第95話


「直接エイントリアンの使臣にお会いされますか? 同盟は国事ですが会うだけなら問題ないでしょう。私からエイントリアンの話を聞くよりもずっと詳しい話を聞けると思いますが、いかがでしょう?」

「そ、そんな、本当ですか?! では、陛下にもお話してみます。陛下と一緒に会えば何か変わるかもしれません。同盟について考えが変わるなんてことも……」


 ドフレは明るく笑うセレナを見て内心笑ってしまった。

 鳥かごの中に閉じ込められてしまった娘だ。

 いつもやるせない気持ちでいたが、こんなにも喜ぶ娘の姿を見たドフレは何としても会わせてあげようと決意した。

 王と共に使臣に会ったところで何も変わらないとは思っていたが、娘が喜ぶなら十分に価値のあることだから。


 ***


 カシャクが剣を振り回した。

 閃く剣刃を見たセレナは目を閉じる。

 そんな彼女は淡々としていた。

 どうせこれが自分の行く末であることはわかっていたが暗鬱だった。

 こんなふうに死ぬのも運命なんだ。そんな思いで全てを諦めたその瞬間。

 異変が起こった。

 カシャクが剣を握ると身をすくめていたエルヒンが吃驚仰天した表情で突然それを打ち返したのだった。

 当然、カシャクと彼の部下たちが驚かないはずもない。

 武器を返納しなければ入ってこられない王宮だが、召喚式アイテムの大通連を所持するエルヒンには全く関係のない話だった。


「貴様、何のまねだ!」


 エルヒンはそのようにして王妃セレナを救い出した。

 とっさにカシャクの部下たちがエルヒンに飛びかかったが相手になるはずもない。

 大通連を使ったエルヒンの武力に敵う存在は少なくともこのエストレンにはいなかった。

 カシャクの部下たちはエルヒンの[攻撃]コマンドにやられて全員地面を転がった。


「後ろに気をつけてください!」


 セレナは驚愕の表情でエルヒンを眺めながら強く叫んだ。

 後ろにはカシャクがいるからだ。

 そう言って王のもとへ駆けつける彼女。王を擁護するのが先だったからだ。

 王は怒りで血圧が上がったのか、顔を赤くして激しく咳き込みながら倒れ込んだ。

 心的衝撃を受けたのだ。一人で起き上がることさえ不可能に見えた。

 セレナはそんな王を支えた。


「陛下、早くここから退避してください」

「っ、そ、そうだな。すぐにここを出よう」


 王はうなずいてセレナの言葉を受け入れた。

 死ぬつもりは全くない王だった。

 エルヒンはそんなセレナと王を前にして言った。


「王妃殿下。その必要はありません。王宮はここです。どこへ行くと仰るのですか!」


 エルヒンは後ろにいるカシャクのことは気にも留めずに言った。


「エイントリアンの使臣よ。ハディンと言ったな。わざと弱いふりをしていたのか?」


 ネルチンを一撃で殺してしまったことにはカシャクも少なからず当惑していた。

 自分でさえネルチンを一撃で倒せる自信はなかったからだ。

 カシャクは全く予想もしていなかった展開に苦虫を嚙み潰したような顔でエルヒンに剣を向けた。

 エルヒンはカシャクと言葉を交わすつもりはなかった。


「知る必要はない。貴様にもここで死んでもらうから」


 始末すべきやつはさっさと片付ける。

 そういった目的からカシャクに向かって大通連を振り回した。カシャクはそんなエルヒンの攻撃を食い止める。

 いや、阻止したように見えたが大通連の連撃は実に速くて鋭かった。

 武力92のカシャクはA級である上にマナまで使えたが大通連を使ったエルヒンの前では子供同然だった。

 すでに結果の決まった戦い。

 あっという間に大通連は円を描くようにゆったりとした余裕のある動きでカシャクの首を斬ってしまった。

 スパッと切断されたカシャクの首は宮中の地面に落ちてころころ転がった。


「お怪我はありませんか?」


 エルヒンはその転がる首から王とセレナに視線を移して尋ねた。

 エストレンの王はそんなエルヒンを眺めながらうなずく。セレナは王を支えて椅子に座らせた。


「エイントリアンの使臣よ、恩に着るぞ!」

「まだ安心できません。死んだ兵士たちの他にも同調した兵士がいるはずです。一日二日で計画された反乱ではないでしょうから」

「なっ、なに! ゲホゲホッ」

「陛下!」


 王は驚きのあまり酷く咳き込んだ。


「ご心配なさらず。私が片付けます」


 エルヒンは冷静にカシャクの首を拾い上げるとそれを持ったまま外へ出て行った。

 彼の予想通り宮中は混乱していた。

 カシャクが宮中の門番として潜り込ませた兵士が門を開け、それと同時に突撃したカシャクの兵士たちが親衛隊と激戦を繰り広げているところだった。

 実はこの反乱は成功に向かっていた。

 ここで王とチェセディンを殺し、カシャク本人があの兵力を率いるなら、数的には親衛隊の方が多いものの結果は明らかだった。

 カシャク率いる反乱軍が瞬く間に親衛隊を片付けて宮殿を掌握しただろう。

 だが、そのカシャクがいない以上は無意味な反乱だった。

 エルヒンは反乱軍の前にカシャクの首を投げつけて叫ぶ。


「反乱の首魁は首を取られた。何をしている。親衛隊の兵士たちよ、首長を失った反軍を処断しろ!」


 反乱軍の兵士たちはカシャクの首を見るなり固まってしまった。

 親衛隊はエルヒンの命令に戸惑いながらもひとまず反乱軍に向かって突進し始めた。

 指揮権がないどころか他国の人間にすぎないエルヒンの勢いに押されて命令に従い動き出したのだ。

 エルヒンはその姿を見ながら内心笑った。

