第55話
*
そうして始まった進軍。
山を登るにつれて気温が下がり始める。
クリル山脈を越えるうえで最大の問題はまさにこの気温だった。
兵士たちにとって気温の低さは相克のようだった。こっちの世界は基本的に温暖な気候で冬も寒くはない。
だから、寒さに弱いのだろう。
実際にもクリル山脈の悪名はこの寒さが由来しているのではないかと思われる。
だが、むしろ俺には日本の冬の方がもっと寒く感じた。
そのため、俺は十分に耐えられるくらいだが寒さに弱い兵士たちは違った。
ぶるぶる震えながら寒さを訴える。まったく適応できていない様子だ。
急峻な地形は思ったほどではなかった。実際に来てみると挑んでみるだけのことはある。
アルプス山脈ほどの高さはない。2000mくらいだろうか。
高さそのものは富士山よりもはるかに低い。
もちろん、危険な地形ではあった。
俺には[30秒間無敵]があったが、崖から墜落したり山崩れで命を失う兵士もいた。
つまり、兵士の数は減っていった。
寒さが兵士たちの動きを鈍らせたせいで滑落死のような事故が発生するのだ。
夜になって行軍を止めるとフィハトリと他の指揮官たちもみんな身をすくめていた。
おかげで、なんとか上げておいた士気が下がり出した。
いつの間にか士気は70になっていた。
それでもブリジト王国を占領すれば手にできる生涯を保障してくれるという褒賞金のために耐えている様子。
焚き火をしても完全に体を近づけなければまったく意味がない。
ジントさえもただ黙って身をすくめていた。
「大丈夫か?」
「ああ。これくらいどうってことないさ」
「震えてないか?」
「違う。これはわざとだ。震えてるわけじゃない」
「そうか」
どう見ても震えているが。とにかく自尊心が高い。
「総大将、これでもかけておられた方が……」
そうしていると、フィハトリが毛布をどっさり持って俺のもとへやってきた。
「フィハトリ」
「何でしょう?」
「指揮官にとって一番大事なことは何だと思う?」
俺はそんな彼に多少唐突な質問を投げかけた。
「勇猛さだと思います。指揮官が恐れていてはどうにもなりませんから」
「もちろん、勇猛さも大事だ。だが、一番大事なのは何と言っても士気ではないか? 士気が高ければ兵士たちは自ずと従うようになるからな。だから、毛布は必要ない」
指揮官ばかり毛布を使っていては兵士たちの妬みが強まるだけ。
むしろ、俺も彼らと同じように苦労していることを示す必要があった。
士気が下がるのを食い止めるために何かしらするべきだったから。
俺はすぐに各千人隊を巡りながら兵士たちと行動を共にした。
一緒にご飯を食べて一緒に寒さに震える姿を見せたのだ。
当然、毛布なんかは一切使わなかった。寒さに震えながら一緒に眠った。
それだけか、各千人隊を巡って演説もした。
モチベーションを上げるために。
「俺も君たちと同じだ。今日も歩くのに疲れたことだろう。ようやくありついた休息時間に集まってもらって悪いが、これだけは明らかにしておこう。辛いのはみんな同じだ。俺もそうだ。それでも、君たちと同じ条件で耐えてる。だから、君たちも耐えるのだ。今ここで耐え抜けば、ブリジトが我われの手に入る。それは、君たちが褒賞を手にできるということでもある。それに、山脈を越えブリジトを占領した兵士として、この大陸の歴史に名を残されることになるだろう。子孫に生涯誇れる歴史の生き証人となるのだ!」
受け取ることになる褒賞金と復帰後の誇り。
そんなもので兵士たちを懐柔して回ったのだった。
そのおかげで不平を言う兵士は確実に減っていった。
兵士たちの目つきも変わって、それ以上は士気も下がらなかった。
一気に下がった士気も70を下回ることはなかった。
道なき道を踏み分けて。
木を折ったり切ったりしながら。
寒さに耐えて歩き続け。
最後まで兵士たちと共にした。もちろん大変だったが、それに打ち勝たないとブリジトは手にできないため辛抱した。
総大将だからといってどっさり毛布をかぶって姿を現さなければどうにもならない。
こうして士気の急低下を阻止してから今度は実質的な方法をとるために動いた。
兵士たちが実質的に暖を取れる方法といおうか。
寒さに震えてばかりいては体力がなくなるだけ。
少しでも暖かさを維持できれば、この頂上付近を何とか突破できるのではないだろうか?
そこで、俺はネットで見た動画を一つ思い浮かべてみた。うまくいくかはわからないが、試してみるだけの価値はある。
だから、また各部隊を巡った。
「フィハトリ! 人の頭の半分くらいの大きさの石だけを集めて焚き火で焼く。兵士たちと一緒にできるだけ多くの石を集めるんだ!」
「まさか、総大将! その焼き石を抱えろと……? 熱すぎますよ! それはちょっと違うかと……」
俺の言葉にフィハトリが驚愕して首を横に振った。
「それも悪くないな。どうだ、やってみるか?」
「そんな、焼き石を抱えるなんて……! そ、それは遠慮しておきます」
狼狽するフィハトリ。
「当然だ。それを直接抱えたら熱くて火傷するだろ。石を一カ所に集めて、焚き火を消すんだ。別の場所に焚き火を作り直して、火を消した場所の地面を掘る!」
俺はすぐに兵士たちと共に地面を掘り始めた。そして、すぐに掘り進める手を止める。穴が深すぎてはいけないから。
「残りの石をすべて埋めろ!」
焼き石は冷めにくい特性がある。つまり、熱を長持ちさせるということ。特に焚き火の下で温められた地面では。
「上から土をかぶせるんだ!」
すぐに石の姿が見えなくなった。石を埋めた地面を触ってみたが結構良さそうだ。
「この上に寝転んでみろ」
焼き石を抱えろと言った時よりはるかに納得した顔のフィハトリが素早く寝転んだ。
「総大将……、温かいです!」
「そうか。でも、さっきまでは石は必要ないとか?」
「いいえ、こういうことでしたら話は別です!」
「わかったから、起きるんだ。貴族の面目があるだろ」
「そ、それが……」
「俺を含め指揮官は使用しないこと。兵士たちに譲れ!」
渋るフィハトリを引きずり出して兵士たちに同じ方法で石を熱して地面を掘らせた。
もちろん、いくら石の熱が冷めにくいとはいえ時間の限界はある。
「交替で少しでも体を温めるように。10分でも寝転べば少しは温まるだろう」
それほど大きな役に立たなくとも。
総大将が何かしようとする姿を見せるのが大事ではないか?
