第83話
***
「見たか?」
「ああ、見たさ。あちこちで騎兵隊が……ナルヤのやつらを打っ倒してた!」
避難民の間ではいろんな噂が出回り始めた。
一度出回った噂はどんどん誇張されていく。まあ、それが噂の特徴だ。
「みんな逃げ出したけどエイントリアンの領主様だけは戦ってくれたとか」
「たしかにな。王様まで逃げ出したっていうのに!」
王についてはあちこちで罵詈雑言が飛び交っていた。
ただでさえ国民を助けることのなかった王だ。それに最悪の選択をして無様に死んでいったのだから。
ルナンがこんな状況になってしまったという不満の矛先は王に向けられた。
当然、その見返りとしてエルヒンに対するいい噂は次第に膨らんでいく。
「じゃあ、エイントリアンの方へ避難すべきか?」
「その方がいいと思う」
おかげでエルヒンを信じて頼りにしようとするルナンの国民はさらに増えていた。
***
フランは頭をガンガンと打ちつけた。
エルヒンの鉄騎兵隊による襲撃に頭を悩ませていたからだ。
「今度また来たらすぐに追いかけて徹底的に潰します!」
ルカナは憤慨して叫んだ。
「我われにも騎兵隊がいるではありませんか。あいつらめ、攻撃しては隠れやがって……腹が立ってたまりません!」
最も被害の多い第三軍を率いるランプもそう主張した。
もどかしいのは他の武将たちも同じだ。
全軍の武将が憤っていた。
額を打ちつけていたフランが立ち上がって武将たちを落ち着かせる。
「いけません。それは絶対になりません。この怒りを抑えきれず軍を分けるようなまねをすれば、それこそ敵の望むところとなるものです。今はただ耐えるしか……」
それぞれで見れば被害は大したことはない。
しかし、それが連日累積され無視できない被害となりつつあるのも事実だった。
15万だった大軍が進撃しただけで14万に減ってしまったのだ。
すぐに適応したことで兵力への被害そのものはあまりないとはいえ、どこから鉄騎兵が現れるかわからない状況に上は指揮官から下は一介の兵士まで全員が悩まされていた。
普通なら、怒り狂って追撃隊を編成し最後まで追いかけるだろう。その途中でまた別の待ち伏せ攻撃に遭って追撃隊の兵力まで失ってしまうというわけだ。
人の怒りを利用する戦略でもあったが、当然にもフランはそれに耐えた。
「軽挙妄動せずに慎重に動きます。積もり積もった怒りはヴォルテール城に着いてから発散しましょう。どのみち明日にはヴォルテール城に到着します。抑えていた怒りは全部その時にぶつけてください。いいですね?」
「はい、総大将!」
フランの地位は絶対的で尊敬される公爵。だから誰もが彼の言葉にうなずいた。
そして、その翌日。
フランの14万の大軍は怒りを抑え込み慎重に動いたおかげで進軍中に戦列を崩すこともなく、ついにヴォルテール城の前に到着した。
***
ヴォルテール城。
全員が集まった作戦会議で俺は当然のことを宣言した。
「ヴォルテール城を捨てるつもりだ」
ここで踏んばれば自滅の道を歩むことになる。
何もせずに退却するのと敵を揺さぶってから退却するのではその違いは明白だ。
もちろん、民心の話。
それをある程度達成したから残すは後退するのみ。
「それは本当ですか!」
ヴォルテール伯爵は浮かれ顔で答えた。自らもここで戦えば死ぬと思っていたようだ。
「そうなると、我われはどこへ?」
もちろん、すぐに様子を窺いながら別の質問を投げかけてきたが、それは他の人たちにとっても疑問だった。
エイントリアンの家臣を除いた他の人物たちの疑問。
「ナルヤの大軍は14万。そして、俺たちの兵力は約3万だ。他の領地から応援が来るとしても領地の兵力は多くて3000から5000。結局は絶対的に劣勢だ」
事実上、何をしようと自殺同然の状況ではあった。
ルナンの北部とは違ってこっちには地形的な利点がほぼない平地ばかりだから。
あちこちにあるのは利用できない丘レベルの野山ばかりだった。
「エイントリアンに退却する」
結局、向かうべき場所は決まっていた。他の場所に移動するという選択肢はそもそもなかったから。
当然ながらすでに俺の戦略を知っている家臣たちは互いに顔を合わせてうなずいたが、後から合流したエルヒートたちはかなり知りたそうな顔でこっちを見ている。
「では、ついに作戦開始ですか?」
ユセンの質問にうなずくとエルヒートが堪らず言った。
「その作戦とは一体何だ!」
かなり気になっている様子だった。
その部分についてはひとまずエルヒートに説明が必要だった。
とにかくこの作戦が成功すれば、俺はついに領主というタイトルを卒業して自分の国を作り、この大陸に飛び込むことになる。
全てをかけた作戦でもあった。
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