第54話

 *


城郭から飛び降りて軍と合流するなりジントを軍医のところへ送った後、作戦通りロナフを包囲してくれた我が軍に向かって命令を出した。


「ロナフ城全体を包囲、封鎖した後は、絶対に近づいてはならない。敵が出てきてもその場を離れるな。陣形は横陣だ。横陣を編成して城を包囲する!」


敵は城内で持ちこたえることは不可能だった。

兵糧がないため耐え忍んでも飢え死にするだけ。

だから、出てくるしかなかったのだが、すでに彼らはもう5日以上飢えていた。

兵糧がある状態では力を蓄えてから出てこようとしたはず。

つまり、包囲したところで何の意味もない。

むしろこっちが焦らされる。時間が経つほどに士気が回復するだろうから。


だが、兵糧のない状態では逆だった。焦るのは敵。さらに、兵糧がないということだけでも敵はますますパニックに陥る。

兵糧が燃えるところを目の当たりにしたのだからなおさら。


[ブリジト王国軍]

[士気:10]


その結果、彼らの士気は10まで下がってしまった。

当然ながら敵は包囲を破って逃げるために出てくるだろう。

そうなればむしろ我われが有利となる。

いくら訓練度に差があるとはいえ、士気にこれだけ差が出れば平地でも勝てる。

状況が逆転したのだ。

つまり、ロナフ城から出てこようとする敵の全滅を狙える状況。

士気以前の問題として敵は5日以上も飢えている。

戦う力など残ってもいなかったのだ。


もちろん、ブリジト王国軍も城内にいるほど不利であるということはわかっていた。

だから、決断は速かった。

敵はやがて南門から出てきた。食糧のない状態でまた王都に進撃するのは無謀だということに気づいたのか向かった方向が逆だった。

王都がある北ではなく南だったのだ。

別の占領地に退却して食糧を得ようとしているのだろう。


「南門の横陣はそのまま維持する。それと、各方向の部隊はその後ろに駆けつけてさらに横陣を編成するように!」


横陣は難しい陣形ではない。訓練度が低くても消化できた。

幸いにも今はその最も簡単な陣形だけを使えばいい状況。


「走ってくる敵に向かって矢を放て!」


士気の後押しがあれば戦列を維持できたが10に過ぎない士気ではそれが不可能だった。

敵は防御態勢を整えられていない状態で矢にやられて数がみるみる減り始めた。


[ブリジト王国軍]

[兵力:19,231人]

[訓練度:80]

[士気:5]


残った敵の数は1万9231人。


「敵を殲滅する! 敵はただの飢えた兵士だ、何も恐れることはない!」


俺はすべての矢を浴びせた後に突撃命令を出した。

すると、我が軍と敵が正面からぶつかり合う。

ユラシアに従って死んだ仲間の敵を討つという思いで歯を食いしばって戦うロゼルン王国軍の勢いは凄まじいものだった。

そして、その正面対決は3時間ほどが経過した時点ですでに結果が見えていた。


[ブリジト王国軍 4,311人]

[連合軍 24,931人]


大きな差が出始めた両軍。

敵は戦う意思を喪失して逃げ出し、差が開くにつれ一方的な追撃が始まった。

まさに圧倒的な勝利。

全滅を狙ってわざと敵をロナフ城に閉じ込めた今回の戦略。

当然ながら命の危険はあった。

もう少し慎重になる必要があるということを悟った瞬間だった。

とにかく、その危機を乗り越えたからこそ勝利はしびれるもの。

もちろん、ここで終わらせるつもりはなかった。


 *


俺は退却するバウトールを追うために編成した追撃隊には合流しなかった。

 

あえてバウトールだけは解放してやるつもりだった。それがブリジトを俺が占領する戦略でもあったから。

そう、最後の戦略だった。

ついにこの戦争に終止符を打つ瞬間。

ルナンの王の前でブリジトを占領すると大言壮語した時に真っ先に考え出した戦略でもあった。

ロゼルンで士気を上げて勝利を収めることさえできれば、あとは退却する敵に使おうとしていた戦略。


もちろん賭けだ。

賭けでもしなければ短期間でブリジト王国を壊滅させることは不可能だった。

いくら大勝を収めたとしても、逃げる敵を追って真っ向からブリジト王国へ攻め込めば、幾多の領地を一つずつ占領していかなければならない。


そんな正攻法とは違って成功すれば一発でブリジトを倒せる戦略!

