第40話
*
「ミリネ、大丈夫なの?」
ミリネの手は傷だらけだった。ただでさえ、畑仕事のせいで手のあちこちの傷が癒える日はなかった。しかし、それでも裁縫だけは自信があったミリネは巧みに針を動かした。
「はい、大丈夫です」
「いくら何でもこんなにたくさんできる? とりあえず受け取ってはきたけど……」
同じ町に暮らす中年女性のマルフィが心配そうに言った。
「少しでも稼いでおかないと。ジントが戦場から帰ったら……。たくさん苦労した彼にお腹いっぱい食べさせてあげたいんです」
「まあ、この子ったら……」
マルフィはそうするほどにミリネが気の毒だった。ジントが帰ってくる可能性はほとんどないと思っていたからだ。力のない人たちは徴兵されてもただの消耗品。自分の兄もそんなふうに若い頃に徴兵されて死んでしまった。ジントのためだけに生きているようなミリネがこの事実をどう受け止めるかがとても心配でもう何度も言い聞かせていた。
「ジントに人生を捧げるのはよしなさい。もう生きていないかもしれないのよ……」
しかし、こんな言葉に返ってくる答えはいつも同じだった。ミリネは目の下にくまができるほど疲れていてもジントの話になると目を強く輝かせた。
「ジントは強いんです。絶対に生きて帰ってきます。絶対に」
その時、外から声が聞こえてきた。
「ここにミリネはいるか?」
初めて聞く男の声にマルフィとミリネは互いに見つめ合った。
一緒にいた町の人たちも怪訝な顔をする。
「どなたですか?」
マルフィがドアを開けた。
そこにいたのはエルヒン。
そして、落ち着かない様子で家の外に立っていたのはまさにジントだった。
「え……?」
その瞬間、ジントとミリネの目が合った。
*
どちらからともなく互いに駆け寄って抱き合う二人。
「ジント、怪我は……! 怪我はない?」
ミリネはジントの体の隅々まで確認しながら聞いた。ジントはうなずきながら答える。
「俺は何ともないよ」
ミリネはようやく安心したかのようにジントの胸に顔をうずめた。
「私はきっと生きて帰ってくるって信じてた。でも、町のおばさんたちはもう生きてないかもしれないって何度もそう言うから……。よかった、本当によかった……!」
ミリネの目からは涙がこぼれ落ちた。
「ジントが死んだら私も後を追うつもりだったから」
その悲壮な覚悟にジントも同じ答えを口にした。
「それは俺も同じだ」
そんな中、俺はその再会を邪魔する配慮の欠けたやつとなった。
「感動の再会をしたところ悪いが……。ジント、もう行こう」
感激に浸るのはエイントリアンに帰ってからでも十分だろ? 監視塔で狼煙を上げたから、近くを探しているだろうし、避けられない戦いが待っているから。
「ミリネ、事情があるんだ。ひとまずここを出よう」
ジントは俺の言葉の意味を理解したのかミリネを抱き上げると馬に乗せた。
「きゃっ! ジント!」
どさくさ紛れに生まれて初めて馬に乗ったミリネは急に眉をつり上げた。
「馬に乗って行くの? ってこれ……! ジント! また盗んだでしょ!」
「ごめん。いや、違うんだ。盗んでなんかない。彼の馬だよ」
ミリネに逆らえない様子でジントが俺を指さした。
「そういえば、どなた?」
その問いに俺はジントを見つめた。彼がどう答えるか少し気になったからだ。
「恩人」
「恩人って?」
ジントは少し予想外のことを言い出した。
「どういうことかはわかりませんが、とりあえずごめんなさい。ジントは口数が少ないのでうまく説明ができないんです……」
「それは十分にわかってる。それより、今はそれどころではない。話の続きは後にしよう」
すぐに馬を走らせた。すると、ジントも後に続く。
「待って、ジント!」
「ごめん。あとで全部説明する!」
「方向が違うわ! 町に帰るんでしょ?」
頭が混乱するのも無理はないミリネの叫びを後にして俺たちは来た道を戻り始めた。
そして、そこには予想通り国境の巡察隊が待ち受けていた。彼らはかなり探し回ったというようにひどく腹を立てた状態だった。
「閉鎖された国境を越えて来るとは。ルナンの回し者め!」
本来であればナルヤとルナンの国境は関所を通過することができた。ナルヤが戦争を起こす前までの話だ。しかし、状況が変わった今、こっそり越えてくれば回し者扱いは当然のこと。
[セントリートの国境巡察隊]
[100人]
[士気:76]
[訓練度:85]
巡察隊はナルヤの兵力に相応しくなかなかの強軍だった。
さらに、こんな巡察隊が国境のあちこちにいる。
100人の巡察隊が10個以上あり、連携された監視塔から随時合図が送られる。
そのため、兵力が殺到し続けるのだ。
今は100人でもすぐに1000人になるかもしれないということ。
国境の守備隊とはまあそういうものだ。
俺はそんな巡察隊から離れるためにスキルを発動した。
巡察隊の規模はよく知っていた。
この間の戦争。
デマシン・エルヒートがルオン城から送ってくれた敵の残存兵力。
それを全滅させたのは俺とジントのゲリラ戦闘だった。
そこで少しポイントを稼いだ。
現在の俺の武力は64。
そして、スキルが一つ増えた。
「ジント、ここは俺に任せて後ろに下がってろ!」
「そんなわけにいくかよ! 俺も手伝う」
「いいからミリネを守れ。あの程度なら俺ひとりで十分だ。彼女に何かあったらここまで来た意味がなくなるぞ!」
「くっっ……。わかったよ」
ジントもそれは否定できなかったのか、ミリネを抱き上げて馬からおろした。
「ジント? ちょ、ちょっと!」
そんな状況で、
[地響きを使用しますか?]
