第169話 懐かしい記憶
「……ごめんなさい。痛かったよね」
「さっきも言ったけど、痛くないって」
テーブルで夕食を食べているけど、遥香ちゃんは食べずに謝り続けている。
それに、持っているのは箸ではなく救急箱だ。
俺達3人は困ってしまい、優子さんがため息を吐きながら遥香ちゃんを見る。
「遥香、早く食べなさい。そもそも人参が刺さる訳ないでしょ」
「……だって、お婆ちゃんが」
遥香ちゃんがこんな状態になったのは千代さんの一言だった。
遥香ちゃんが抱き着いてきた後、千代さんが「人参が刺さってる」と呟いて、それを聞いた遥香ちゃんは「寛人くんが死んじゃう」と大騒ぎになる。
そして消毒や絆創膏に包帯と、手にいっぱい持ってきて、俺の服を脱がそうとした。
「本当に刺さってたからねぇ。吉住くんは痛そうだったし」
千代さんは笑いながら、幼児化してしまった遥香ちゃんにトドメを刺す。
「……ほら、やっぱり。寛人くんが……」
「千代さんも遥香ちゃんに余計なことを言わないでください。完全に面白がってますよね? ……遥香ちゃん、痛くないって。ほらっ、血も出てないでしょ?」
シャツを捲って、人参が当たっていた背中を見せた。
「……赤くなってる、ごめんなさーい」
しかし、遥香ちゃんには逆効果だったみたいで、わんわんと泣き出してしまう。
この姿は幼い頃に見ていた遥香ちゃんだ。
慌てていた時から感じていたけど、今の遥香ちゃんは『相澤遥香』ではなく『佐藤遥香』に戻っている。
……こんな時はこれしかないか。
遥香ちゃんを泣き止ませるには頭を撫でるしか方法がない。
隣で泣いている遥香ちゃんに、幼い頃と同じ行動を取った。
「痛くないし大丈夫だから」
「本当に痛くない?」
「ああ、痛くない」
俺の言葉で遥香ちゃんは泣き止んだ。
「寛人くん大きくなったね」
「昔は手を伸ばさないと届かなかったな」
一緒に居た頃は、俺の身長はクラスで一番低く、遥香ちゃんは一番高かった。
だから手を伸ばさないと届かなかったけど、今は胸元くらいの高さしかない。
遥香ちゃんは落ち着きを取り戻し、俺を見上げている。
「昔みたいに泣いちゃってゴメンネ」
「懐かしかったよ」
「大人になるって言ったのにね」
「そうだったな」
「だから、もう泣かない」
そう言った遥香ちゃんは『相澤遥香』に戻っていた。
「泣いたって良いよ。どっちも俺の好きな遥香ちゃんだ。……じゃあ、ご飯食べようか」
「うん、私もお腹空いちゃった」
◇
夕食が終わり休憩していると、また遥香ちゃんが謝り続けていた。
「……寛人くん、ごめんなさい」
「遥香ちゃん、気にしなくて良いから。……ほらっ、『楽しみは後に取っておいた方が幸せ』って言うでしょ?」
人参事件の時、途中で席を立った優子さんが料理の続きをしてしまい、遥香ちゃんの手料理が食べれなかったからだ。
「そうだけど……お母さん、どうして作っちゃったの? 私が寛人くんに作りたかったのに……」
「なに言ってるのよ、アンタが寛人くんの手を離さなかったからじゃない」
優子さんがそう言うと、千代さんも頷いていた。
ちなみに頭を撫でていたら、遥香ちゃんが離してくれなかったのは本当だ。
「寛人くん、次は絶対に作るからね。今度はお母さんに邪魔させないから」
「分かった。楽しみにしてるよ」
「うん。……あっ、そうだ、食後の飲み物を用意するけど、コーヒーと紅茶のどっちが良い?」
「じゃあ、コーヒーで」
楽しみは後にとは言ったけど、やっぱり食べたかった気持ちもある。
だけど、昔の遥香ちゃんを見れたから懐かしさの方が強かった。
◇
ソファーで用意されたコーヒーを飲みながら2人でノンビリしている。
優子さんは食器を洗っていて、千代さんは「仕事が残ってる」と言って自室に戻った。
「洗うから置いといてって言ったのに」
遥香ちゃんは優子さんを見ながら顔を曇らせている。
「俺が居るから気を遣ってくれたのかも。でも……少しだけ、台所に立ってる遥香ちゃんを見たかったけど」
「……台所に立ってる私? そんなの見ても楽しくないよ? どうして?」
「新鮮だったから……かな」
遥香ちゃんは不思議がっているけど、俺にとっては新鮮に思えた。
「髪型だよ。今は下ろしてるけど、料理を作ってる時はお団子にしてたでしょ? それが……なんと言うか……可愛かった」
何度も可愛いと言ってるのに、何故か恥ずかしくなった。
しかし、そんな俺とは反対に、遥香ちゃんは不満気な表情を見せてくる。
「えーっ、髪型を変えて良かったの?」
「……? 良いんじゃないか」
言ってる意味が分からなかった。
だって、髪型なんて個人の自由だ。
遥香ちゃんは可愛いから、どんな髪型でも似合うと思うし、見てみたい気持ちもある。
そんなことを考えていると、遥香ちゃんは気落ちした様子になった。
「子どもの頃、寛人くんが言ったんだよ? 私の髪型が好きだって。……覚えてない?」
「覚えてるけど、もしかして……その頃から髪型を変えてないの?」
「うん、変えてないよ。寛人くんが好きだって言ったから」
アルバムに写っていた遥香ちゃんは、今も昔も同じ髪型だった。
サラサラの長い髪が好きで、言葉で伝えていたのも覚えてる。
俺はなんとも言えない気持ちになった。
会えなかった間、どんな気持ちだったのかを嫌でも分かってしまう。
だから、改めて伝えないと……
「俺は遥香ちゃんの髪型が好きだよ。だけど、さっきの髪型も可愛かったと思ってる。だからさ……遥香ちゃんの好きにして良いよ。俺はどんな遥香ちゃんも好きだから」
遥香ちゃんは「うん」とだけ返事をして、昔と変わらない笑顔を見せていた。
そして、何かを思い付いたのか、イタズラをする子どもみたいな表情に変わる。
「じゃあ、綾ちゃんみたいにバッサリと切っても良い?」
えっ、西川さんみたいな髪型? それってショートカットだよな。
「うーん、それはダメ……かな」
「ふふっ、そうだよねー。でも、今の長さで色んな髪型をやってみるね」
「ああ、それなら大歓迎だ」
この後も遥香ちゃんと話していて、帰る時間になった。
◇
「それじゃ帰ります。ご馳走さまでした」
「私はそこまで見送りに行ってくるね」
優子さんと千代さんに挨拶をして、遥香ちゃんと玄関を出る。
「暗いから見送りはしなくて良いよ」
「大丈夫、ここまでだから」
家の外に街灯はあるけど、暗くなっているから1人で歩かせたくない。
そう思っていたけど、遥香ちゃんは玄関の前で立ち止まった。
そして辺りを見回すと、内緒話があるのか、両手を口に当てて小さな声を出す。
「寛人くん、ちょっと耳を貸して」
不思議に思いながらも言う通りにして、聞きやすいように少し屈んだ。
「あのね、撫でてくれた時、子どもの頃を思い出したって言ってたでしょ? 寛人くんは覚えてるかな? 他にもやってたことがあるんだよ」
そう言うと、遥香ちゃんの唇が俺の頬に触れていた。
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