第39話
*
王都を離れて数日。
ついにエイントリアンの城郭が見えてきた。
戦場から我が家への帰還は感無量だ。
エイントリアンが我が家となってまだ間もないが、それでも今はここが俺の家だから。
「あれが領主城だ」
目の前に見える城郭を指し示すとジントは前方をじっと見つめた。
そして、静かにうなずく。
基本的に無口なやつだから仕方ないがおかげで沈黙の旅路となった。
ユセンとギブンには家族を連れて来るよう取り計らったから当然の結果というか。
エイントリアンの城門に着くと、ようやくその退屈な時間が終わった。
「閣下!」
「ご主人様!」
ハディンと侍従長が兵士たちを率いて出迎えてくれたのだ。
「領主様!」
兵士たちも俺を呼びながら一斉に跪く。
「すでに城内は閣下の武勇伝でもちきりです。誇らしい限りです、閣下!」
膝をついた状態で誇らしげな顔をして叫ぶハディン。
「武勇伝だと? 俺はただ帰るとしか伝えていないはずだが?」
「それも、噂は全王国に広まっています。エイントリアンだけではありません!」
王都で時間を過ごしている間にもうそれほどにも噂が広まったのか?
[エイントリアン領地]
[民心:85]
確認してみると70だった民心が85まで上昇していた。税金を免除しても70で止まっていた民心が。国を守ったという名声の効果は確かなようだ。
「はてさて」
俺は頬を掻いた。
悪いことではない。むしろ、この名声を望んでいた。
ルナン王国が滅亡した後の独立で大いに役立つであろう。
「まあいい。ひとまず領主城に行く」
「はい、閣下!」
ハディンの言うように都市は賑わっていた。
都市の領民たちがみんな外に出てきて歓呼していたからだ。
悪徳領主として名高かったのが嘘のようにすっかり認識が変わっていた。
まさに85という民心を実感させられた部分だ。
その熱い民心を肌で感じながら領主城に到着した。
もちろん、領主城で休むつもりはない。
疲れていてもやるべきことがある。
領主になったばかりの頃に比べれば、いろんな経験を通してだいぶ体力がついてきた。
だから、休むのも領地の様子を見るのも後だ。
「二人とも執務室までついてくるように。ジント、お前もだ」
まずは侍従長とハディンにジントのことを話してから、すぐに国境の町にミリネを迎えに行くつもりだった。
戦場からエイントリアンに帰ってくる途中で立ち寄ることも考えたが、それでも最低限の備えはしておきたかったため方針を変えた。
約束を守るということ。それが俺の信条だ。
だから、帰ったら真っ先にやるべきことはこれだった。
「心配するな、ジント。指示だけ出したらすぐに出発する」
ナルヤ王国。セントリート領地の国境沿いの町。
正直、エイントリアンからかなり近かった。国境を接している町だ。
「本当か?」
その言葉にようやくジントは表情を緩める。ずっと強張っていた表情が緩んだのは初めてのことだった。
「嘘をついてどうする」
実際すでに飛び出していてもおかしくないはずのジントだ。
だが、一人で行くのは不安なため言葉を尽くして止めた。
約束は一緒に迎えに行くというもの。
だから、ジントは我慢していたのだ。
俺の言葉に従わなければエイントリアンが保障してくれるという幸せはなくなる。
それがなければ、結局は脱営した軍人として逃亡者になるだけだから。
もちろん、幸せにしてやるという俺の約束を信じているからこそ我慢しているということは確かだった。
「二人はこの男が誰なのか気になるだろう」
執務室でハディンと侍従長に視線を向けた。
その問いにハディンがすぐにうなずく。
「はい、閣下! いったい誰でしょうか?」
図星を突かれたというような表情でハディンが聞いた。
「エイントリアンの新しい家臣だ。彼は以前攻め込んできた十武将のランドールより強い」
「あのランドールよりもですか?」
ハディンが驚いてジントを見つめる。
「それだけか、あの有名なエルヒート閣下とも好勝負を見せてくれた」
「なんと……! エルヒート閣下ともですか?」
エイントリアンの貴族なら誰もが知る、あの有名なルナン王国第一武将の名前をあげると、ハディンは開いた口が塞がらなかった。ランドールの時よりも驚いたようだ。
「ジント、挨拶するんだ。こちらはエイントリアン領地軍の指揮官ハディン男爵だ」
その言葉にジントはハディンに向かってそっと頭を下げた。
「そして、こいつの女を連れ出すために今からナルヤの国境の町に行ってくる」
「そんな、急に国境の町だなんて!」
「戦場で約束したことがある。それに、約束は必ず守るためにあるものだ」
少なくともハディンと侍従長はジントの事情を知っているべきである。
侍従長にはこれからジントとミリネの面倒を見てもらう。彼女の事情もあるため、連れてきたら当分の間は領主城で寝泊まりさせるつもりだから。
ハディンは軍の総指揮官。
だから、当然知っているべき人物。
長い話をできるだけ短く説明すると、ハディンは感激した顔でジントの背中をさすった。
「そんな事情があったのか。すばらしい男ではないか!」
まあ、ハディンはこんな性格である。
悪徳領主のせいで1年も監禁されていたのに恨むどころか忠誠度に変化のなかった男だ。
「それでは、私が一緒に行ってまいります。閣下が直接行かれるのはどうも……」
しかし、いつも先走りすぎてしまうのが問題。
「直接行かないと俺の気が済まない。何かあったらなんてそんな考えは捨てるんだ。俺が信用ならないか?」
「いえ、そんなはずが!」
「では、そういうことだ。侍従長は領民の服を2着準備してくれ。貧相な服で頼むぞ」
「かしこまりました。ご主人様!」
目立つ必要はない。
軍服などなおさら着て行けるはずもなく貴族の服を着て行くのも目立ってしまう。
こっそり連れ出すのがベストだ。
軍隊を率いて攻め込むわけにはいかないだろ?
