17曲目 あなたに⑤
小川光ちゃんはそう言うと、私の机の前にしゃがみ込んだ。
「これは………妖精さん?お花の妖精さんかな」
な、な、なんてこっちゃ。
なにが起こってるの!
光ちゃんが楽しげに話しかけてくれたにも関わらず、そのときの私は驚きと緊張で口をパクパクさせるばかりで、気の利いたセリフ一つも言えなかった。
本当はありがとう、とか、そんなことないよ、とか言いたいことは沢山あったのに。
光ちゃんはそうしてしばらく私の机の前にいたけれど、そのうちに他の友達に呼ばれてどこかへ行ってしまった。
「じゃあ石川さん、ばいばい」
彼女は去り際、そう言って小さく手を振った。
私は結局、最後まで固まったまま動けなかったのだけど。
その後、一言二言だけれど光ちゃんと話す機会があった。私は話しかけられるたびに舞い上がるほど嬉しくて、彼女が笑うたびに心に陽が差すようだった。
「私は、クラス替えで光ちゃんと離れてからもずっと、光ちゃんを探してた。その辺でばったり会えないかなって。あわよくば、話しかけてもらえないかなって。また、話したいなって………だから、今年光ちゃんがまた同じクラスだって知った時は本当に嬉しかったの。
また話せる、話せるチャンスが増えた!って」
でも、同じクラスになった小川光ちゃんはあの頃とは全くの別人だったんだけど。
無愛想でそっけなくて、もちろん初めて話した日ような笑顔を見せることなんて一度もなくて。
四月に一度、勇気を出して
「光ちゃん!」
と声をかけたことがあった。
「なに」
「さ、三年生の時同じクラスだったよね!わ、私、石川桜良って言うんだけど」
緊張のあまりどもる私の言葉に、彼女は軽く首を傾げると、
「………そうだっけ」
そう冷たく言い放ち、去って行った。
私のこと、忘れられてる………
私はショックでそれ以上何も言えなかった。
光ちゃんの他の子に対する態度も変わらず、初めは彼女の整った容姿につられて近づこうとした他のクラスメイトも、そっけない態度を貫く彼女を徐々に遠ざけるようになっていった。
あの頃の光ちゃんじゃない。
私はショックだった。
あの頃の、あの日の、人見知りで根暗な私を照らしてくれた光ちゃんはもういない。
私がずっと会いたかった、光ちゃんは………
私が人知れずショックを受けている間に、
由香が「小川さんてさぁ」と、事あるごとに光ちゃんの悪口を言うようになった。
由香は、私が六年生になってから初めてできた友達だ。
「私、由香っていうの。桜良って呼んでもいい?」
新学期初日に屈託のない笑みでそう私に話しかけてきてくれた女の子。
内巻きにされているボブヘアーに、大きな目、長いまつ毛。お嬢様気質でいつでも堂々としている由香は、光ちゃんとは別の意味で眩しかった。
でも由花はいい意味でも悪い意味でも目立ちたがり屋で、同じようにまばゆい光を発している小川さんを疎ましく思っているようだった。
そのうちに悪口だけでなく、光ちゃんの持ち物を隠したり壊したりするようになった。
私はできなかった。
由花のことは好きだ。けど、光ちゃんのことも好きだ。
いくら好きな由花の言うことでも、私はできない。
憧れの、光ちゃんを傷つけることなんて!
ある日、由花と光ちゃんがいつものようにプチ喧嘩していた。
「小川さんって、影でなんて呼ばれてるか知ってる?男好き、だって」
由花のその台詞を聞いた時、自分の中でプツンと何かが切れた。
もうだめだ。我慢の限界だ。
気づくと、私は震えてみっともない声で叫んでいたのだ。
「もうやめよう!」と。
人見知りの私に、由花は六年生になってから唯一話しかけてくれた人だ。
だから、怖かった。由花に嫌われるのが。嫌われてまた、一人になってしまうのが。
でも、私を一人ぼっちから救い出してくれたのはあの日の光ちゃんだった。
教室を飛び出す。ドアを勢いよく開けた時、驚いて目を丸くした近藤くんが立ち尽くしていた。
もう嫌だ。
床を思いきり蹴って走り出す。
もう、大切な人が傷つく姿は見たくない。
たとえ、相手が私のことを覚えていなくても。
あの頃とは違う、冷たい、無機質な人になっていたとしても。
私の憧れは、あなただ。
私はあなたのことをずっと探していたよ。
いつか恩返しをしたいとさえ、思っていたよ。
なけなしの勇気だけれど、私はあなたに何かできたかな。
★
「その日から由花達とは話しづらくなっちゃって………ほら、由花って気にくわない子いるとすぐ無視したりするじゃん。多分、由花に反抗した私も嫌いになっちゃったんじゃないかな」
そう、由花はそう言う子。
気に食わない子がいれば、すぐ除け者にする。根っからのお嬢様………いや、女王様気質だな。もちろん私もあの日から一言も話しかけられないし、話しかけても当たり前のように無視される。
わかっていて、それも全部覚悟していたことではあったけれど………やっぱり怖い。
誰かに嫌われるということは、無条件に怖いものだ。
わたしの話を黙って聞いた楓ちゃんは、わたしの話が一通り終わると
「すごい、かっこいい!かっこいいよ、桜良!」
と、いきなりわたしの肩を掴んで揺さぶってきた。
彼女が目を輝かせているのを見て、私は困惑した。
え、ええ?
な、え、今の流れで?私がカッコイイ?どの辺が?
