第58話
貸せるのにだめってどういうことだよ。
そんなことを思っていると、彼女は俺の目の前に指を差し出した。
「これ、私がはめてから抜けないんです。父上も何とか外そうとしていましたが……」
「え? 本当に?」
「はい。本来、この指輪は宝物庫の鍵だとばかり思っていましたし、だからこそ王である弟が持つべきなんですが……。一度はめてみたら抜けなくて、それで私が持つことになったといいますか……」
そっと彼女の手を取って指輪を外そうとしてみた。
確かに、彼女の言うようにびくともしない。すっかり指と一体化したような感じだ。
それはつまり、特典の秘密を握っているのは彼女だけということ?
他に指輪がなければの話だ。
「そんなに切実な表情を浮かべるほど必要ですか? これが?」
「いや、まあ……」
特典に関係していることから思わず切実な顔になってしまったようだ。
「では、切断して差しあげます。指なんか1本なくても死にませんから」
ユラシアは平然とそう言いながらロッセードを手にした。
「ちょ、ちょっと、落ち着け。何てこと言うんだよ。後で直接助けてくれればいいだけなのに、指を切断するだなんて」
「そうですか?」
「いや、そうだろ。だから、そんなおかしなこと言うなよな。君の指をもらってもそれはちょっと……」
「ふんっ! タイプでもない女の指は必要ないとでも?」
いや、タイプとかの話じゃなくて指は必要ない。
ずっと自分の指を眺める彼女。
そのままにしておいたら本当に切断しそうだから話をそらした。
「とにかく、ひとまず移動しよう。出口を見つけないと!」
*
俺たちはそれから半日歩いてようやく出口に辿り着いた。
その出口はなんとブリジトの王宮の壁に繋がっていた。
その壁がこんな秘密通路に繋がっていたとは誰も知らなかったようで、俺たちの登場に全員が驚愕した。
こうなれば話は早い。
俺とユラシアは王宮の守備兵と戦いながら王宮から脱出して王都の城門まで逃げた。
そして、城門を開けてルナン軍を呼び入れた。
幸いにも、フィハトリとジントが俺の命令通り王都の前に到着していたため、占領は順調だった。
最初の計画はブリジト王国軍になりすまして入城するというものだったが、完全にその必要はなくなったといおうか。
俺が城門を開けている間にユラシアがブリジト王国軍と戦ってくれたことで、これといった問題もなくルナン軍を王都に呼び入れることができた。
王都を占領するには何の問題もなかったのだ。
実質的に王都はほとんど空いているようなものだ。
王宮の守備兵と王室の親衛隊とはいっても1000人になるかならないかという数。
難無く王都を占領して王宮を掌握した。
残るは最後の戦闘のみ。
その戦いの終わりを美しく迎えるため、俺は唐突ながらユラシアの髪を指摘した。
彼女の威信のためというか。
「おい、そんな姿で敵の前に出て行くつもりか? これまで築いてきた威厳ってものがあるだろ。戦いの最後にはかっこいい姿を残すべきじゃないか?」
「え……? 私、何か変ですか?」
「向こうの部屋に鏡があるから見てきたほうがいいぞ」
ユラシアは怪訝そうにとぼとぼと俺が指し示した部屋に向かって歩いて行った。
しばらくして、
「えーっ? えええええっ!」
当然ながら、その言葉に返ってきたのは悲鳴だった。
今の彼女の姿は完全に幽霊そのものだ。
テレビから飛び出すあの有名な幽霊のように髪が乱れていた。それにしても美しいが。
「こ、これは、いったい……」
ユラシアは震える手で鏡の前のくしを持つと髪をとかし始めた。
だが、めちゃくちゃだった。いつも手には剣ばかり握って生きてきた彼女だ。
髪をとかすのも侍女たちがすべてやってくれていたはず。
「ぜんぜんとかせてないけど……。そんなんで元の状態に戻せるのか?」
「そ、それが……!」
むしろひどくなっていく気がしたから俺は彼女のくしを奪い取った。
「諜報によると間もなくブリジトの王が到着する。時間もないし俺がやってやるよ」
「えっ? あなたが?」
あてにならないという顔で俺を見る彼女。
