し切るといい」

「……そうですね」


 彼女は父親の死を前に泣かなかった。込み上げる感情を必死に抑え込んでいた。

 その悲しみという感情を堪え続けたのだ。

 最初は死を受け入れられていないようにも見えた。

 その後、墓碑に抱きついて死を認めてからもタイミングを逃してか、それとも復讐できなかったからか、ひたすら耐える姿を何度も見せた。

 だが、いつまでもそうしてばかりはいられない。

 俺の言葉にうなずいた彼女は大きく辺りを見渡す。

 それから声を張り上げて叫んだ。この世で一番愛した父親の名前を何度も呼び続けた果てに結局泣き出してしまった。

 一滴の涙が感情の土手を崩し彼女を号泣させた。

 だが、俺はそれを止めるつもりはなかった。

 今は好きなだけ泣いた方がいい。


 ***


 かなり煩わしいが。

 兵力を使わずにエストレンを倒すには、とにかく時間を投資するしかなかった。

 結局、周辺を爆発させるのが傀儡政権を崩壊させる最も手近な方法。

 そこに大義名分があればなおさらだ。

 幸いにも俺にはそれがあった。

 エストレンを長年統治してきた王の遺志を継ぐという口実を主張できる王妃という存在。

 俺の狙い通りルシャクは暴走していた。やはり彼の人間性は最悪のものだった。

 二週間しか経たないうちに王都周辺の民を弾圧し始めたのだ。その弾圧水位は実に高かった。

 王都付近の数十の村が次々と消えていった。

 傀儡政権であるほど大義に弱く、それに反応するのは民心だ。民心に背く国が正常に機能するはずがない。

 民心の数値が[10]を下回れば暴徒化して民乱が起こる。

 だから民心を[10]以下に落とせば、ゲームの延長戦ともいえるこの世界でも必ず民乱が起きるはず。

 散発的に起こる民乱を操作できれば、ルシャクを追い出して無政府状態にすることも十分に可能だった。

 そして、その怒りからなる民心を利用してエストレンの国民を集め、彼らをエイントリアンへ連れて帰れば一石二鳥となる。

 エイントリアンの人口を増やせるチャンスでもあったのだ。

 実際にも本来の目的はこれだった。

 必ず得るべきもの。その中でも重要となる人口。

 現在の人口は105万だ。

 ブリンヒルはかなり広いためまだ余裕があった。

 人口が多いほど金はかかるが、より多くの兵力を育成できる。

 兵力は必須の力だ。

 ナルヤには怪物が溢れかえっている。もはやポイントに頼ることもできないため対等に戦える兵力が必要だった。

 俺はエストレンの国民をブリジトに移住させるつもりだ。どのみちここは戦場となる。

 傀儡政権を倒すという大義を共にし、これから戦場となる地域の暗澹とした現実を説明した後で安定的な生活を保障すると説得するのが俺の計画だ。

 ある意味かなり利己的だが仕方がない。

 民心と人口。

 全てはこのゲームを攻略するための一環であり、俺の命を守るための手段だから。

 正直なところ、自分の命が一番大事だ。

 まあ、それは仕方のない事実。

 俺はこの世界の人間ではないし、何らかの正義や大義があるわけでもないから。

 ただこのゲームを攻略してみせるといった意志があるだけ。

 いずれにせよ民乱が起きるよう民心を操作するのは簡単だ。

 本来、エストレン王都の民心は70とそれなりに安定的だった。

 平凡な王のおかげで貴族たちは権力争いをする以外に大した政策も行っていないため、図らずも70という数値を維持していたのだ。

 しかし、ルシャクが政権を握ってから二週間で民心は30まで下がってしまった。

 そこからあと20下げるだけでいい。

 今はまだ数値上で民乱が起こるほどの動揺はなかった。あちこちで不満の声が上がる程度。

 それを煽って民乱を操作し強力な力を与えるためにすべきこと。

 国民を糾合し傀儡政権を倒した後、俺の民になるよう説得するには内部に潜入する必要があった。

 軍隊がない今、民意を利用してこの傀儡政権を倒すわけだから。

 さらに俺が先頭に立つことでその民乱を失敗ではなく成功に導く自信があった。

 一人でルシャクを始末できないわけではない。少なくとも30分間は俺を邪魔する者はいないから。

 だが、それでは民心が伴わない。

 この国の民が俺に従う理由がなくなる。

 他国の民を俺に従わせるにはそれだけの理由が必要だ。

 人口こそが力となる。

 人口の多さが民心へと繋がるのだ。

 だから俺はこの付近で一番大きな村に潜入するつもりだった。



-------------------------------------------------------------------------------------------

10月29日に3巻が発売されました。書店やインターネットなどで購入いただけるので多くの関心をお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る