「私はただ自分勝手に叫んだだけだけど………?」
「違う!あのね、桜良は知らないかもしれないけど!」
楓ちゃんの明るい声が中庭いっぱいに響く。
「多分、桜良が由花にやめようって言った日から、由花、光に嫌がらせするのやめたの。急にぱったり何もされなくなったからなんでだろうって光は言ってたけど、そういうことか!桜良が、勇気出したおかげだったんだね!!」
私は驚いて、何も言えなかった。
由香が私に影響されるなんて考えられなかったから。
「必死な思いって、届くもんだねぇ」
そう言って楓ちゃんは笑う。
「桜良は、光のヒーローだね」
嬉しかった。憧れの光ちゃんの力に、自分がなれたことが。
こんな自分にも、そんな力があったことが。
涙を目の淵でこらえる。
視界が、優しく滲んだ。
★
その後、私と楓ちゃんは再び記念館ホールへ足を踏み入れた。
さっきとは比にならないくらいの熱量。ホールに繋がる厚いドアを突き破って響く、歓声の波。
ステージ上の光ちゃんを見つめる。
汗を光らせる彼女は輝いていた。
今度、もう一回話しかけてみよう。
突き放されても、何度でも話しかけてみよう。
もっとあなたのことを知りたいから。
割れんばかりの拍手で現実に引き戻された。
静かに幕が落ちる。
こうして、波乱の記念館ライヴは幕を閉じたのだった。
★
『蒼井より、校内にいる児童の皆さん及び先生方に連絡します。ただいまから、児童会主催の軽音楽部創部についての投票を行います。事前に配布した投票用紙を出してください。担任の先生方に連絡します。クラス分の投票用紙を集めて、職員室の大原の机までお願いします………』
★
人の去った記念館ホールに、三人の足音がこだまする。
「いんやー、終わったぜぇえ!!色々あったけどな、とりあえず終わってよかった!」
大原先生の馬鹿でか声がわんわんとホールに響く。
「今は投票中か………!なんか緊張してきたなー!」
ドラムセットを撤収した栗原がそう言いながら戻ってきた。
「あれ、そういえば伊吹は?」
「保健室。怪我の手当てしてもらってる」
私………小川光は、人っ子一人いなくなったホールを見渡し、息をついた。
まだ興奮は冷めやまない。
あの熱量、歓声、初めてみた景色、全部を記憶に焼き付ける。
やれることは全部やった。
後悔はない。
それから私たち三人と大原先生は音楽準備室に戻り、全校投票の結果を待った。
なんだかんだやっているうちに五限目の授業はサボるような形になってしまったけど、まあ許してもらえるだろう。
そして、時計の針がきっかり午後四時を差した時。
「失礼しまーす」
「………失礼しますよ」
白衣姿の蒼井先生と倉本先生が同時に音楽準備室に現れた。
来たな。
ついに投票の結果がでたのだ。
三人、固唾を飲んで見守る。
普段はおちゃらけた感じの大原先生でさえ、表情を固くしていた。
蒼井先生は大きく㊙︎と書かれた封筒を抱えていた。
「………まずは軽音楽部の皆さん、お疲れ様でした。細かいことは後ほどお話しますが、」
「倉本先生めっちゃ感動してましたもんね」
「黙れ蒼井」
「はーい」
珍しく緊張している
私の横に立つ大原先生を盗み見れば、先生は喉を震わせて笑いを堪えていた。
おほん、と倉本先生が一つ咳払いをする。
「気を取り直して蒼井先生、結果を」
「はい。では、投票結果を発表します」
ついに出るのだ。
心臓がどくどくと音をたてる。
蒼井先生が勿体ぶった動作でうやうやしく封筒から一枚の紙を取り出………だ………
………なかなか取り出さない。
いや、無駄な動きが多い。多過ぎる。なんで封筒を開けるのにそんな時間かかるのよ。
手を動かしながらチラチラこっちを見てるあたり、わざと焦らして私たちの反応を楽しんでるようだった。
「せっかくだからドラムロールつけますか」
倉本先生が神妙な顔つきでそんなことを言う。
そういうのいらないから早く見せてほしい。
「明石、スネア持ってきてー」
「あ、はい」
大原先生も乗らなくていいから。
栗原もスネア持って来なくていいから。
はやく結果見せてください。
倉本先生が重々しい声で告げる。
「では、発表します。投票数七百二十五票、これは全校児童の人数ぴったりですね。そして獲得票数は………」
「どぅるるるるるるるっ、るんっ」
蒼井先生自慢の巻き舌が炸裂した。
スネア持ってきたのに結局口で言うんかい。
てか最後の「るんっ」てなに?
「五」
「五!?」
「あ、これ一の位の数字です。五」
なんなんだこの人たち。
「いやどうでもいいから早く見せろよおおお!!」
ついに近藤がブチ切れ、椅子を蹴って立ち上がった。
「なにそれ一の位から順に言ってく系!?どんだけ引っ張るんだよ、なんでもいいからはやく教えろよ!」
「次、十の位、一」
あくまで自分の姿勢を貫く倉本先生。
自分のキャラの方はブレブレだけど。
「最後、百の位、七」
「つまり?」
獲得票数、七百十五票。
三人、顔を見合わせる。
近藤と栗原の表情が驚きから喜びに変わる瞬間を、私ははっきりと見た。
最後までふざけ倒した蒼井先生がにこっと笑い、ようやく封筒から出した紙を大きく掲げた。
そこに書かれていたことは。
【軽音楽部創部決定☆】
「おめでとう、君たちの勝利だよ」
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