もちろん、この王宮にも侍女たちはいる。だが、まったく信用できない。
髪をとかしていて突然ユラシアの暗殺を図るなんてこともありえなくはない。
なんてのは言い訳で、ただ俺がやってあげたいという気持ちが大きいのはある。
「騙されたと思ってじっとしてろ」
彼女の頭を手のひらで上から下に優しく撫で下ろした。
とてもきれいな髪が俺の手の上で揺らめく。
それから、くしを使ってゆっくりと上から下にとかし始めた。
あちこちはねていた髪が少しずつまとまり出した。
髪を洗えれば一番いいのだが、そんな状況ではないため束ねるか編むのが最善だ。
「いつもみたいに編んでやるよ」
「……編むって、そんなことまで? ありえない。私でさえ自分ではできないかも……しれないのに……!」
できないとは断じて言わない。
できないかもって、どう見てもひとりではできそうにないが。
まあ、俺の場合は妹のおかげだった。
仕事で忙しかった母親と、そんなことから俺ひとりで面倒を見ることの多かった妹のおかげで、髪を整えるスキルが身についたというか。
小学校の頃はいつも俺が妹の髪を整えてあげなくてはいけなかった。
今では、あいつも20歳を過ぎて独立したが。
いつも手のかかる髪型を要求してきて、とにかくかなり面倒なやつだった。
はあ、妹というのはまったく。
だから、髪をいじることには自信があった。
俺は一生懸命彼女の髪を編み始めた。
「どう?」
「いい感じです……。でも……いったいどれだけ多くの女性の髪を触ってきたら、こんなに上手になるんですか?」
怪しいと疑う目で俺を見る彼女。何だか変な誤解をしているようだった。
「そうじゃないよ。家族以外には君が初めてだ。領主だからといって思いのままに何人もの女を従えているようなやつもいるだろうが、俺は違う。愛を大事にするタイプだから」
「……え?」
彼女は信じられないという顔で俺を見た。俺のイメージはどうなってんだよ。
「嘘つき」
「本当だって」
「どんな愛ですか?」
「どんな愛って……。一緒にいてもいなくても考えるだけでどきどきするような?」
「へぇ……。あなたがそんな純粋ですって?」
「うん。もしかして、君はまさか誰とでも付き合ったり結婚できるってマインド?」
「そんなはずないじゃないですか!」
「じゃあ、君も王女の身分を脱ぎ捨てて恋でもしたらどうだ? このままずっとロゼルンに居続けたら政略結婚で他国の顔も知らない貴族や王族と結婚することになるぞ?」
「それだけは嫌です。もしそんなことが起こったら、初夜にその結婚相手の首を斬って私も自殺します!」
自殺? 極端すぎないか?
「いや、最初から政略結婚を断ればいい話だろ。それがだめなら逃げるとか!」
「斬ってから逃げろということですか?」
当然、結婚相手のもとに行く前に逃げろという意味だ。
わかっているくせに、この女ときたら。
「やり合おうってか?」
俺の言葉にユラシアは顔を背けてしまった。
「今……笑ったよな? それも嬉しそうに!」
「……何のことですか? 笑ってなんかいません」
明らかに笑ってたから問い詰めると、一瞬でまた王女の顔に戻ると否定するではないか。
*
バウトールは悲惨な結果を目の前にして命惜しさに退却命令を出すしかなかった。
一緒に逃げた兵士は3000人にも満たない。
誰がどう見ても戦争の続行は不可能だった。
そのため、今回の退却先は自国の領地だった。
「……王国へ帰るぞ! 出直す! 今回のことは絶対に忘れん! 絶対に……!」
バウトールは歯を食いしばって自国へ逃げ出した。
当然ながらロゼルン王国軍はそんな彼らを追撃した。
その追撃の中バウトールは辛うじて自国へ帰った。
ブリジトの国境を越えるとロゼルンの兵士たちはそれ以上追ってくることはできなかった。
敵のそんな姿を見ながら鼻で笑うバウトール。
「やはり、大したことないやつらだ。ブリジトの地を踏むことを恐れて国境すら越えてこれないようなやつらめ! クッハハハッ!」
バウトールは今もなお敗北の原因は自分たちの失策によるものだと思っていた。
敵が優れているわけではない!
