第66話
*
ユセンとギブンは山を越えてようやくベルタクインに到着した。
「領地がこんな僻地にあるなんて」
みすぼらしい姿になったギブンがやれやれと首を振った。距離としてはそれほど遠くないが、山を越えなければ辿り着けないためすごく遠く感じられる場所。
「僻地とはいえ極めて重要な場所だ。ここに……」
ユセンはそこまで言って辺りを見回すと、誰もいないことを確認してから話を続けた。
「鉄があるとすればの話だが」
「それはそうですが、本当にこんな場所に鉄があるんですか? まあ、山が多いしありそうな気も」
「シッ! おい、静かに! 声が大きいぞ!」
ユセンがギブンの頭を小突く。それにギブンは顔をしかめてぼやいた。
「いや、誰もいませんよ! 隊長が言い出したくせに!」
ユセンはギブンに険悪な表情を見せては前方に見える領主城を眺めた。
実質的に領地そのものは村レベル。
だから、領主城も規模が小さかった。
領地の総面積のほとんどが山だから。
ベルタクインの領主は山の領主といっても過言ではないほど。
「とにかく領主城へ向かう」
「はいはい、行きましょう」
そうしてユセンとギブンは領主城まで移動した。そこにはルナン王国の旗が掲げられていた。ルナンの兵士たちがいることを確認したギブンが彼らに近づいて言った。
「やあ、ルナンの兵士さん。ごきげんよう」
「何だね、君たちは」
その生意気な態度に兵士は顔をしかめて答えた。
「このばか!」
ユセンはそんなギブンの頭をまた小突く。
「エイントリアンから来ました。話はついてるかと……」
ユセンがエイントリアンの紋章旗を見せながら丁寧に尋ねると兵士も渋面を解いてうなずいた。
「あっ! エイントリアンからいらした方ですか! 少々お待ちください!」
慌ててどこかへ走って行く兵士。ギブンは満足げに笑って見せた。
「そうそう、そうでなきゃ。クハハハ!」
「まったく頭を抱えるよ。こんなのが部下だなんて」
戦場では命がけで戦える戦友だがいつもは迂闊な発言が問題だ。
ユセンがギブンに小言を浴びせているとすぐに兵士が戻って来た。
その後ろには格式ある鎧を着た男も一緒だった。
百人隊長以上のクラスになると鎧を着ることができた。
領地を占領するために指揮官級が派遣されるのは当然のこと。
ただ、ユセンが驚いたのは男が貴族の鎧を着ていたからだった。
「私はエルヒン閣下の家臣ユセンと申しますが、どなたでしょう?」
戸惑うユセンの質問にフィハトリは頭を掻きながら答えた。
「エルヒン閣下が送ったという人は君か。会えて嬉しいよ。私はブリジト地域におけるルナン軍の総大将フィハトリと申す」
その言葉にユセンは驚いた。フィハトリのことはエルヒンから聞いたことがあった。
ベルタクインにもフィハトリの方から兵士を送ることになっていたのだから。
だが、その本人がここへ来ているとは。
「……失礼ですが、どうして閣下がこちらへ? 部下を送っていただけるとうかがいましたが……」
「エルヒン閣下直々の頼みなのに部下は送れない。私に役目があるという閣下のお言葉は脳裏に刻まれてる。そういえば、閣下がここで何をされようとしているのか気になっていたところだ」
「そ、そうですか」
今度はユセンが困った顔で頭を掻いた。本来、ベルタクインもブリジトの領土。既存のブリジト軍と領主がいる場所をルナンの兵士にあらかじめ占領してもらう必要があった。エイントリアンにそこまでの余裕はなかったから。
そのため、ひとまずベルタクインを占領するための兵士が必要だった。
ユセンは占領後に兵士を帰したら秘密裏に鉄鉱を探すよう命じられていた。
「実は……。エルヒン閣下が必要な数の警備兵を残してあとの兵士は帰らせるようにと。ここは私が守ります。せっかく来ていただいたのですが、命令なのでこれ以上は申し上げられません……」
残念そうな顔でユセンはそう言った。そうするしか方法がなかったからだ。
「まあいい。そう困る必要はない。私はただ閣下のお言葉に最善を尽くしたのみ。ブリジトの王都を占領してから閣下が望まれた唯一の場所だから直接出向いて取りまとめただけだ。領民たちもうまく説得しておいたから閣下の方針に従って運営するといい。必要なだけ警備兵を残して帰るとしよう。私がここへ来ていたことだけ伝えてくれ」
フィハトリは平然とそう答えた。
*
ゲンセマから奪った帳簿を見ると思わず感嘆の声が漏れた。
やっぱりか。
帳簿にはルナンの有力貴族の名前がぎっしりと書かれていた。
さらに、その最上段にはルナンの最高貴族であるローネン公爵の名前まであった。
ローネンもドロイ商会に関連のある人物ということだ。
ただ、惜しくもローネン自ら奴隷商人を利用したわけではなかった。
奴隷商人と取引きしていたのはローネンの息子だった。
「つまり、あの少女もローネン公爵の息子に引き渡そうとしていたんだな?」
「そういうことだ」
「……ふざけやがって」
俺はゲンセマを蹴飛ばした。本当に人間のクズだ。
ジントが床を転がるゲンセマの髪をつかんで起き上がらせた。
これだからルナン王国で奴隷商人を片付けるのは不可能というわけだ。
