第93話
勝つ自信はあるが力をつけるべき時に戦争で国力を浪費したくはない。
だから、この男をあらかじめ始末しておくためにこの地へやってきた。
もちろん、だからこそ正体を隠した。
「そ、その……」
俺はカシャクの気迫に押されたように唖然としながら後ろに下がった。
「っ、同盟を提案するために来ました!」
「同盟と言ったか? 領地がたった一つの独立国家とこのエストレンが同盟だと? 何の得があるってんだ!」
声を張り上げるカシャク。
俺は尻もちをつき、なんとも無様な姿で座り込んでしまった。
「カシャク伯爵、そこまで言うことはない。ルナンの前国王が彼をロゼルンに送ったからルナンを救えなかっただけ。そんな中、ルナンの国民を守り抜いてナルヤを撃退しブリジトに定着したのは見事だ」
だが、こんな姿にも意外にも味方してくれる貴族がいた。
事実そのものではあるが、これほどにも正確に知っているということに少し驚いた。
大まかな噂を聞いただけで大げさだと思う人たちはたくさんいるから。
システムで確認するとドフーレ伯爵という人物だった。
見たところ俺たちに相当好意的な感じだ。
その本心まではわからない。
ゲーム上で有名な人物ではなかったから。
「ですが、自分たちの身を守ることさえままならない状況で、軍事的同盟を結んで我われに協力するだなんて滑稽ではありませんか。むしろ私には、同盟を結んで大陸東南部に安全装置を設けた後、自分たちの発展を図って昔のルナンの地を復活させたい……という意味にしか思えませんが。単にこのエストレンを利用しようというだけです、陛下」
まさに正解だった。同盟を提案した目的はその通りだ。もちろん、本気で同盟を提案しに来たわけではないから完璧に当てたわけではないが。
カシャクの言葉にドフーレ伯爵以外の貴族たちは全員うなずいた。
王もまたそう思ったのか、やれやれと首を横に振ると俺に向かって言った。
「使臣よ、我がエストレンが強力な海軍を持てたのは全て古代王国のおかげだ。ゆえに、エイントリアンの名前を考慮して、もう一度貴族たちと話し合ってみよう。そなたはしばらく下がっていなさい。その間、王宮に滞在できる場所を用意しよう」
そう。
これこそが最初の目的だった。
同盟なんかどうでもいいんだ。
***
カシャク・レチン伯爵。
エストレン王国の若い武将の中で一番権力のある人物だ。
野心を露わにしたことはないが彼には強い意気込みがあった。
エストレン王国を統治するという抱負だ。
現国王は年老いていた。
高齢な上に臆病で戦争に対する欲も全くなかった。現状維持を望むだけ。
そんなことだから貴族たちに振り回され、この素晴らしい時代を無駄に過ごしているのではないか。
今動かなければ淘汰されるだけだと、いくら説得しても王は聞く耳を持たなかった。
後継者争いばかりに精を出す公爵の連中も同じだ。
カシャクは彼らを国を蝕むだけの無能力者だと思っていた。
大陸はますます混乱に陥っていた。こういう時こそ、まともに動かなければ亡国の道に向かうだけだ。
この臆病な王と政治闘争をしている貴族たちでなければ、ロゼルンとブリジトの戦争中に艦隊を出撃させて漁夫の利を狙うことができた。そして今ごろはブリジトの領地の相当部分を占領できていただろう。
それが最初のチャンスだった。
そして、今まさにあのルナンの滅亡で二度目のチャンスが訪れた。
それなのに何もしないとは!
カシャクはもはや我慢ならなかった。10年間計画してきたクーデターを実行に移すほかない、その時が来たのだ。
もうこれ以上先延ばしにはできなかった。それが大陸の動きだ。
最後のチャンス。ナルヤが大軍を失った今が動くべき時!
