第72話

 *


 鉄は解決した。

 ギブンとユセンがエイントリアンから技術者を連れて行き、鉄の供給ルートを確保したはず。

 状況としては領地の運営も兵力の養成も順調だった。

 そうなると、これからやるべきことは情報収集だ。


 ナルヤ王国の情報。


 これまで俺が勝てたのはゲームで経験した情報があったから。

 だが、ナルヤの再侵略はゲームになかった歴史。

 何の情報もないままナルヤの強軍に挑むのは危険だ。

 ナルヤの王を筆頭に俺が大通連を装備した状態でも敵わないS級の能力者たちだから。

 正確な情報もなくむやみに戦略を練れば本当に命が危ない戦争となる。


 彼を知り己を知れば百戦殆からずという言葉がある。中国の有名な戦略家が残した言葉だ。

 知れば勝つことができる。

 もちろん、それは当然のことながらも難しいこと。


「ナルヤに行ってくる」

「突然どうしたんです?」


 考えを口に出すとユラシアが怪訝な顔で聞き返した。


「情報のためだ。ドロイ商会を利用して調べることがある」


 ユラシアはじっと俺を見つめる。


「そうですか。では、しっかり準備しましょう」


 すると、当然のように言った。つまり、一緒に行くつもりでいるということ。


「だからその……今回は俺ひとりのほうがよさそうだ。君は目立ちすぎるっていうか……潜入という状況に適してない」

「一体、私のどこが目立つと?」


 ユラシアは口を尖らせた。来るなと言われて拗ねた様子。


「君そのもの。君という存在。そのやわらかい金髪と白い肌。そして息をのむ美しさ。目立ちすぎる」

「……」


 ユラシアはその言葉にぽかんとした顔でしばらく俺を見つめる。


「ななな、なんてこと言うんですか! 恥ずかしすぎます! そんなっ……!」


 すると、今更顔を赤くして背を向けてしまった。

 いや、反応が遅すぎないか?