ルナンの最高貴族であるローネン公爵まで絡んでいるのに一体誰が手を出すというのか。
つまり、ルナンでこいつらを撲滅できるのは結局俺しかいないということにもなる。
ルナンの王であろうとローネンだろうともう誰の目も気にする必要はないから。
ただ、ローネンを訪ねる必要はなくなった。
すぐ目標に向かってもいいくらい帳簿の内容は詳細で完璧だったのだ。
ローネンの名前がこれほど直接的に出ている以上、俺はすぐにエルヒートを訪ねた。
「これは本当なのか! 冗談だろ……!」
エルヒートは帳簿を見ながら怒りに震え出した。
この男は奴隷商人の帳簿と関係のない希少な貴族のひとりだ。
むしろこうした不義を許せない孤高な男でもあった。
そんな性格の彼だから他の貴族たちは奴隷商人に関する事実を必死に隠してきたはず。
だからこうして、ルナンの実態をまったく知らない純粋な状態が保たれていたのだろう。
「俺を襲ってきた暗殺者を追跡しました。その結果、暗殺組織の要塞そ発見し、王都にあるアジトでは帳簿まで手に入れました。閣下、すべての証拠は出揃っています」
「殿下が本当にこの事実を知りながらも放置していたということか?」
エルヒートは信じられないのかもう一度聞き返した。
顔にはどうか否定してくれと書かれているがそれは困る。
「むしろ奴隷商人を利用していたのはローネン殿下です。セルヴィルのしたことだけを見てもどれだけ醜悪か」
俺はエルヒートの庭で楽しく遊んでいるフリルを指さした。無邪気な顔で花を摘むフリル。ユラシアは庭に座り込んでそんなフリルの頭の上に花をのせてあげていた。
「……」
エルヒートはその平和な様子を眺めながら黙りこんだ。
「ローネン殿下の力ならそれを隠して奴隷商人を片付けることもできたのにそうはしませんでした。むしろ、他の貴族に奴隷商人を紹介して彼らの弱点を握ることで身動きを取れなくするという行動に出たのです。帳簿を見ればそれが一目瞭然です」
「……」
結局、この男は拳でテーブルを殴りつけた。憤怒したのだ。
「信じられない。いくら何でも……。こんな汚いまねを……!」
まあ生涯忠誠を誓ったはずだから当然の反応だろう。
その反応がそろそろ不仲に繋がってもらわなければならない。
「帳簿は閣下に差し上げます。直接ローネン殿下にお渡しされても構いません。私が持っていても手に負えませんので」
これをルナンの王に見せたところで何も起こらないだろう。
何も変わらない。ルナンはすでにそこまで腐っていた。
だから、これで得るべきものはこの男の怒りだけ。
もちろん、これだけで完全にふたりの仲が裂かれるはずはなかった。
だが、後々のための火種としてはこの程度で十分だ。
*
「殿下、これは事実ですか?」
エルヒートは真っ直ぐな性格の男だった。だから、すぐに帳簿を片手にローネンを訪れた。
「セルヴィンは世間知らずだ。間違いを犯すこともある。それに貴族を糾合するためにその程度の弱点を作るのは仕方のないことだ。君はそんなことも知らずに生きてきたのか?」
「ですが、人身売買だなんて。それはまったく別の話ではありませんか!」
「人身売買だと? 俺はそんなことを指示した覚えはない。一体何を言ってるんだ!」
ローネンが声を荒げるとエルヒートは眉をぴくつかせた。
いくらエルヒートでも今その言葉は信用できない。
奴隷商人と人身売買。
その必然的な関連性について知らな人はいない。
「殿下、それでは奴隷商人を意図的に放置していたのは事実ということですか?」
「一体どこでその帳簿を手に入れたんだ」
エルヒートは口を噤んだ。
エルヒンは話しても構わないと言っていたが、エルヒートは簡単に人の名前を出すような性格ではなかった。
「偶然手に入れたのですが、この閣下の直筆サインを見るまではとても信じられませんでした」
「そうか、わかったから帳簿をよこせ。その件は俺に任せるんだ」
「ですが、殿下!」
エルヒートが立ち上がった。
「主人に手向かうのか? エルヒート、貴様!」
すると、ローネンが怒鳴り散らす。
その結果、エルヒートは黙り込んでしまった。そうせざるを得なかったのだ。
「帳簿はお渡しします。ですが、ここにいる貴族たちの処罰は……」
「君はしばらく頭を冷やしてきたほうがよさそうだ」
エルヒートは頭がぼーっとしてきた。自分が生涯忠誠を誓った偶像の姿はまったく見えなくなっていた。
ローネンが国を守ろうとする気持ちは本物で、他の公爵とは違って自ら戦争に乗り出したのもローネンが唯一だった。そんな彼だからこそエルヒートはルナンのために忠誠を誓ったのだった。
だが、そのルナンを守る方法がこれほど醜悪だとは。
茫然自失となるのも無理はなかった。
「しばらくの間、国境の要塞に行っているように」
どんなに強い武将でも自分に手向かうのは我慢ならないもの。
さらに奴隷商人は彼の恥部でもある。
それに触れられたローネンはいくら心腹の部下でもそのまま見過ごすわけにはいかなかった。
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