相変わらずの自尊心で油断さえしなければロゼルンなんか再占領できると思っていた。
もちろん、被害が寛大であることくらい認めているところ。
はらわたが煮えくり返ったバウトールは出直して必ず復讐してやるという一念で叫んだ。
「兵士たちよ、そうだろう?」
だが兵士たちの考えは違った。特にことごとく撃破してくるルナンの援軍は見たくもない状態。
そこに水だけで腹を満たしていた兵士たちはバウトールに同調しなかった。
「どうした! なぜ歓声を上げない!」
腹を立てたバウトールは隣にいた兵士を斬ってしまった。
「気勢が殺がれては何もできん! いいか、歓声を上げるのだ!」
それを見た周りの兵士たちは死にたくないという思いから無理に歓声を上げ始めた。
だが、それは最悪の行動。
カリスマ性によって保たれていた指揮力が急落した。
97に達していた指揮が70を下回ったのだ。
もちろん、本人は気づいていなかった。
そのように強圧的に兵士たちを率いて国境の領地に到着し飢えをしのいだ。
結局、食べれば解決するという単純な考え方。
「王都に帰るぞ! 帰って軍を整備してから敵を討つ! お前の腕の分もな!」
「もちろんです、陛下! この敵は必ず!」
その言葉にイセンバハンは命を守るために同調するふりをした。内心は帰ったらすぐに他国に亡命でもしたほうがましではないかと思っていたが。
バウトールはそのようにようやくブリジトの王都を目前とした。
しかし、王都の城門は静寂に包まれていた。
それを見たイセンバハンが驚いて叫ぶ。
「よくも、陛下が帰られたというのに誰も出迎えないとは!」
そうだ。
王都の貴族はもちろん王城の侍女や侍従たちが全員で王を出迎えるのは当然のこと。
近くの領地に立ち寄った際に事前に伝令を送っておいた。勝ち戦ではないため盛大に出迎えなくとも、せめて全員で出迎えるのが当然のしきたり。
これは王権に対する挑戦に他ならなかった。
当然ながらバウトールは憤りで顔を赤くして城門に近づいた。
なぜかブロッションの巨大な城門には守備兵はもちろん門番すらいない。
王都内はやけに静かだった。
大通りにも人の気配はなく、歩き回る人の姿がない王都の街。
静まり返った都市を見渡しながら中へ入ってきた兵士たちは互いに目を合わせると首を傾げた。指揮官たちも同じだ。
「これは、いったい……?」
イセンバハンも怪訝な顔をしてつぶやいた。
そのような疑問を抱いたまま全員が王都内へ入ると城門が急に閉まり始めた。
同時に路地に隠れていた兵士たちがあちこちから飛び出してくる。
閉ざされた城門の方でも城郭の上に伏せて隠れていた兵士が出てきて退路を遮断した。
その兵士たちはブリジトの軍隊ではなかった。
王都の中央で突然現れたのはなんとルナンの軍服だったのだ。
「っ、貴様らが、なぜ……! いったい、どうやって!」
バウトールは到底信じがたい状況に口ごもった。
当然、ルナン王国軍の先頭にはエルヒンがいた。
*
いい加減この戦争にも終止符を。
城門は閉ざされ周囲を兵士たちが包囲していた。逃げられる隙はない。
ガネイフもいない状況でブリジトの王には希望などないということ。
完全に閉鎖された城内で2万を超える兵力を相手には戦えないもの。
どう見ても包囲は完璧だから。
「貴様ごときが我を阻止するだと? ありえん! 我こそがこの大陸の主だ!」
ブリジトの王が俺に向かって叫んだ。
眼中にもない男。
それがまさにブリジトの王。
ただの虐殺者、それ以上でも以下でもない男とでも言おうか。
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