アンコール!

暁 葉留

1st album 出逢い、そして

1曲目 ミルクティーと軽音楽部

「私、軽音楽部を作りたいんです」


春の風が、私の頬を撫でる。

今私の目の前にいる、大原先生のミルクティー色の髪の毛が宙にはらんだ。


「え………ほん、と?」

「ここで嘘つくわけないじゃないですか」


こんなだらしない人が先生をやってるんだから世も末だな、と割と心からそう思った。


無造作に後ろで束ねられた、寝癖だらけの長髪。

見た目からチクチクした無精髭。

たった今起きた、みたいな格好。

それでも、この人が大原先生に違いないのだ。


私はずいっと“同好会設立申請書“を大原先生に突きだすと、「顧問は大原先生がやってくださるんでしたよね?」ともう一度確認した。


「だから、活動許可を頂」


「………しっ」

「し?」


その時、見た目170㎝の男がぐっと屈伸をした後、

「いよっしゃああああ!!」

「………やめてください」

驚くべきバネで飛びついてきた。


私は大袈裟に身をよじりながら、微かにかおるタバコの匂いに顔をしかめた。

この時からだ、私は春になるといつもこの匂いを思い出す。


白仙学園初等部。

日本でも指折りの、名門私立小学校だ。

私は今日からこの学校の六年生になる。

色んな人に「意識高い系」と言われてきた制服……明るい青のセーラー服と緑のタイを身につけるのも、今年が最後。 

そして、部活を作るのも今年がラストチャンスだということだ。

別に思い出作りとかじゃない。

理由は後で話そう。

まずはこの、大原先生について。


“なぜ中等部と高等部に軽音楽部があって初等部に軽音楽部がないのか!みなさん不思議だと思いませんか!?不思議ですよね!だっつーことで俺が今年作ります!そんで学校一、いや学園一の部活にさせてみようではないか!って事で大原に清き一票、よろしくぅ!“


今朝一番の着任式で馬鹿デカ声(マイクが用意されてるにもかかわらずノーマイク)でこんな着任挨拶を済ませた先生こそが、この大原先生である。


私はこの先生が新規採用の25歳であることを知り、二回驚いた。


これが先生一年目…ありえん、何という度胸。

つか清き一票ってなんだ。あの人新任挨拶と街頭演説を混同してるのでは。

大原先生は一躍校内の有名人となった。


「ほんとに!?本当に作ってくれんの!?」

「だから嘘はつきませんてば」

「うわーぁ、ひかりちゃん?だっけ?マジでロックじゃん!」

「ひかる、です」

「マジ嬉しい!マジ感動!もう、ほんとマジで先生泣いちゃうわ!」

この人、「マジ」が母国語なんだろうか。

私は心で考えていることが顔にでないように気をつけながら、喉の奥で必死にため息を飲み込んだ。


「早速部活作る話をしよう」と資料室に連れ込まれ、大原先生の貧困な語彙を見せつけられ早10分。私は「なんで私ここにいるんだろう?」とちょっとここに来た目的を忘れかけ始めていた。


この人、本当に先生なのかな………今のところ、私の中では先生もどきの変質者っていう認識なんだけど。


「マジ、やべーわ!」

アンタがな。

「あの、だから活動許可を」

「まあ!そう焦るな。まずはそう、自己紹介でもしようじゃないの」

「あの、そういうのいらないんで」

「釣れないこと言うなってひかりちゃん!

ではまず俺からー」

変質者………改め、大原先生はおほんっとひとつ咳払いをした。


「俺の名前は大原常明おおはらつねあき。常に明るくがモットーでっす!それとちゃん、さっき俺のこと“おおはらじょうめい先生“って職員室で呼んだけど、正しくは“つねあき先生“な。そこんとこよろしく!」