 成功に向かう反乱を失敗させること。

 エイントリアンの建国のためには必ずしも先行しなければならない。

 事実上、同盟を装って王国を訪れたのはこのため。

 その時期も大体はわかっていたから当てるのは難しくなかった。

 もちろん、エルヒートも王と王妃を謁見する場でこんなことが起こるとは予想もしていなかった。

 いや、別途そんな謁見の場が設けられたことさえ意外だった。

 王宮にいる間にクーデターが起こるということだけは知っていて、その時は動くつもりだった。

 まあ、おかげで事は早く片付いた。

 何としてもクーデターを阻止するという結果は変わらなかった。

 王を殺した後にクーデターを阻止しても問題はなかった。

 クーデターの発生を事前に防げばいい話だから。

 エストレンにA級の武将はいてもS級の武将はいない。

 S級は大陸にわずか5人しか存在せず、エストレンはそれに該当しなかった。

 変わった歴史という予想外の展開はあったが、やはり訪れたエストレンには特別変化はなかったのだ。

 それなら敵となるよう存在はいなかった。目的を達成するには特別問題がなかったのだ。

 暗殺のように稚拙なまねをするのではなく、堂々とエイントリアンを戦争に巻き込みかねない人物を殺した。

 それに、その行動はかえって賛辞を受けることになるから全く損はなかった。


 ***


 反乱の知らせを聞いたドフレは息を切らして王宮に駆けつけた。

 どれだけ必死に走ってきたのか見てわかるほどに全身汗まみれだ。

 王は泡を食って失神した状態。それを看病していたセレナが王の寝室から出てきてドフレを迎えた。


「セレナ! 無事か!」


 驚きのあまり殿下と呼ぶのも忘れ入宮する前の娘を呼ぶように叫んではセレナのすぐ目の前まで近づいた。

 むしろセレナは冷静にうなずいた。


「私は大丈夫です」

「いや~驚いたよ。怪我はないか?」

「はい。心配いりません」

「それならいいんだが」


 怪我はないということを確認するとようやく安堵のため息を漏らしてテーブルに座る。それでも舌を巻いていた。


「カシャクが反乱とはな……」

「それには私も驚きました。お父様」


 ドフレの隣に座ったセレナが緊迫の瞬間を話し始める。

 ドフレはセレナの話を聞けば聞くほどに顔色が青ざめていった。

 聞いてみるとセレナは死の淵から生還したも同然だったからだ。


「エイントリアンの使臣でなかったら二度と娘に会えないところだったな……」

「お父様ったら。この通り私は生きているんですから」

「ハハハ」


 ドフレはため息をつくように笑っては首を横に振った。


「でも、よかった。本当によかった……」

「ところで、あの方は一体どんな方ですか? 使臣のことです。ろくに話もしたことないのにこんなことが起こってしまって……私と陛下の命の恩人であるからには……」

「そうか、カシャクを殺したのか」

「はい。そう長くもかかりませんでした。対決する前からすでに勝負は決まっていたと思います」


 セレナはその時の状況を思い浮かべながら落ち着いて説明した。

 そうするほどにドフレは娘の肝の太さを実感した。そんな切迫した瞬間の出来事をすべて覚えているとは。

 普通の人だったら驚いて固まってしまうような状況だった。


「それほどにもすごい人だったのか。エイントリアンの使臣にしては気概がないと思っていたが、そんな展開があったとは。それならもう一度会ってみた方がよさそうだな」

「お父様、あの方とエイントリアンは陛下と私の恩人です」

「それはそうだ。お前が思うにあの人はどうだ。助けてくれたことには関係なく感想を聞きたい」


 ドフレの質問にセレナは考えることもなく即答した。すでに答えは出ていたからだ。


「大きな方でした」

「大きい……だと?」


 思ってもみない答えだった。ドフレは首をかしげた。

 すると、セレナは再びにっこり笑って見せる。


「体格の話ではありませんよ」


 セレナは手を振りながら否定すると真剣な表情に戻って再び口を開いた。


「敵を斬ってそこで終わるのではなく、すぐに次の状況を読んで動かれてました。あっという間に親衛隊を指揮し始めて、親衛隊もあの人に従うしかなかったのです。その結果、情報部の残党は一瞬で制圧されてしまいました」

「そうだったのか……」


 絶賛だった。自分の娘が誰かをこんなにも称賛するのを聞いたことはなかった。


「お父様、国事に干渉するつもりなどありません。そうしてはならない立場でもあります。ですが……少なくとも陛下を救ってくれたエイントリアンの底力は信用できます。彼らと同盟を組めば絶対に損はありません。もう一度貴族たちを説得してください!」

「それは……全力を尽くそう」


 ドフレはうなずいたが他の貴族たちが自分の言葉を聞いてくれるかは未知数だった。

 彼らには何の得もない同盟の話なんかよりも、自分たちが選んだ後継者が次期王になることの方が重要だったからだ。


「それと、ぜひもう一度お目にかかりたいです。聞きたい話もたくさんあるんです、お父様」


 セレナはもう一度憧れの瞳でドフレに頼んだ。

 当然ながら、ドフレ伯爵は自分のせいで犠牲になった娘の頼みを断ることはできなかった。

 そして、王妃宮を出たドフレは王妃としてではなく娘として接していたということに気づくと自分の頬を殴った。


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