2曲目 強靭な向かい風は

大原先生の前で「空も飛べるはず」の弾き語りをした次の日。

「あ、軽音」

私が六年二組に足を踏み入れて聞いた第一声はこれだった。


自分に向けて言われているのが次の数瞬でわかった。

クラス中の視線が自分に向いている気がする。

誰かがぽろりとこぼした一言が、水面に広がる波紋のようにクラスを揺らしていく。


何故だかクラスはしん…と静まりかえっていた。

私が構わず席に向かおうとすると、

「小川、お前軽音部作るんだって?」

ニヤけた面を顔面に貼り付けた男子(名前忘れた)が興味深々といった様子でたずねてきた。

「………そうだけど?」

「あの変質者みたいなセンセと?2人で?」

センセ、の響きが微妙に感じ悪かった。

するとひょっこり、そいつの後ろから違う男子が茶々を入れる。

「おいお前あんま言い過ぎんなって。小川キレてんじゃん」

「あーホントだ。“顔だけ美人“さん、ごめんねごめんね〜」

「………は?」

顔だけ美人?

その時、プッと誰かが吹き出す声が聞こえた。続けてアハハハ、というわざとらしい笑い声が教室にこだまする。

「小川さん、変なあだ名つけられちゃってかわいそ〜。ねぇ花凛かりん、聞いた?顔だけ、だってぇ」

「ふふ………かわいそ」

窓のサッシに腰掛けた花園由香はなぞのゆか道宮花凛みちみやかりんが顔を見合わせて堪えきれないというように笑っていた。

なに、この嫌な雰囲気。

他のクラスメイトこそ何も言わないが、時折私に視線を投げかけながら近くの人とコソコソささやきあっていた。

そこから唯一聞き取れた単語で私は全てを悟ることになる。

「ざまぁ。そうやってカッコつけてばっかだから、花園に目つけられるんだよ」



どうやら私は何か花園さんの気に触ることをしてしまったらしい。


思い当たる節がないわけでもない。


一つ。小川光は“ちょっとヤバめ“な大原センセと軽音楽部を作るらしい。的な噂。

花園さんは目立ちたがり屋だから、多分今自分より目立ってる私のことが嫌いなのだ。噂されるのってあんまいいことじゃないとおもうけど。


クラスでなんだか目立ってる人、というのは常に誰かを見下したくなるものらしい。それは例えば花園さんとか、近藤伊吹を虐めている佐々木翔太ささきしょうたとか。近藤伊吹の例はまた別の理由があるけど。