、です」

「お、ひかるちゃんかメンゴ!」

大原先生は私の胸元の名札を見てしみじみと言った。

小川光おがわひかる………かぁ。いい名前だね」

「はぁ」

「で、軽音楽部の話だよな。あ、顧問は俺だから安心してね」

何を根拠に安心できるだろうか。

大原先生はやっとやる気になったのか、手元に置いた資料………「白仙学園初等部部活動創部について」をペラペラとめくった。

紙をめくるたびに、大原先生の前髪がふわふわと揺れる。


「すぐに活動できる感じですか」

「いや、俺はそうしたい、つかそれでいいんだけどさー、なんつってもここ私立だから」

「私立関係あります?」

「だぁかぁらぁ、ここ私立だから!めんどくさい決まりいろいろと多いじゃん!」

先生はこれ!と叫ぶととある資料を私に突き出した。


【白仙学園初等部部活動創部条件】

・決まりとして部員三名以上並びに指導できる顧問教員の確保、安全な練習場所の確保


「甘くないね、世の中はぁ」

先生は妙にしんみりした顔をすると、「俺の良すぎる顔面にみんなビビってんのかな、軽音楽部に入りたいって子はまだ君1人だけだよ」と物憂げにつぶやいた。

「練習場所ってどこならできそうですかね」

「俺が今んとこ考えているのは音楽準備室。

第一と第二音楽室はもう合唱部と管弦楽部で埋まってっからな」

たしかにそうだ。


「でも準備室ならたしか、音楽室と同じように防音設備があったはずだ。それにこの学校の音楽準備室は広いし、何より楽器も揃ってる。さっきチラッと覗いたらスネアもグロッケンもあった。備品のクラッシックギターも弦張り替えれば使えそうだしな。窓もあるし、楽器の保管にもちょうどいい。環境的にはあそこが一番ベストなんだよ。ただ、エアコンがないのが残念だけどな」


私は内心、少し驚いた。

この人、考えてないようで考えてる………。

「そんで顧問は俺。だから問題はやっぱ部員なんだよ」

「それなら、当てはいます」

「当て?」

「はい」

「………うそっ!?」

この人の反応には微妙に時差がある。

大原先生はまんまるくなった目をぱちぱちと瞬かせると、「だれ?だれだれ!?そいつ楽器弾けるの!?」と私に詰め寄った。

「まだ入ってくれるかはわからないですけど、」

私はゆっくり後退りすると大原先生を押しのけて資料室のドアに向かって歩き出した。

………うん、なんかこの人といると時間が勿体ない。


「………絶対、入らせますから」


放課後、私は大原先生に呼び出され、再び音楽準備室を訪れた。

扉を開ければ、昼間と同じ変質者風の教師がエレキベースを片手に仁王立ちしていた。


「………なんですか?」


「単刀直入に言おう。俺は君のスキルを知りたい!軽音学部創りたいっつーくらいだからなんか楽器弾けるんだろ?っつーことで、はい!」


「なんでベース………」

「ひかるちゃんは背が高いから」

ど偏見じゃないか。

「今世界中の背の低いベーシスト全員敵に回しましたね?」


私は先生の後ろに並ぶクラッシックギターを眺めて言った。

「私、ギターの方が得意なんですけど」

「マジか!じゃ、ギター弾いてもらおう」

先生は懐からチューナーを取り出すと、ふんはふーんと鼻歌を歌いながらギターのチューニングをはじめた。

え、なんで懐にチューナー入ってるの?

手慣れた動作でペグを回しながら、大原先生は私に問うた。

「光はいつからギターやってんの」

「五歳からです」

「早っ!きっかけは?」

「お父さんがスピッツ好きで。私も好きになったので」

「へぇー、なんかすげぇな。じゃあギターもそれなりに弾けると。あ、チューニング終わったよん」

大原先生からギターを受け取る。いつのまにかボディの汚れも綺麗に拭き取られ、鮮やかな木目の中で放課後の夕陽が輝いていた。

「期待も高まったところで、さっそくなんか弾いてもらおうかね」

「………なんでもいいですか」

「いいよー」

あれ、私、今までこういう時何弾いてたっけ………

ギュッとネックを握る手に力がこもる。

あれ、もしかして私、緊張してる?