カシャクには自信があった。自分の野望に強い自信を持つ人物だ。
ナルヤと戦ったエイントリアンだろうが、ナルヤそのものだろうが関係ない。勝てるという自信があったのだ。
「この国を変えてみせる! 王はもう十分生きた。彼を殺し、操り人形となる王を立て、この国を変える! そのために邪魔者はすべて排除しないとな」
カシャクは10年間心の内に秘めていた野心を自分に忠実な右腕の家臣ネルチンの前で口に出した。
「閣下! 準備はできています! 王を守るあの年寄りさえ排除すれば、エストレンは我われのものです!」
ネルチンの言葉にカシャクはうなずいた。
エストレンを守る二人の老人とは、大艦隊の司令官チェセディンと王宮親衛隊の隊長を意味する。
カシャクにとっては幼馴染みでもあるこの二人の存在が一番気に入らなかった。
クーデターの成功のために必ず排除すべき人物だったのである。
「二人の年寄りをまとめて始末する。彼らを片付けたらすぐに王宮を掌握し王を交代させるのだ! すべて迅速に行われなければならない。結局、歴史は勝者のものだ。王を変えれば我われが正義となり、反対派は全員逆賊として記録されるだろう」
「はいっ、閣下!」
「絶対に油断はならない。慎重を期してこそ成功はついてくるものだ」
カシャクはネルチンに格別の注意を促した。カシャクは抜け目のない人物だったから。
だが、自らもそんなふうに確認することで確信できた。
成功しないはずはないと。
計画は完璧だった。
いくら考えても想定外のことなど何一つなかった。
***
ラメル・チェセディン侯爵。
エストレン王国第一艦隊の司令官だった。
事実上、この第一艦隊が健在なため他国はエストレンを見縊ることができなかった。
エストレンは間に海を挟んでいて、その海から流れ込む巨大な川が周囲を取り囲んでいた。
海だけでなく川でも使える海戦術を持つ彼はエストレンにおいてかなり重要な存在だった。
第一艦隊の兵力は海軍だが上陸した瞬間陸軍になる。だから、このチェセディンを放っておけばクーデターで完全無欠の第一艦隊と戦うことになるということでもあった。
隊長を失って混乱に陥った第一艦隊を掌握するのは難しいことではなかった。
あのチェセディンさえいなければいい。
その後を継いで艦隊を掌握する存在まで一人残らず引き入れてあるから。
チェセディンは友人である親衛隊の隊長シャークの引退式を控えて王宮にある親衛隊の兵営へ向かっていた。
カシャクがチェセディンを引き留める。
「侯爵閣下、折り入ってお話しがあります」
「先約がある。後で話そう」
「ナルヤ王国関連の急報です。一緒に陛下に会っていただきたいのです」
「急報だと? ナルヤ王国はあの軍隊を失ったと聞いてるが」
「王が率いていた部隊が残っています。このエストレンに災いが及ぶようなとても重要な諜報です!」
「ほう、それほどにもか」
そこまで言われたらカシャクについて行くしかなかった。いくら兵力を大量に失ったとはいえナルヤはナルヤだ。大陸の最強国を無視できる者はいなかった。
さらに、チェセディンの友人であり親衛隊の隊長でもあるシャークは今日兵営に出勤することすらできなかった。
シャークはすでにカシャクの剣によって命を落としたからだ。
だから、兵営に行かれては困る状況でもあったのだ。
カシャクが兵士たちに向かって叫ぶと、気をつけの姿勢をした数人の副官のうち一人がチェセディン報告した。
「こちらがまさにナルヤに潜りこませておいたスパイです。新しい情報を得るために直接連れてきました!」
その深刻な顔にチェセディンはうなずくしかなかった。
そして結局、カシャクの後に続いた。
カシャクが野心を抱いているとは夢にも思っていなかったから。
「何があったんだ」
「詳しいことは陛下の前で申し上げます」
そう言われてしまっては、それ以上聞くこともできなかった。
王宮に入ると当然の手順で武装を解除された。カシャクはもちろん彼の兵士たち、そしてチェセディンの後ろで物静かに付き添っている腹心も同様だった。
武装を解除してからはカシャクが先頭に立った。エストレン王国における最大の建物と言える壮大な王宮の謁見室が太陽の光を反射した。
金色は太陽の光に照らされるとその華やかさが一層威容を誇る。
先頭に立っていたカシャクは王の寵愛を受ける王妃の宮廷の前で立ち止まった。
80歳を超えた王が新たに迎え入れた王妃の年齢はわずか22歳。
年の差がある王妃に関しては歴史の多い王朝ではよく見られること。
ずいぶん前から男の役目を果たせず子供もできなかった王だが、王妃を寵愛し今も王妃の部屋に滞在していた。
その部屋の前にカシャクが立つと親衛隊の兵士たちが槍で行く手を遮る。
そんな状況でカシャクとチェセディンに気づいた兵士たちは次々に頭を下げた。
しかし、当然ながらも目の前を遮る槍はそのままだった。
「陛下に急遽お伝えすべき諜報がある。道を開けるんだ」
カシャクが槍を睨みながら言うと兵士たちは難色を示した。
話し声が聞こえたのか、すぐに皇宮の侍従長が姿を現す。
「陛下は今誰にも会わないと仰られています」
断固として首を横に振る侍従長にカシャクは眉をひそめた。
「ナルヤ王国に関連することだ。伝えてくれ。敵国が侵略してくるかもしれない」
ナルヤ王国とは国境を接しているわけではないが、それでも最近大陸に出回るナルヤ王国の噂はすごかった。
侍従長の顔が青ざめる。
「っ、それは本当ですか!」
カシャクが強くうなずくと侍従長は慌てて中へ入って行った。
それからしばらくして。
「お入りください」
侍従長は大急ぎで身振り手振りカシャクとチェセディンを案内した。
そんな中、チェセディンに気づかれないよう密かにネルチンに目で合図するカシャク。
ずっと前から狙っていた日だった。
10年も前から計画していた、まさにこの日。
もちろん、カシャクにとってもクーデターは最後の手段だった。だから、ここに至るまで10年もかかったのだ。
今日は夢に見ていた自分の理想を追求するための権力を握る日だった。
カシャクは青空がそんな自分を祝福してくれていると思いながら侍従長の後について行った。
チェセディンもその後に続いた。
王に会えるのは身分の高い貴族だけだ。当然、カシャクの兵士たちもチェセディンの腹心も一緒についてくることはできなかった。
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