第64話

 *


「リリアン」


 名前を呼ばれた少女は弱々しく顔を上げた。

鉄格子の中にはひとりの少年とふたりの少女が閉じ込められていた。

 3人は同じ村の出身だった。

 戦争で両親を亡くし村人たちの手によって売られてしまった彼らの数奇な運命。

 リリアンを呼んだのはそのうちの少年セディンだった。


「寒いか?」

「平気……」


 リリアンは首を横に振った。だが、身体は震えている。

セディンは少女のために着ていた上着を脱いだ。そのチョッキのような袖なしの上着を肩にかけてあげるとリリアンの身体の震えは少し落ち着いた。


「フリルに服を貸しちゃったから、君だって寒いだろ?」


 セディンはそう言って優しく笑った。

フリルはリリアンの服をかぶるようにして持ち良さそうに眠っていた。


「フリルみたいに何の心配事もなかったらいいのに……」

「そうだな」


 リリアンの言葉にセディンは肩を落とした。


「奴隷ってやっぱり大変かな?」


 15歳だ。奴隷が何かは知っていた。

 そして、自分たちが置かれた運命も。

 何も知らないのはリリアンの7歳になったばかりの妹フリルだけだった。


 監獄の扉が開くとふたりの男が入って来た。

捕まっている人たち全員の視線が彼らに向く。


「新入りがいるとか?」


 ゲンセマが鉄格子の中を見渡しながら部下に聞いた。


「はい、3人の新入りがいます。こちらです」


 すると、男がゲンセマを案内した。そこはまさにリリアンとセディンのいる部屋。


「ほぅ、あの子はなかなかよさそうだ」


 ゲンセマが手振りをしながら口を開いた。彼が指さしたのは眠っているフリルだった。


「まあ、このくらいなら満足させられるだろう。あいつは気難しいからな」


 ゲンセマが陰険な笑みを浮かべる。

 フリルを抱き上げようとすると状況を把握したリリアンがその前に立ちはだかった。


「私っ、私が行きます。妹を離してください!」

「ほぅ、そうだな……」


 ゲンセマは興味深そうにリリアンを見た。


「おませなお嬢さん。悪いが君はもう成長しすぎてる」


 そう言ってリリアンを軽く押しのけると、今度はそれに耐えかねたセディンが飛びかかろうとした。


「それを離せ!」


 しかし、ゲンセマに近づくことすらできずに隣にいた男に蹴られて床を転がるだけ。

幼い彼には何の力もなかった。


「おいこら。商品をそんな乱暴に蹴りやがって。最近は男の子も需要があるんだからな」


 そんな部下をいびりながらフリルを抱き上げるゲンセマ。

すると、小さな少女が薄目を開けた。


「お姉ちゃん?」


 リリアンを探してきょろきょろ見回すとゲンセマがそんなフリルの頭を撫でる。


「よしよし。おじさんがこれから幸せに暮らせるようにしてやるからな。美味しいものが食べたいだろ?」

「美味しいもの?」

「だめよ、フリル!」


 リリアンはゲンセマに飛びつこうとしたがすぐさま隣の男に阻止されてしまった。


「フッ……フリル……!」


 唯一の肉親。リリアンは死ぬ間際の両親に妹の面倒を見るよう頼まれていた。