「そんな硬くなんなくていいぞー、気楽に気楽にぐっとらっく」

私の視界の隅で大原先生がそんなことを言っていた。


なんとなく、この歌にしよう。

そう決めてしまえば、指は勝手に動き出した。


ゆっくりと最初のコードをかき鳴らす。

じゃらん、より、ぽろん。

ゆっくりゆっくり、紙飛行機が空を飛ぶように滑らかに。

私の手は滑走路………ギターのフレットの上を走り出していった。

今も心に住みつく溢れんばかりの音の粒が

コードと言う名の風になる。

決して離さぬよう、私はその風に乗って空へ舞い上がる。


声を乗せる。昔大好きだったこの歌を、また歌おうと思った自分に驚いた。


スピッツの【空も飛べるはず】

この歌は、私の幼い頃の記憶ととても頑丈に結びついている。


“ねぇ、これなんていううた?”

狭いアパートの窓から覗く夕日。その光に照らされて宙を舞う埃を、あの頃の私は綺麗だと思っていた。


思い出すのはお父さんの顔。


“光は「空も飛べるはず」が一番好きのか?”

“うん!だって、そらとびたいもん!”

あの頃の私には、行きたいところがたくさんあった。

お母さんのいる、病院に行きたい。

東京に行って、憧れの草野さんたちに逢いたい。

お父さんが昔ライブやったって言っていた、宇都宮のライブハウスにも行ってみたいな。

あとは海。栃木県って海がなくてつまんない。

“おそらとんでね、おかあさんとか、くさのさんにあいにいくんだー!”

父はいつかいけるよ、と笑った。


けれど、私の住む世界はあまりにも狭すぎた。

”おとうさん、おかあさんはどこいったの?”

今ならわかる。

なんでお父さんがあの時泣いていたのか。

いつかあえるよ、その一言が涙に濡れていた理由。

私が空を飛べたなら。

お空の上にいるらしいお母さんと、お父さんを会わせてあげて、お父さんを泣き止ませることもできたかもしれない。


《おかけになった電話番号は、ただいま使われていないか電波の届かない…》

受話器を投げる。怖い、どうして?なんで?

薄暗闇の中で光る満月が綺麗な夜、私はダイニングに残された置き手紙をやぶいた。

【すぐ帰ります。いつも寂しい思いさせてごめんな。 お父さんより】

嘘つき!お父さんの嘘つき!

全然帰ってこないじゃない!

手紙を持つ手が震える。涙で視界がふやけていく。

私、今でもずっと待ってるんだよ………お願い、私を1人にしないで!

あの夜は夢だったんじゃないかと、今もたまに思う。

けれど相変わらず、お父さんは帰ってこない。


心の奥底深くで眠っていた思い出たちが眼を覚ます。

懐かしいな………私は目の前に大原先生がいるのも忘れて、思わず笑いそうになってしまった。

夢であってほしいことは、いつだって現実にある。

私が現実から逃げる事はできないのだ、とまた改めて思い知らされた気分だ。

それでも良い。

私はあの満月の夜、愛する人に裏切られた人生最悪の夜、本気で死のうかとベランダの淵に手をかけ、泣きながらこの歌を歌った夜。

私は何が何でもこの世界で生きてやると、決めたのだった。


最後のコードの余韻とともに、私の思い出たちはまたゆっくりと眠りについていった。


「空も飛べるはず………か」

曲が終わった途端、管弦楽部のロングトーンや、合唱部の歌声、校庭から聞こえる運動部のかけ声全てが私の五感に突きささってきた。

本当に眠って夢を見たあとみたいだ。歌っている間は、何も聞こえなかった。

「………すっげぇ」

腕からだらん、と力が抜ける。いつのまにか地平線近くまで落ちた太陽が、大原先生の横顔を照らし出す。

そのミルクティー色の髪の毛が夕日に溶かされていく。

ああ、あの日と同じ夕日………

「………お前、めっちゃ歌上手いじゃん」

大原先生のまんまるな目と視線が合う。

「お前、ヴォーカルやれよ」

薄茶色の瞳が、真っ直ぐに私を貫く。

そう言ってもらえるのは正直嬉しい。けど………

「私はヴォーカリストに向いてないですから。性格的にも、精神的にも」

それに、私は私なんかよりももっと魅力的なヴォーカリストを知っている。

私は瞼の裏に思い描いた。



………あなたなら、この歌はどう歌うだろう?



私の瞼の裏で、一人の小柄な人影が振り向いた。

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