「そのくらい目立つということ。だから、仕方ないがひとりで行ってくる。領地は俺がいなくても回るようにしてあるし。その代わり君に頼みがある」

「頼みですか?」


 ユラシアは恥ずかしそうに手で顔を仰ぎながら聞いた。


「ロゼルンを動かせるか? そのために一度ロゼルンへ行ってきてほしい」


 そう。

 ナルヤに潜入して情報を聞き出すのはいい。

 だが、その情報を利用するためにはロゼルンを動かす必要があった。


「ロゼルンを動かしてほしいと?」

「うん。これから起こる戦争でロゼルンがルナンではなく俺を選ぶとしたら手伝ってほしいことがあるんだ」

「それはもちろんあなたを選びますよ。選択肢があなたとルナンなら決めるのは簡単です」

「そうか」


 即答だった。悩む必要もないという確固たる表情を見せる。


「はい。ルナンは沈没する船ですから。いや、それよりも……」

「それよりも?」

「私はむしろロゼルンよりあなたを選んだのです」

「え? そうだったのか?」

「もう、知らないっ!」


 ユラシアは本当に怒った顔で出て行ってしまったのだった。


 *


 ルナンの王都付近。

 ドロイ商会の要塞。


 要塞を守る兵士たちは奴隷商人の兵士ではなくエイントリアンの兵士に替えられた。

 そして、要塞にはナルヤの支部長たちに顔の利く捕虜を生かしておいた状態。

 命令を伝え聞くだけでほとんど要塞に訪れることのない支部長たちが見るには何の変化もないということ。

 俺は普段着ている貴族の服を脱ぎ捨てゲンセマの服に着替えた。


「ナルヤの王都カシスから今日来るんだろ?」

「はい。予定では今日のはずです」


 王都にいる奴隷商会の支部長。つまり、この状況における重要人物ということ。


「支部長と直接会ったことがないというのも確かだろうな?」

「はい。命がかかってますから嘘はつきません。支部には使いを立てて命令を伝えていました」


 捕虜がたじろぎながらうなずく。

容赦なく死んでいく仲間の姿を見たから陰謀を企みそうにはなかった。

 そんなことをすれば死ぬだけだ。

 ナルヤはルナンのように廃れた国ではない。そのため、ルナンと違って掃討される危険性が高い方だった。

だから、もし支部が掃討された場合に自分の顔がモンタージュのような形で公開されることを嫌って非対面型をとったのだ。

 犯罪組織だから可能なわけであって一般の組織ならありえないこと。

 これではやはり一気に掃討するのは難しい。


「それなら、今から俺がゲンセマだと思え。いいな?」

「わかりました!」


 そのように釘を刺していると待っていた人物が到着した。

 マルタンという人物で能力値はそれほどでもなかった。


「カシスの支部長マルタンと申します! あなたが代表で? こんなにお若いとは……」

「父から受け継いだんだ。何か聞いていたならそれは父のことだろう」

「なるほど。そうでしたか……。ところで、本部の要塞にお呼びになるとは一体何事ですか? これでは商会の理念が守られないのでは?」


 犯罪組織の支部長というだけあって用心深いようだ。


「それだけ重要なことなんです!」


 すると、隣にいた捕虜が口添えをした。


「おや、君か? カシスに何度か伝達に来ていたな?」

「覚えていらしたのですね」


 そのおかげか、マルタンはひとまず疑うことをやめたようにうなずいた。


「それだけ重要な仕事だから規則を破ったのだ」


 俺はそう言って手を叩いた。すると、兵士たちが俺たちの前に金塊を運んできた。

 箱四つ分の金塊。それも一箱でドロイ商会の5年分の売上に匹敵するほどだ。

 箱を開けると金塊がきらめき、マルタンは目を輝かせながら箱に近づいた。

 彼が組織に身を置いたのは金のため。

 目が輝くのも当然のこと。


「これは……」

「今話した重要な依頼の前金だ」

「前金って……これ全部ですか?」

「そうだ。成功すればこの2倍を約束している」

「2倍だなんて、っ、本当ですか?」


 マルタンは信じられないという顔で俺のほうを向いた。この前金だけでも何もかも辞めて王様のように暮らしていくには十分な金だったから。


「これだけの金を……一体どこから……。いや、一体どれだけ危険な仕事なんでしょうか?」


 金額によって危険度は上がる。それは当たり前のこと。


「ナルヤの貴族身分に潜り込んで調べることがある。この金はその情報代だ」

「そんな!」

「君は前金を受け取ってカシスへの潜入を手伝ってくれるだけでいい。あとは俺がやる。依頼人は偉大な人物だ。この仕事が成功すれば我らドロイ商会はマテインに進出できる。これが理念に背くほど重要なことだ。ただ、規則を破ってしまったから君はこの仕事を終えたら他の支部に移動となるだろう。もしくは引退しても構わない。慰労金も含まれてるからな」

「マテインへの進出だなんて!」


 マルタンはもう一度箱を眺めた。そして、ごくりと唾を飲み込む。


「ところで、そうなると……僕の身にも危険が迫る可能性があるのでは?」

「それはない。危険なことは全部俺がやる。君はうまく潜入できるよう手伝ってくれるだけでいい」

「そういうことでしたらやります! 本当にこの金を……!」

「よし。この金はもう君のものだ。俺を潜入させたら要塞に戻ってここから持って帰るがいい。だが、あくまでも潜入が先だ。いいな?」


 マルタンは考え込んだ様子で目玉をぎょろつかせた。

 悪党という観点から見ると、今この場で金の引き渡しがないことを不安に思うだろう。

 闇の組織だから金も貰えず用が済んだら殺されるかもしれないという不安感が残るのは当然のはず。

 何より非対面型の組織だ。忠誠心より金に縛られた組織だから。


「潜入させるだけでいいんですね? そしたら、本当にこの金を貰えるんですね?」

「そういうことだ。君が密告すれば潜入した俺は死ぬ。だから、もちろん金は渡さないとな。それに、逃げる時もカシス支部の力が必要となるのに俺が君に手を出すとでも?」

「……確かに。そうですね。では、任務を終えてからいただきましょう。フフッ」


 マルタンはうなずきながら言った。

 金塊を手にしたら裏切るつもりのようだった。

 あれだけの大金がかかっているわけだから当然起こり得ることだ。

 だが、金塊を手にするまでは密告も逃亡もできないはず。

 マルタンもこの仕事に危険な匂いは感じているはずだが、目の前に置かれた金塊の誘惑は大きいだろう。

 つまり、誘惑の餌に食らいついて当然の存在ということ。


「では、商会のルートを通じてカシスへ向かうとしよう」

「ルトリーは連れて行かないのですか?」

「隠密な計画だ。人員が増えてはならない」

「なるほど。では、カシスではおひとりで動かれるのですか?」

「そういうことだ」


 その言葉が彼に確信を与えたのかマルタンはそっと笑みを浮かべた。

 彼の知るゲンセマは弱い。強いのはルトリーだ。

 ここはまだしもカシスは彼の勢力圏。

 つまり、金を払わず自分を殺すことがあれば部下を動かして密告するという意味でもあった。

 安全装置があるからには受け入れるしかないうまい儲け話だ。

 ルトリーが一緒でない以上、それが可能であることを悟ったのだろう。


 *


 カシスの近くに位置するドロイ商会の支部。

 こっちも要塞で地下には監獄があった。

 人身売買をして奴隷にする人たちを監禁しておく施設だ。


 そのうち売れ残った子どもは暗殺組織に引き渡されて早いうちから高強度の訓練を受ける。

 そこで生き残れば暗殺者となり、耐えられなければ死ぬ。

 もちろん、売れ残った大人は始末される。

 ドロイ商会というのはそんなところだった。


「それで、どうやって潜入させるつもりだ? 何か考えがあって俺を連れてきたんだろ?」


 マルタンは俺の質問にうなずいた。


「もちろんです。ナルヤには十武将という組織があります」

「そうだな。俺が十武将を知らないとでも?」

「実はその十武将の中にお客さんがいるんです。フフッ」


 本当か?


「十武将は大陸でもナルヤだけに存在する組織です」


 マルタンが何を説明しようとしているかは明らかだった。

 ナルヤ十武将。それはナルヤ最強の10人を意味する。

強い存在が現れる度に顔ぶれが変わる。それが十武将だった。

さらに十武将は平民からも選ばれる。つまり、徹底した武力主義なのだ。


 十武将に選ばれた平民は貴族より上に立つ。

 爵位があるわけではないが十武将でいる間は貴族も手を出せない。

 それには王族と大陸十二家出身のバルデスカを除くすべての貴族が含まれる。


 当然ながら貴族の中でも十武将を輩出することは大きな名誉だった。

 建国当初からあったこの十武将はナルヤの神聖なる職責だから。

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