4曲目 揺らがないもの
「ごめん、おれ、まだ付き合うとかよくわからなくって………!と、友達からでもいいかな………?」
「妄言吐くの、そろそろ怖いからやめて」
朝の会後、東棟と西棟を繋ぐ渡り廊下で、俺と小川は向かい合っていた。
「え、愛の告白じゃないの?」
「誰も告白だなんて言ってない」
………少し期待していた自分がいた。
小川は俺の渾身のボケをスルーして淡々と続ける。
「時間ないから短く言うね。栗原、軽音楽部に入って」
「………ん?え、もっかい?」
あまりにあっさりしすぎて、聞き間違いかと思った、けど。
「軽音楽部、入って。栗原、ドラムできるでしょ」
………え?
頭が軽くパニックを起こす。え、ケイオンガク?ん?ってか、
「なんで小川知ってんの!?」
俺がドラムを叩けるって知ってるやつは、この学校にいないと思っていた。なぜならドラムスクールは転校前に辞めているからだ。
それなのに、なんで彼女は知っている!?
「栗原ってなんかリズム感いいから」
「理由になってないよそれ!ほぼ勘じゃん!」
こんなしょぼい根拠でよくもあんな堂々と誘えたな!?
「でもその反応、本当に叩けるってことだよね」
「ぐっ………!」
俺は少し悩んで、この言葉を口にした。
「………ごめん。俺、軽音楽部入れない」
彼女は一呼吸置いた後「それ入れない、じゃなくて入らない、でしょ」と言った。
「入れるよ。だって栗原、ドラム叩けるじゃん」
「叩けないよ、もう」
クラスメイトに裏切られたあの日以来、俺はドラムに触っていない。
あの日の出来事があまりにショックすぎて、他のことには何も手がつかなくなってしまったからだ。だから、ドラムスクールも辞めた。
あの日から何年経った?二年だ。二年もドラムに触れていない奴に突然スティックを渡して、一体何ができるっていうんだ。
「叩けるよ」
ああ、しつこいなこの人………。
「………とにかく入れない。悪いけど他、あたってくれ」
もうほっといてくれ。
俺が神妙な顔で重ねて断ると、小川は黙りこくってしまった。
束の間の沈黙。なんだか気まずくなって、結局再び俺が口を開くはめになる。
「え、軽音楽部ってそんな人手不足なの?俺誘わなくちゃダメなくらい?」
「ん……っていうか、私が見込んだ人しか誘ってないから」
ゔ、この妙に上から目線なの、さすが小川って感じ。まだ出会って三日?くらいしか経ってないけど要所要所でこの人は変なプライドを押し出してくる。
「じゃ、じゃあ後、俺以外は誰を見込んで誘っているのよ、小川サン」
「………あんたが軽音部に入ってくれたら教えてあげる」
「そんな手にのって俺が軽音学部に入るとでも!?」
その時ふと、小川の視線が廊下の窓の外、中庭に向いていることに気づいた。少しだけ彼女の瞳が大きくなる。「ねぇ、栗原」「な、なに」
「あんた、たしか学級委員長だよね」
「お、おう?」
「ならあれ、止めてきて」
彼女は中庭の一角を指差して、
今度は俺の目をしっかりみて、言った。
★
助けなきゃ。
その光景を見たとき、咄嗟にそう思った自分がいた。
”ちょ、やばいって!”
”こいつの顔みろよ、ウケる!”
”おいあんま騒ぎすぎっと先生くるから!ほどほどにな!”