大勢の敵を相手する戦闘において必要なのは範囲が広いスキルだ。
既存スキルはその範囲が狭かったため、新たに購入したスキルを使うために剣を地面に刺した。
すると、剣の先から始まった地割れが兵士たちの100メートル前まで伸びていく!
地割れが走った地面から赤い光が放たれると、
ゴゴゴゴゴゴゴッ!
100のうち前にいた半分以上の兵力が倒れ始めた。
うぁあああっ!
スキルの威力により残ったのは30人ほど。
このくらいならなんてことない。
[特典を使用しますか?]
大通連を振り回して残りの兵力を始末した。
あっという間の出来事にミリネは目を瞬かせるだけで、ジントは俺のスキルがうらやましいというような顔をしていた。
「ジント、すぐに山を登って国境を越えるぞ。後を追ってくる別の部隊を引き離す!」
後ろから巡察隊が追ってきたため俺は道を急いだ。
幸いにも、引き離すことに成功した。
集まり出した巡察隊は遅れて俺たちの後を追いかけ始める。
「回し者だ、捕まえろ! おい、止まれ!」
山の麓でそう叫びながら追いかけてくるが、それで立ち止まる逃亡者がいるかよ。
最初の巡察隊を全滅させて距離を確保できたから逃げることに大きく問題はなかった。
さらに、ジントはミリネがつらくなってきたところで彼女を抱き上げて走ったため、なおさら問題なく山の頂上を基準とする国境を越えることができた。
山を下ればナルヤの巡察隊を心配する必要はなくなる。
回し者を逃せばそれまでだ。巡察隊が国境を越えればそれは宣戦布告も同然となる。一介の領地の巡察隊にそんな権限はなかった。
やがて俺たちの前にはエイントリアンの平地が広がった。
それはまさにミリネを連れ出すことに成功したという意味でもあった。
*
数日後、エルヒンは侍従長を通じてミリネとジントが住む家を用意した。
領主城付近にある素敵な2階建ての家だった。
ミリネはこの状況が到底信じられず何度も何度もジントに確認した。
「本当に私たちがここで暮らしていいの? 本当に? 夢じゃない?」
夢でないことは確かだった。ミリネはそう思った。こんな家は夢にも見たことなかった。これまで暮らしていた家はいつ崩れてもおかしくない廃家。家の中に入ったミリネはあちこち見て回りながら感嘆の声を漏らした。
「ジント、見て! ベッドがある! ふかふか!」
ベッドに寝転んでみると、今度はキッチンを見てまた驚いて叫んだ。
「ねえ! このキッチン……。私こんなの初めて見る。これでたくさん美味しいもの作ってあげれるわね」
ジントが近づくとミリネは彼の胸に額を寄せた。
「ジント……。私、すごく嬉しい。これが現実なら本当に幸せな瞬間よ。本当にこれ全部信じていいのかな?」
「ああ。彼は戯言を言うような人じゃない。他の貴族とはまるっきり違うんだ」
「待って、ジント。彼って……。まさか、領主様のこと?」
「そうだけど?」
「ばかーっ! ばかばかばか! 領主様を彼だなんて何言ってるのよ!」
「でも……。ずっとそう呼んできたし……」
ミリネが呆れたというようにジントの両頬をつまんだ。
「家臣なんでしょ? だったら、ちゃんと格式を持たないと!」
「……わ、わーったよ……」
頬をつままれてまともに発音できないままジントはうなずいた。
「とにかく、ジントが領主様と一緒に国を救ったってこと?」
「そういうこと。それがナルヤではないけど……」
「ばかね! ナルヤなんてどうでもいい。そんなのはどうでもいいわ。これからは、私たちを受け入れてくれたここが私たちの国よ!」
「そうか……」
「当然でしょ。私たちのような賤民……逃亡者を受け入れてくれるなんて。それに、ジントの才能をわかってくれて……。本当にいい人じゃない! ジント、どうやって恩返しすればいいかな? いったい、私は何個縫い物をすれば……。いや、何万個かな?」
ミリネは両手で数えると到底数えきれないというように目をぐるぐる回し始めた。
「でも、頑張るね! あっ、そうだ! 私、縫い物をしてこのくらい集めたの」
ミリネは大事にしまっておいた1枚の銀貨を懐から慎重に取り出した。
「これで美味しいもの買ってあげる……。だから……。私たち……。ずっと一緒にいれるのよね?」
1枚の銀貨をぎゅっと握りしめたままミリネは泣き出した。
会った時から我慢していた涙が溢れだしたのだった。
そうするほどにジントは牢獄に監禁されていた自分の姿が思い浮かんだ。
彼がいなければミリネの目に喜びの涙を浮かべてやることはできなかった。
だから、これは重みのある恩義だった。
自分の剣が折れて首が地面に転がっても返しきれない恩。
そんなことを思いながらとジントは両手の拳をぎゅっと握った。
*
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