そんな姿を千人隊ごとに見せて回ると、さすがに士気が5上がってまた73になった。
*
あらゆる手を尽くして兵士たちを督励したおかげか山頂を越えついに下山が始まった。
そして、山を下って行くほどに寒さから解放されていった。
もちろん、険難な地形のために兵士を失ったが越えられないほどではなかった。
それでも、この山脈を越えて戦争をしていないのは王都に兵士が駐屯しているからだ。
だが、今は違う。
ブリジトの王都は空いている。
だから、敵より先に王都へ到着すればゲームセットだ。
敵の王都は山を越えるとすぐ下にある。
その目標をめがけて急いで下山していると、
「え……?」
「どうかしたか?」
寒さの中、いるかいないかわからないくらいおとなしく後をついてきていたユラシアは突然立ち止まると首を大きく傾げた。
「その……。急に指輪から光が。宝物庫を開ける時しか光ったことないのに……」
確かに彼女の指輪からは白い光が放たれていた。
まさにその瞬間!
地震でも起きたかのように突然地盤が揺れ出す。
その地震によって彼女が立っている場所に地割れが走った。
地面が崩れ出すと彼女はその崖下に落ちてしまった。
ここで落ちたら死ぬしかない!
「フィハトリ、このまま進軍しろ! 俺は王女を救ってから後を追う!」
そう叫んだ後、迷わず崖から飛び降りた。
「総大将!」
もちろん、何の対策もなくこんなまねはしない。助ける方法もないのにこの高い崖から飛び下りるのはただのばかだ。
何しろ、俺にはスキルがある。
どこから落ちようと無事でいられるスキルが!
落下してすぐに彼女を発見した。だが、かなり離れていた。
落下速度はほとんど同じだから、このままでは彼女に追いつくのは不可能だ。
そこで、俺は大通連を召喚し[破砕]を使った。
いつもは大通連を投げつける[破砕]だが今は手放さなかった。
[破砕]が俺の体を引っ張っていくように。
その結果、俺は彼女に追いついた。[破砕]の対象を彼女に設定したから正確に彼女のところへ到着したのだろう。
効果は気絶にしてもよかったが無効化もあった。
無効化にも回数がある。無効化にしてもスキルの回復までに5時間はかかるということ。
もちろん、今は何の関係もない話。
[破砕]の推進力で彼女に追いつく直前に無効化させて彼女を抱き上げた。
「ユラシア!」
「エルヒン……? どうして……!」
「いいから、しっかり掴まれ!」
重要なのはタイミングだ。無敵の効果時間は30秒だから。
俺は地面に着地する瞬間に合わせて[30秒間無敵]を使った。
30秒間無敵は絶対的!
俺はまるで、階段を一段下りたかの如く平然と地面に着地した。
俺の体が何の衝撃も受けていないため抱えていたユラシアも当然無事だったのだ。
彼女は信じられないという目で俺を見た。
「こ、これは、いったい……?」
「マナスキルさ。どこにでも着地できるスキル的な?」
「あっ、城郭から飛び下りる時に使ったあれ! ですが、いくら何でも……。そんなふうに迷わず飛び降りるなんて。危険すぎます!」
「西から日が昇るって言っても信じるんだろ?」
「え?」
「じゃあ信じろ。何があっても信じるんだ。救えるから飛び下りたんだ。救えるのに一緒に戦う仲間を捨てるなんてとんでもない」
「え、ええっ……それは……」
ユラシアは軽く頬を膨らませるようにしてじっと俺を見つめた。
前よりも明らかに表情が豊かになったような気がする。
ただ、その状態で沈黙が訪れたためひとまず彼女を地面におろした。
ユラシアは足が震えるのかそのまま座り込んだ。
俺は彼女をそのままにして崖の方を眺めた。
崖にある巨大な門は白い光を放ちながらいまだに揺れていた。
それによって崖の上では地震が発生していたのだ。
「それより、あの門について何か知ってるか?」
「いいえ……。初めて見ました」
彼女は巨大な門のマナの陣と共鳴するかのように光る指輪を見ながら言った。
指輪が反応したということ。
つまり、あの門は古代王国の遺物と深い関連があるということだろう。
それなら、このまま見過ごすわけにはいかない。
「じゃあ、行って見よう。崖の上にのぼれそうにもないし……」
「そうですね!」
座り込んでいたユラシアは少し落ち着きを取り戻したのかうなずいて立ち上がった。
彼女と一緒に今もなお振動を発生させている門の前まで行って足を止める。
「王宮の宝物庫のように開けたらいいですか?」
「うん、頼むよ」
俺がうなずくとユラシアは少し緊張した顔で門に手のひらを当てた。
門に描かれたマナの陣が光を放つと振動が止まって門が開いたのだ。
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