中庭の一角で何やら男子の集団が五、六人で群がっている。その中心では一人の男子が羽交い締めにされていて、集団に代わる代わるパンチや蹴りを入れられていた。
殴る。羽交い締めにされている奴が遠目にもふらついたのがわかる。そこにすかさず別の奴が羽交い締めにされている奴の顎を蹴り上げる。勢いよくそいつが中庭の池の方に吹っ飛んだのを見て、集団は爆笑の渦に包まれた。
これがいじめの現場だというのは、火を見るよりも明らかだった。
………吐き気がする。溺れるほどの冷や汗が一気に背中を寒くする。心臓が冗談抜きで口から出そうになる。手が震える。自分は殴られていないけど、その痛みはわかる。
二年前のあの日、万引き犯に集団リンチされた日のことを思い出す。
「あの真ん中にいんの、うちのクラスの近藤だよね………相変わらず、いじめられてんだ」
助けなきゃ。
このままだと近藤はかなり酷い怪我をしてしまうだろうし、何よりこういう時に誰かに味方してもらえるというのはとても救われることだから。
助けなきゃ、あいつらを止めなきゃ………!
そう思うのに、足が地面に張り付いたまま動かない。恐る恐る足元を見ると膝が小刻みに震えていた。
………怖い。怖い?なんでだ。
助けに行けばいいだけじゃないか。
俺は一体何にこんなに怯えてるんだ?
殴られること?蹴られること?
いや、ちがう。
また、「正しい」の選択を、間違ってしまうこと。
選択を間違って、またいじめられることだ。
どう選択すれば、俺は前みたいにいじめられなくて済むのか。クラスメイト全員に、無視されなくて済むのか。一番の親友さえも、失わなくて済むのか。
近藤を、助けなきゃ。けれど、その選択は………
本当に正しいことなのだろうか?
また間違って、いじめられる選択をしてしまったら。
最低だ、俺は今、近藤の無事より自分の無事を優先してしまっている。
高橋達の下品な笑い声が耳を貫く。まるで耳元で笑われているみたいに聞こえる。次に近藤の微かなうめき声、苦しさに歪んだ顔。本当は聞こえないはずのものまで聞こえてきて、思わず目を閉じ、耳を塞いだ。それでも頭には耳鳴りが響く。
二年前の古傷。
駄菓子屋のばあちゃんの笑顔。
万引き犯が机を蹴っ飛ばした音。
クラスメイトの視線。ミズキの横顔。
でも、それらの画像全てを吹っ飛ばして、
”困っている人がいたら、助けなきゃ!”
心の中の、あの頃の自分が叫んだ。
………ああ、もう。
こんな自分が、つくづく嫌になる。
「………放っておけるわけ、ないっての」
小川はただ一言、「いってらっしゃい」と呟いた。
その声を合図に、足を踏み出す。心臓が早鐘をうつ。そのリズムが、俺の足を更に急がせる。
あの頃、俺の世界は勇気と自信に満ち溢れていた。
あの時何かが揺らいでから、何か自分が大切にしていたものを失ったような気がして、ずっと拭えない喪失感にうつむいていた。
でも、結局俺はなんだかんだで俺なのだ。
困ってる人を放っておけない。
見て見ぬ振りなんて、最初からできないって俺自身が一番わかっていた。
馬鹿だ。また、同じことを繰り返すかもしれないのに。
「おまえら、かくごおおおおおおおお!!!」
拳を力一杯振り回しながら中庭に全力疾走で乱入する。あの日と同じ、そうやって馬鹿馬鹿しいほどの正義感を振り回す。
「は、だれおまえ…ん!?栗原!?」
傍観者組の三井がぎょっとしたように俺をみた。
「え、栗原?」
「なんでお前いんの?」
その言葉の間をすり抜けて俺は二人に近づく。
そして今まさに近藤の襟首を掴み上げていた高橋と近藤の間に無理やり割り込み、「はい、そこまでーっ!!!!」と二人を引き離した。
不意をつかれた高橋がぎょっとしたように俺を見たあと、
「………なにお前。ヒーロー気取りかよ、きも」
そう、低い声で唸った。その言葉に俺の心臓が大きく跳ねる。
けど、その時一瞬見た近藤の瞳が揺れたのを俺は見逃さなかった。
間違いとか、間違いじゃないとか、俺にはやっぱりわからない。
でも、
「おい、集団でやるなんて卑怯だろ!ちゃんとやるなら一対一でやれよ!」
その近藤の救われたような顔を見た時、
俺は自分の『揺らがないもの』を、
なんだかもう一回、信じてみたくなった。
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