セントリート領地ほどなら占領するのは難しくないが、自分の領地を奪われたナルヤの王が黙っているはずはない。
大征伐の準備だ何だと言って報復を図ろうとするだろう。
そうなればまた戦争だ。
それこそ厄介なことになる。力を蓄えることができない。
今は戦争ではなく戦争の準備をすべき時だ。
できるだけ静かな方がいい。
もっとも、人ひとりを連れ出すのに軍隊が動くことでもない。
「ところで、関所の修繕工事は進んでいるか?」
エイントリアンにフランが囮部隊を送りこんできた時。
地震で崩壊した関所は使うことすらできなかった。
今後のためにもこの関所はしっかり修繕しておくことが重要となる。
そこで、お金も十分にあるため戦場に出る前に修繕を指示していた。
大規模工事だからまだ終わってはいないだろうが。
「はい、閣下。進めているところです。冬までには完成するかと」
「そうか。大工事だから十分な報酬を支払うように」
「もちろんです、閣下!」
とにかく、領地を統括するのは国境の町から帰った後だ。
*
時刻はまだ昼下がり。
通り道にある関所の工事をしばらく眺めてから山道に立ち入った。関所を通過すると平坦な道が出てくる。その道を進めばナルヤの関所が出てくる構造。
今回の戦争が起こる前は商人たちが行き来していたが、今は固く閉ざされている。
その関所を越えるには戦争をしなければならない。
だから、俺とジントは山を越えてナルヤ王国に移動した。
二人で越えるのはそれほど難しいことではない。
もちろん、山を越えれば問題は発生する。
山の麓の至る所に監視塔がある。そこには哨兵がいて国境の巡察隊と連携していた。
どのみち予想はしていたことだ。
だから当然、すべて対策は練ってある。
ナルヤ王国の国境の町にいる一人の女をいち早く連れ出すミッションなのだ。
馬を引いて山を越え、山の麓に到着するなり馬を走らせた。
「急いで町まで行くぞ!」
監視塔で俺たちを発見したのだろう。空に煙が立ち上る。
こうなると、もっと早く動く必要があった。
「畑仕事の後によくミリネとあの丘で休んだもんさ」
「そうなのか」
そんな中、ジントが畑と丘を指さした。畑とはいってもかなり小さく荒地だったが。
開墾しようと苦労した痕跡が一目ではっきりわかった。
「あそこでミリネが作ってくれた草粥を食べたりもしたよ。あれは本当にうまかった」
ジントは思い出に浸るように丘をしばらく眺めた。
そして、遠くに見えだした町を指さす。
「あそこ、あの町だ!」
丘の向こうに見える小さな町に向かってジントはさらに馬を急き立てた。
国境の町は他国の侵略に真っ先にやられるため命がけで暮らさなければならない場所。
すべてを失った人の最後の拠り所のようなところだった。そんな中、ジントは町外れにある崩れかけた廃家の前で止まった。
「ミリネ!」
切実な声が聞こえてくる。
「ミリネ!!」
そう呼ぶ声はもう一度繰り返された。
その瞬間、悪い予感がした。
声には切迫感が募っていたのだ。
何事もなければ彼女を呼ぶ声には喜びがにじみ出ているはずだった。
ところが、切迫感だなんて。
案の定、廃家から出てきたジントの顔は青ざめていた。
ジントは外へ出てきてからも狂ったように叫び続ける。
「ミリネ……!」
そういえば町全体がとても静かだった。人が暮らしていないような静けさというか。
「ミリネ―っ!」
自分の家だけでなく辺りを探し始めるジント。
その大きな声に、
「誰だね、騒いでいるのは」
隣の家から一人の老人が歩いて出てきた。
俺は手綱から放たれた馬のように駆け回るジントを一旦放置して老人に近づいた。
「失礼ですが、隣の家に暮らすミリネという女性をご存じで?」
「もちろん、知ってるとも。さてはあれ、ジントだな?」
「そうです」
「そうか、生きて帰ったか。徴兵されたら死んだも同然だとみんなそう言っていたが」
老人が不思議そうな顔で呟いた。
「それより……。ミリネはどこですか? 町の人たちの姿も見えませんが」
「働きに出たのさ。隣町の畑仕事を手伝って縫い物もやってくるとか」
「なるほど」
よかった。一瞬、心臓がどきどきしたが安心した。
何だか物寂しく見えるのは徴兵のせいだったようだ。
残ったのが老人と女性だけともなればそういうこともあるか。
「ジント!」
俺は取り乱すジントの体に飛びついた。そして、いきなり顔を殴る。
バスッ!
特典を使っていない状態だから俺の武力の方がはるかに低い。
それでも軽快な音と共に拳がジントの顔面を強打した。いつもなら十分に避けられるはずのジントだが、それだけ正気を失っているということだ。
「しっかりしろ! 隣町に働きに出ているだけのようだ!」
俺の言葉にジントが目を瞬いた。
「それは本当か……?」
「とりあえず落ち着け。隣町がどこなのかは知ってるか?」
「もちろん知ってるさ」
「それなら早く先頭に立つんだ! 時間がないぞ!」
*
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