3曲目 トラウマ

あの頃、俺の世界は自信と勇気に満ち溢れていた。


「おいっ、ばぁちゃん今目ぇ離した!今だよ今!」

「何もってく?すもももち?」

「ばーか、もっとものにしろ!!」


忘れもしない、小学四年生の冬。

週三回、放課後に通っていたドラムスクールからの帰り道。


【駄菓子屋セキエイ】の横を自転車で走り去った時に聞こえた妙な会話が、自然と俺………栗原明石くりはらあかしの足を止めさせた。


今、なんて?

もってく、と言っていた。………何を?


“駄菓子屋のばぁちゃんさ、最近急に耳悪くなったよな。俺昨日すもももちください、の一言なかなか聞き取ってもらえなくてさー、五回も叫んじゃったよ“


“わかる、なんかボケてきてるよな。お釣りの間違いも多くなったってタツヤさん言ってたし“


昨日、友達と交わした会話が瞬時に蘇る。駄菓子屋セキエイ限定の駄菓子、すもももち愛好家の俺の親友・ミズキの眉間によったシワも。


“ぶっちゃけ、あの店防犯設備悪すぎだよ。いっくら駄菓子屋だっつったってさー、常時入口の扉全開な上に店主のばぁちゃんがあんなんじゃ、いつ万引きされてもおかしくないじゃん“


俺は走ってもと来た道を引き返した。


店の中で、ばぁちゃんは何やら電話で誰かと話していた。「そうねぇ、それは楽しいわねぇ」顔のシワが綻び、口元を遠慮がちにあげる、駄菓子屋のばぁちゃんのいつもの笑い方だ。


ただ、いつもと違うのは。


「まぁこんくらいでいんじゃね?」

「うっしゃこれで今月のお小遣いノーダメージだ、ラッキー」

「はやく公園行って食おうぜ」


手提げ袋にパンパンに駄菓子を詰め込み、金を払わず堂々と店の入り口から小学生が出ていこうとしていること。


万引き犯はあんなに大声で、しかも集団で話しているのに、おばあちゃんは電話に夢中で一向に気付く様子がない。


ばぁちゃん!!

咄嗟に俺は叫ぼうとした。ばぁちゃん、店の駄菓子、万引きされちゃうよ!


だけど、俺が実際叫んだのは全く違うセリフだった。


「おいっ、やめろよ!」


気づくと俺はそう叫んで、万引き犯の中で一番タッパのある丸刈りの奴の肩を掴み

「万引きは犯罪だろ!警察呼ぶぞ!」

その肩を思いっきり突き飛ばしていた。


自分は正しいことをした。はずだった。

実際俺の叫び声を聞いてばぁちゃんは万引き犯に気付き、そのあと警察、学校と連絡が回り無事万引き犯達はこってり叱られていた。


俺は担任の先生から「よくやった」とあの時叫んだ勇気を褒められたし、ミズキも「俺も前からあいつらずっと駄菓子屋に入り浸っててクソ邪魔だなってイライラしてた。明石あかしがばぁちゃんにチクってくれてせいせいしたわ」と俺の肩を叩いた。


自分は正しいことをした、だけなのに。

なぜか俺はその日から、よく物を失くすようになった。

初めは上靴から。次に筆箱、体操着、教科書、ランドセルの順で物が消えた。

大抵は中庭の池やら、ゴミ箱やら、トイレの中でみつかった。誰かが故意にやったのは明らかだった。

犯人が誰かなんて、探さなくてもわかった。 


「おまえ、見ててキモいんだよ。先生に媚び売ってさ、なに、先生に気に入られようと必死なの?」


あの時の万引き犯の犯人は、一個上の先輩だった。どおりででかくて、雰囲気が違うと思った。


「万引きする方が悪いんじゃないんですか?」

俺も最初は強気だった。どう考えてもこっちに非がある、なんてことないはずだ。一度五対一の集団リンチにもあったけど、その時は俺なりに必死に抵抗して力一杯相手を殴りまくった。


ある日、いつもは昼休みしか攻撃してこない万引き犯達が授業中に突然俺のクラスに押しかけてきた。

俺ごと机を蹴っ飛ばし、床に転がった俺の上に馬乗りになる。運悪く、俺らのクラスに先生はいなかった。“自習“の時間をこれほど呪ったのはこの時が最初で最後だ。


同学年の中でも比較的身長が高い方だった俺も、小学生の一歳差には勝てない。抵抗しようにもどうも、相手の力が強くて起き上がることさえできない。

殴られた衝撃で、目の前が真っ暗になる。

鼻血が噴き出し、床を濡らした。

自分一人じゃ手に負えない。そう判断した俺は、とっさに近くにいたクラスメイトに視線を送った。

助けて、その意を精一杯込めて。


でも。

そいつは一瞬俺を見た後、すぐに目をそらした。

………え?