賭けとはいえ、やってみるだけの価値がある勝負だった。

俺はその戦略のためにルナンの援軍を招集して指揮官会議を開いた。


「全員知っていると思うが、ブリジト王国はロゼルンよりも南にあって、ロゼルンとブリジトの境界には巨大な山脈がある」


古代王国の滅亡後に建国されたロゼルンとブリジトはこの山脈に国境を引いた。

ロゼルン家とブリジト家が話し合って山脈を境に国境を作ったのだ。

この山脈はクリル山脈と呼ばれ険難な山岳地帯を形成している。


「ブリジト王国とロゼルンの交流は山脈の終わりの地点となるロゼルンの南東部で行われていたが、敗退したブリジトの軍隊もまさにそこへ退却した」


ロゼルンの王都は北西部にある。つまり、そこへ行くには南東部へ行く必要があった。

さらに、ブリジト王国の王都も南西部にある。北にクリル山脈、南に海岸地形を置く天然の要塞に王都を作ったのだ。

そのため、ブリジトの王は南東部に移動した後さらに西へと動かなければならない。自分の王都まで行くためには大きく迂回することになる地形なのだ。


「俺は退却する敵軍を追い越すつもりだ。ここ、ロゼルンの王都から南に直進してブリジトの王都に先回りし王都を占領した後、退却する敵軍を迎えるといった作戦といおうか」


王都の占領は偽装戦術。つまり、退却したブリジト王国軍のふりをして先に敵の王都に入城するつもりだ。

敵の軍服は熾烈な戦闘が繰り広げられた現場に無数に散らばっていた。


「ですが、総大将! クリル山脈は険難で有名です。ルナン王国でも知られているほどではありませんか!」


フィハトリが心配そうな口調で聞いた。


「所詮、これは挑戦だ。逸早く国境を越えることができれば、ブリジトの王都を占領して王を殺害し、ブリジト全体を混乱に陥れて簡単に壊滅を狙える。そもそも、我われルナンの目的はブリジトではないか。成功した時のことを考えればやってみるだけの価値はある挑戦だ。それに、今の士気ならなし遂げられると俺は信じてる。いいか、フィハトリ。結局、兵士を率いて山脈を越えられるかどうかは指揮官の力量にかかっている。俺と君の役目ということだ。君は自分の限界を試してみる気はないのか?」


俺の言葉にフィハトリはしばらくじっと何か考えている様子だったが、


「……そこまで仰るならやってみます。確かに、この方法が成功すればブリジトの壊滅は時間の問題という話になるかと。王が死んで、三剣士が死んで、さらに大勢の兵士を失ったブリジト王国なら……」

「そういうことだ。公爵殿下にはそのように報告してくれ」

「それは……! ご存知でしたか!」


フィハトリが驚いた顔で聞き返した。


「立場を考えれば君が殿下に報告するのは当然のことだろう。やるべきことはやって、しっかり備えるように。山脈の上は寒いだろうから防寒着も忘れずにな。俺たちの戦いはここから始まるんだ、フィハトリ」

「私の軍歴を総動員して準備いたします」


フィハトリはそう言ってうなずくと他の指揮官たちと一緒に会議室を出て行った。

もちろん、簡単ではない。

だが、ハンニバルもポエニ戦争でアルプス山脈を越えて勝利をもたらした。

その上、クリル山脈がアルプス山脈よりも険しいとは到底思えない。

それならやるしかない!

この世界を俺のものにするという目標のために。

そんなことを考えていると、他の指揮官が出て行くのを待っていたかのようにユラシアが口を開いた。


「それなら、私も一緒に行っていいですか?」

「君が?」

「はい。ぜひ、行かせてください!」


ユラシアが強くうなずく。

しかし、俺は否定的だった。

わざわざ彼女がついてくるような戦争ではなかった。この間の怪我にまだ包帯を巻いている彼女だから。


「ロゼルンの戦争は勝利に終わった。だから、王女の身分で危険を冒す必要はないと思う。それに君は怪我を負ってるだろ。そんな状況山脈を越えるなんて……無理じゃないか?」


「いいえ。ブリジトはロゼルンの敵も同然です。以前から国境の町では幾多の虐殺が行われてきました。それだけを考えても、ブリジトの最期を見届けるのは当然の義務だと思います。お願いです。体を休めるのはその後でも十分です!」


まあ、それはそうだ。

いずれにせよ、今回の戦争は誰が何と言おうと彼女の奮闘が大きかった。彼女が士気を高めておかなければロゼルンの兵士たちを動かすことは難しかったし、こうも簡単に敵を窮地に追い込むことはできなかったはず。

本人があれだけ望んでいれば断る口実はなかった。

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