リリアンは泣き叫んだ。周りはみんなそれを見ながら哀れな目でため息をつくだけ。


 固い鉄の扉が閉まり外へ出たゲンセマは待たせていた腹心の部下ルトリーに念を押した。


「それより、エルヒン伯爵は確実に処理したんだろうな?」

「念のためホグを送りました。その辺の将軍ならやつには敵いませんよ。すでにそちらへ向かっているはずなのでご心配なく」

「ホグだと? 慎重すぎやしないか?」


 ゲンセマは肩を震わせながらうなずいた。


「お姉ちゃんはどこ?」


 ようやく目が覚めたのかフリルはきょろきょろとリリアンを探し始めた。


「お姉ちゃんはもう先に行ったさ。フフッ」


 ゲンセマは偽りの笑みを浮かべて闇の中へと消えた。


 **


 ルナンの王都にはドロイ商会の本部があった。

 だが本部というだけで、商会の代表と貴族との間で取引きが行われる場所に過ぎない。

 むしろ彼らのすべてとなるものは王都付近の要塞にあった。

 商会の私兵と暗殺組織。そして、奴隷収容所。そこに重要な帳簿まで。

 そのすべてがあるのがまさにその要塞。

 もちろん、俺はその要塞から破壊するつもりだった。

 当然のことながらジントはいつもより戦意を燃やしていた。


「いいか、ジント。捕まったり売られてきた罪のない人たちまで傷を負うようなことがあってはならない」

「当然だ。彼らはミリネと同じ立場だからな、助けないと」


 その返事を聞く限り問題なさそうだった。


「よし、踏み荒らすぞ!」


 すぐに要塞に向けて銃攻撃を命じた。

 勇敢に突撃していくエイントリアンの精鋭兵たち。

 これまで訓練に励んできたおかげで動きはとても機敏だった。

要塞の正門がジントの突撃によってそのまま崩壊してしまうほど。


「何だ、あつらは!」


 ドロイ商会の私兵が刀剣を抜いて反撃を始めたがルナンのお粗末な軍隊とは格が違う。

 訓練度80、さらにユラシアのおかげで士気は90を超えていた。

 そんな俺の騎兵隊は商会の私兵を撃退し始めた。

 もちろん、暗殺組織もここに存在するため武力が高いやつも何人かいるようだった。

 だが、すでに俺に武力90の暗殺者を送り込んできたやつらだ。

戦力に穴があいたのは当然のこと。


「奴隷商人だなんて絶対に許せません」


 そこにユラシアまで参戦して戦鬼と化したジントと共に暗殺組織を一掃していたため一方的な戦闘に変化はなかった。

 だが同時に人々が収監されている鉄の扉の奥が混乱に陥ってしまった。

 混乱を呼び起こす目的で私兵が鉄の扉を開けてしまったのだ。

 おかげで閉じ込められていた人々は外の戦場を目の当たりにした。


「クソどもが! 商品に手を出しやがって!」


 俺はすぐに兵士たちをそっちへ送った。人々を保護することが最優先だ。

 当然ながら商会の私兵たちもそこへ集まる。

 やがて扉の前は最大の激戦地と化してしまった。

いや、激戦地というには少し違う。

 戦いは一方的だったから。


[エイントリアン領地軍]

[100人]


 我が軍の数は減っていないが、


[ドロイ商会の私兵]

[87人]