信じられなかった。信じたくなかった。

でも、現実は憎いほど残酷だった。

いつもは「あんなやつ、無視しとけよ」と俺に味方してくれるクラスメイトが、誰も俺と目を合わせてくれない。

巻き込まれるのは面倒だ、皆の顔にそう書いてあった。

万引き犯は構わず俺を殴り続ける。

どうしていいかわからなくて、どうしようもなくて、俺は絶望のどん底に叩き落とされた。


………なんで。


“自分は正しいことをした“

はずなのに、なんで。なんで誰も、俺の味方をしてくれないの?


あんなに仲良かったミズキでさえ、悔しそうに唇を噛んで俯いていた。ミズキは、ただ殴られ続ける俺を見ようともせずに、その光景から逃げるように教室をとびだしていった。


その時、俺が生きる上で常に指針としていた「何か」が、

少しだけ、揺らいだ気がした。


正しい、正しくない。

誰が正しくて、誰が間違っているのだろう?

俺の今まで信じてた「正しい」は、全て「間違い」だったのかな。

そうかもしれない。だから、いじめられたんだ。 


俺が、間違っていたのかもしれない。 


みんなも本当はそれを知ってて、味方するフリして陰では俺のことを笑っていたんだ。

ミズキも………そうだったのかも、と考えると俺は今でもたまに泣きそうになる。


あの日から、二年。


六年二組のドアを全力で開け、

「おっはよー!」

今日も俺は、あの日駄菓子屋の前で叫んだのと同じくらいの声量で朝の訪れを叫ぶ。


人生史上最大の裏切りにあったあの日を境に、俺はもとの花菱東小学校からこの私立白仙学園初等部に転校した。

白仙学園には「編入制」が存在し、編入試験を受けることによって学年の途中からでも他の学校から転校することができる。


編入から二年後の今年、俺はついに白仙学園初等部の最高学年に進級した。

最上級生になったといっても、何かが特別に変わるわけではない。

あの日揺らいだ「何か」がまた俺の心に戻ってくるとか、そんなことも多分ない


「栗原っ!おはよー!」

「おーおはよー!!」

クラスメイトに挨拶して回る。

そんな俺に、クラスメイト達は笑顔で挨拶を返してくれる。

俺はそれを確認して、こっそり胸を撫で下ろす。

今の俺は、花菱東時代のいじめられっ子じゃない。

友達がたくさん居て、先生にも学級委員を任されるくらいには頼られている、新生・栗原明石なのだ。

これでいい。これがいい。

独りぼっちは、もうごめんだ。


「小川、おはよ!」

俺は自分の机の上にランドセルを放り投げると、本日最後の「おはよう」をいつもどおり、隣の席の女子に投げかけた。

そいつはそんな俺の挨拶を無視して、黙々と算数のワークに鉛筆を走らせている。

………聞こえなかったかな?


「おーがわー!おーはよー!」 


やはり返事はない。

………あきらめず、もういっちょ!


「おがわさーん!おーはよーぅごz」


「………栗原、うるさい。人が勉強してるんだから静かにして」

「………ねぇなんでちょっと俺が悪いみたくなってんの!?は、はじめに無視したの小川サンですよね!?」


相変わらず、無愛想だな!

心の中でそうぼやきつつ、その反面もはや毎朝恒例となっているこのやりとりを楽しんでいる自分もいる。

俺の隣の席の彼女………名前は、小川光といった。


“小川、ひかる?さん、であってる?これから一年よろしく!“

“………よろしく“


始業式の日に出会ってから俺がこうして毎朝めげずに挨拶し続けたせいか、最近は無口な彼女ともよく言葉を交わすようになっていた。


俺がこいつについて知ってることと言えば、頭が良いってことと、大原先生とかいう新任の先生と軽音楽部をつくる、という噂くらいかなぁ。


あと、顔がかわいい。女子の中では背が高くて、俺と同じくらい。

恵まれた外見をしてるけど、度が過ぎた無愛想とちょっと自己中心的ジコチューな性格のせいでウチのクラスでは嫌われつつ、ある。


俺は学級委員としてそんな彼女を心配だなぁ、とは思うけど………

「私に近づかないでオーラ」っていうの?なんか彼女は常にそういう雰囲気をまとっているから、変に話しかけにくい。


「そういえば栗原さ、朝の会の後ちょっと時間ある?」

今日は珍しく、彼女が俺に話しかけてきた。相変わらず無表情だし、目も合わせてくれないけど。

「?ないけど?なに、え、まさかこの呼び出し方は告白!?」


小川から話しかけられるなんて初じゃない!?

一人舞い上がる俺とは対照的に、小川はいつも通り、落ち着いた声で言った。


「………話したいことがある」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る