「………光。また派手にやらかしたね」

「………なに。なんか用?」

「酷いなー、私がせっかく構ってあげようと思ったのに」

「別に頼んでないから。余計なお世話」

「もー光ちゃんは冷たいな!」

世の中には「空気読めない」と呼ばれる人種が一定数存在する。

八頭楓やがしらかえで

私の唯一“友達“と呼べるカエデも、またその一人だった。


クラス中が遠巻きにニヤニヤ私を眺めてくるこの状況でなんの迷いもなく私の席に来る、生粋のKY。けれど私は彼女のそんな真っ直ぐさに、過去に何度か救われている。

そして、今も。

「ま、でもそういう態度の方が光らしくていいや。てか、軽音楽部ガチで作るの!?」

彼女の赤みのかかったポニーテールが軽やかに跳ね上がる。

その真っ直ぐな声と、真っ直ぐな笑顔に。

私は救われている。

絶対に本人には言えないけど。

「部員は?誰誘うの?あ、私か!」

「いや、あんたじゃない」

「言い方!」

コロコロとカエデが笑う。

自身の背中に突き刺さる、花園さんと道宮さんの冷ややかな視線も弾き返すほどに。


世の中みんなカエデならいいのに。

空気読めない、真っ直ぐな人達ならいいのに。


ふやける視界の中で花園さん達がお腹をよじって笑っている。『ちょ、サイコー!』甲高い汚い声、軽薄な日本語で盛り上がっている。


私は濡れた髪を制服の袖でかき上げた。

まさか、こんなベタな罠に引っかかるとは。


昼休み、カエデを探しにトイレへ向かったら天井から水が降ってきた。よくよく考えれば合唱部部長の彼女は今日、昼休みは児童会会議に参加している、と分かったはずなのに。


寂しかったのか、私は。

体育のサッカーで片付けを押し付けられたり、それを断ったら今度は制服を汚されたり、ボールを顔に向かって投げつけられたり。

いつも以上に、時間が長くて、人の悪意に触れてる時間が長くて、真っ直ぐなカエデと早く話したくて、

こんな早とちりをしたのか。

したらまた、コイツらの顔を見る羽目になった。


なおも笑い続ける彼女達に、「良く飽きないね」と私は若干嫌みたらしく言ってみた。

今までの彼女達にやられたことは全部、笑っちゃうくらいしょうもないことだった。


「強がりはもういいよ、“顔だけ“さん」

花園さんが収まらない笑いを堪えながら私を見る。

「涼しそうな顔してるつもりかもしんないけど、あんた顔めっちゃ強張っちゃってるよ?」

「あんたこそ顔めっちゃアホヅラだけど大丈夫?」

「それ、言い返したつもりかもしんないけどあんたが今ずぶ濡れな時点で全然効果ないから」


寒い。春だとはいえ、まだ4月の半ばだ。

トイレの空いた窓から向かい風が吹きつけ、全身の温度をじわじわ奪っていく。


「そろそろ気づけば?あんた嫌われてるよ」

知ってるよ。

「安心して。今やられたこと、別にセンセにチクったりしないから」

花園さんがはぁ?と凄んだ。

「何それ馬鹿にしてんの?アンタにチクられたところで別に、痛くも痒くもないんですけど」

「馬鹿にしてるよ。だってやってること思いっきり小学校低学年レベルじゃん」


その時、私は奇妙に歪む花園さんの顔を見た。今までのどこか余裕そうな笑みとはかけ離れた、憎悪と嫌悪に満ちた顔を。

あ、この人本当に私のこと嫌いなんだ。

彼女かガラン、と派手な音を立ててバケツを掴む。

「ふざけんなよ!」

来る。

私は本能的にそう感じとり、咄嗟に両手で顔を庇う。

サッカーボールだってそう。

濡れ雑巾だって、顔だった。

でも流石にバケツは痛いだろうな………

ゴン、という鈍い音が頭の近くで鳴る。

でも、いつまで経っても衝撃は来ない。

その代わり。


「………女の子の顔傷つける、ってこの世で一番罪な行為だな。けしからん」


がらんがらん、と落ちたバケツが足元に当たった。

「はぁ!?だれあん………」言いかけた花園さんはなぜか不自然に言葉を切った。「うそ……」道宮さんが息を呑むように呟いたのが聞こえた。

え、と私の口からも声が漏れる。

この声、まさか。


「お前らの言う“センセ“は、わざわざチクらなきゃ気づかないぐらい鈍感な生き物なのか」


恐る恐る、腕を退ける。

白い光に包まれた視界の真ん中で、淡いミルクティー色の塊が揺れていた。

なんで、アンタが。

「そんなにお水遊びしたいんだったら、外で思いっきしやろうぜ」

その広い背中が自慢げに私の前に立ちはだかっていた。



「その予備の制服に着替えとけ。大丈夫だよ、洗濯してあっから。あとこのバスタオルとフェイスタオルで身体ふけ。風邪引くぞ」


そういうと、大原先生は予備の制服(過去の卒業生の落とし物)とタオルを私に手渡した。


「なんで、女子トイレにいたんですか」

「お前その言い方語弊招くからやめろ?」

大原先生は「お前探しに東棟の三階うろうろしてたんだよね。したら女子トイレが騒がしかったから思わず覗いちゃった!」と舌を出した。


その変質者みたいな格好で「覗いちゃった!」は勘弁してほしい。そういう貴方の行動も私が花園に目つけられてる原因の一部なんですけど。


大原先生は、ずぶ濡れの私を見ても「どうした」とは聞かなかった。「なんであんなことされてた」とも。

ただ、「おつかれさん」と私の肩に手を乗っけてきた。


「あ、あと一応児童会会議で軽音楽部創部については承諾された」

大原先生は六年二組までついてきた。授業はもう始まっていて、廊下はさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。


私はその「一応」という言葉とあまり嬉しくなさそうな大原先生の態度に引っかかった。

「………なんか、納得いかなそうな顔してますね、先生」

「いろいろあってな」大原先生は珍しく俯いて言った。「でも、一つわかったのが。少なくとも白仙ウチの上の奴らは、初等部軽音楽部創部をあんま快く思ってない、ってこと」


私は思わず立ち止まった。

あまり、快く思っていない。

そうか。クラスの人も、そうか。

大原先生のどこか遠くを睨むような眼を横目で見つめる。


「なんか嫌だ。あいつら光の演奏聴けば全部わかることを、全部机の上で片付けようとする。

児童会会議で承諾されたら、今度は全校生徒の過半数の票が必要だとか言い出したんだぜ。じゃあ児童会会議は何の意味があったんだ。誰の集まりだよ!………あいつら、めんどくさいことをこれでもかってぐらい並び立てて、俺らの方から折れるのを待ってる。嫌だ。その俺らを舐めたような態度が、許せねぇ」


学校の風は私たちの行手を阻むように吹き付ける。周りと違うことをする、私たちを嘲笑い、取り残して置いていく。

そうか。

先生も、今日いっぱい悔しい思いをしたのか。

児童会会議で何があったのかはわからない。けど私がトイレで感じたあの風に、大原先生も確かに晒されていた。

六年二組の前で立ち止まる。

「やるよ、俺。諦めてなんかやんねぇから」

私の肩を掴む。

「だからお前も、踏ん張れ」

「やる」以外の選択肢はない。

はい、と私は頷いた

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