 250人を越えていた商会の私兵は瞬く間に減っていった。

 我が軍にも多少の負傷者は出たが前で活躍するジントとユラシアのおかげで完全に敵の気勢が殺がれて死者は出さずにすんだ。

 そんな混乱に乗じてついには子供たちまで外に出始めた。

それを見た俺は憤りを感じた。

 子供たちまで奴隷に……。

 知ってはいたものの、実際にそれを目の当たりにするとさらに怒りが込み上げた。


 *


 大混乱の中、狼狽え身をすくめる人々。

だが、セディンは違った。


「リリアン! 今だ、逃げよう。何だかよくわかんないけど、絶好のチャンスだ!」


 壁にもたれてぼうっとしていたリリアンが消え入る声でつぶやいた。


「でも、フリルは?」

「ばかだな、ここから出ないと探せないだろ!」


 セディンはそう言うとリリアンの手をつかんで監獄を飛び出した。


「ぼうやたち! 外は危険だわ! ここにいた方が安全よ!」


 殺戮戦となり私兵たちは逃げ出す奴隷をやみくもに殺していた。

おかげで人々は扉の奥で恐怖に震えているだけ。

しかし、セディンはそうしているうちにまた閉じ込められると思ったのだ。

 だが、その判断は間違っていた。


「セディン!」


 リリアンの手を引いて走っていたセディンの背中に刃物が飛んできて突き刺さってしまった。

私兵たちによる無作為な殺戮の被害者。リリアンは座り込んでセディンの名前を泣き叫んだ。

 しかし、すでに流れ出る血の量からして助かる可能性はゼロ。


「セディン! セディン……! 嫌よ、死なないで。フリルもいないのにあなたまで!」


 すると、そんな彼女のもとにも刃物が飛んできた。

 それを切り返したのはベンテだった。


「中に入れ! 外は危険だ!」


 エルヒンが送ったベンテが監獄の方へ来て叫んだがリリアンはセディンにしがみついて離れなかった。

 そして、あっという間に本拠地は廃墟と化した。

 ベンテの合図を受けたエルヒンは監獄に足を踏み入れた。

 捕まっていた人たちがここにいる以上やるべきことがあるからだ。


「閣下、全員集めておきました!」


 ベンテが言うとエルヒンはうなずく。

 そして、集まった人たちに向かって叫んだ。


「俺はエイントリアンの領主エルヒン伯爵だ。奴隷商人の掃除という大義の下に諸君を助けに来た。この中で拉致されてきた者は手を挙げてくれ。帰る場所があるなら故郷に帰してやる!」


 すると、あちこちで周りの様子をうかがいながら恐る恐る手を挙げ始める女たち。


「よし、一か所に集まってくれるか。何があろうと故郷に帰してやる。大変だったな」


 エルヒンの言葉に数十人の女たちが集まり出した。

 残った人々はざわめきながらエルヒンから目を離せずにいた。


「あとの諸君はおそらく奴隷として売られてきたのだろう。故郷へ帰っても虐げられるか、また同じように売られる身となるはず。選択肢をやろう。帰りたければそれでいい。だが、新たな人生を送りたければ全員に新しい生活の基盤を与えるつもりだ。そこがエイントリアンだ。エイントリアンのあちこちに村を作っている。故郷へ帰りにくければ村を作って暮らしていけばいい。もちろん国境の領地だから危険は伴う。だが、心配するな。守ってやる。この俺が断言しよう。惨めな人生を送るより周りの目を気にせずに自らを開拓したいという者は前に出てこい!」


 エルヒンの言葉に人々はひそひそ話を始めた。


「エイントリアン伯爵って……。まさかあの戦争を終わらせた?」


 拉致されてきたばかりの女が驚いて大声を出した。

紛争地域で拉致された彼女はエルヒンの噂を聞いたことがあったのだ。

 エルヒンが優れた策士であるという噂ならすでにルナンのあちこちで広まっている状況だからなおさら。


「そうだ」


 エルヒンがうなずくとその女はいきなり前に出てきた。


「……拉致された身で村へ帰ってもどうせ後ろ指をさされるだけです。そこへ行きたいです。私も連れて行ってくれませんか?」

「それは君の自由。どうするかは君次第だ!」


 場所柄捕まっていた人たちの90%は女性だった。だがら、彼女たちはまたどこかへ連れて行かれるのではないかと心配していたがそんな彼女の言葉が導火線となった。

信頼度が急上昇したのだ。

 すぐに女たちは先を争って前に出てきた。

 さらに、故郷へ帰ると言っていた人の半分以上がエイントリアンへ行くと言い出した。


 国境地域という特殊性から人口が少ないのがエイントリアンの弱点。

もちろん、最近は自分が有名になったことで多くの難民が移り住んできていたがそれでも足りなかった。

だから、移住を受け入れることはまさに国境地帯の復興にもなる。


 そんな中、セディンの遺体から引き離されて強引に連れてこられたリリアンは、ぼんやりした目つきでエルヒンを見上げるだけで、前に出てくることも立ち上がることもなかった。

すると、隣にいた女が不憫な表情でリリアンの手を握った。


「あなたも行く当てがないでしょ? 友達もみんな死んでしまったし。お姉さんが全部見てたわ。可哀想に……。いい機会よ、あの方の言うエイントリアンというところへ行って私と一緒に暮らしましょう」


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