16曲目 あなたに④

近藤が戻ってきた。

居なくなった理由はなんとなく察した。

顔も、腕も、服も、傷だらけだったから。

そしてたぶん、彼の心も。


それでも彼は、ステージに立った。

彼がマイクに息を吹き込む。荒削りなギターが鳴る。

風が吹いた、音がした。

私は思わず目を細める。


初めはびっくりするほど低い音程から彼は走り出す。

ぶれないピッチで、一歩一歩、階段を駆け上がっていく。


その声を追うのは、明石のドラム。伊吹の声に、彼の足音が重なる。

それは互いに一人ぼっちだった私たちが、ある日を境に関わるようになったように、少しずつ少しずつ、互いのことを知って言ったように。


音が重なる。

あなたと過ごした記憶が重なる。


私はベースを構えた。

さぁ、近藤、栗原ときたら次に音を重ねるのは私だ。

おっとその前に、近藤渾身の技があったか。

その時、近藤の持つ、鮮やかな緑色のピックが鞭のようにしなって、宙に線を描いた。

それをそのまま思い切りギターに叩きつけ、一気に引き上げる。

………撫でるように、滑らかに。


その技の名前は「ピックスクラッチ」。


ほんの一瞬で聴衆を曲の世界へ引き込む、鉄壁の技だ。

引き込む、惹きこむ。

近藤が私と栗原をこの曲の世界に惹き込んでいく。

いや、私たちだけじゃない。

オーディエンスだって、確実に惹きこまれているはず。

だって空気感が違うもの。

私がさっき弾き語りライヴしてた時とは、別の世界にいるような気がするもの。

みんなが彼を見ている。彼から目を離せなくなる。


悔しいけれど、私はそれで良い。

なぜなら私もすでに、彼の声のとりこだからね。


【小さな恋のうた】では、メインボーカルが近藤くんから小川さんに切り替わる箇所がある。

これは原曲通りのアレンジで、「できるだけ原曲に忠実にカバーしたい」という3人の意見のもと、そのままそのアレンジを採用したらしい。

小川さんがマイクに息を吹き込む。

その透き通るような高音は、近藤くんとはまた違った女性ヴォーカリストらしい響きをしている。


俺………蒼井優介は、ステージ袖から三人の演奏を見守っていた。

しっかし、あんな頬が腫れていたのに、近藤くんはよく声がでるな。

色々と気になるところはあるが、とりあえずライヴが始められてよかった。

ただ、二曲目の【あなたに】はちょっと時間的に厳しいかもな………そろそろ初等部の昼休みが終わる時間だ。授業の開始に支障をきたすわけにはいかないので、チャイムが鳴ってしまった時点でライヴは強制終了だろう。


強制終了、なんて本当はそんなことさせたくない。

三人が頑張って仕上げた、二曲で一つのライヴなんだ。

だから、なんとしてもライヴを続けさせてやりたい。授業なんてどうでもいい。授業よりも大切なことが、ここにはある。

なんとか二曲、らせてあげることはできないか?


俺は思考した。

そして一つ、思いついたのだった。


そっとステージ袖を離れ、ダッシュで西棟の放送室まで向かう。

まずい、あと少しで時計の長針が昼休み終了の一時を指してしまう。

息を切らしながら放送室に駆け込み、放送機械に飛びつく。


まずはポチッと「チャイム」のボタンを押す。

「西棟」「東棟」「芸術棟」「情報棟」あとは、あとは………慌ててスイッチを探し出し、


それらのレバーを一気に下げた。


そう、初等部全域でチャイムが鳴らないように機械をいじったのだ。


初等部の昼休みは、昼休み終了のチャイムが鳴るまで。

これは児童手帳にも記されている規定で、学校全体でそういう決まりになっている。

なら、チャイムが鳴らなければ、チャイムを切ってしまえば、三人は心ゆくまでライヴを演ることができるのでは。

ぶっ飛んだことをやったのは承知している。

第一、俺みたいな一般教員はこういう機械類を勝手にいじってはいけないことになっているのだ。


こんなことをやったらまた学園に睨まれるかもしれない。あの、日向さん事件のときのように。

………でも、不思議と怖くない。

なんでだろうな。

小学生の怖いもの知らずがうつったか?

なんて、俺が妙な達成感を味わっていた時。


「………チャイムを切るなんて、どこの馬鹿の真似ですか、蒼井先生」


突然聞こえた人の声に、心臓がひっくり返りそうになった。

恐る恐る放送室の扉を振り返ると、そこには白衣姿の倉本先生の姿があった。

あ、終わった。

「く、倉本先生………」

「最近情報棟に居ないなと思ったら、まさか蒼井先生が軽音楽部に絡んでたとはな」

氷のように冷たい視線が俺の心を一気に冷やす。

まずい。怒ってるよ、倉本先生。

その静かな怒りに思わず後ずさってしまう。

「大原先生に何吹き込まれたのか知らないが、蒼井先生の場合、もう後がないんですから」

倉本先生の語尾が少しだけ柔らかくなる。俺は謝るなら今だ、と思いしっかりと頭を下げた。

「倉本先生、すみませんでした」

倉本先生は何も言わない。俺が切ったことにより光の消えた放送ランプを見つめていた。

しばしの沈黙。

「………お前も、あいつらの光に当てられたんだな」

「えっ?」

倉本先生の言葉に、慌てて顔を上げる。


倉本先生は、呆れたようにため息をついた。


「職員室でもよく話題になるんだよ。軽音楽部のこと。大原先生のこと。あんなに必死こいてやられたら、嫌でも視界に入る。そして、気付かぬうちに彼らの行動から目が離せなくなっていく。最近じゃ、職員室は軽音楽部のライヴの話で持ちきりだ。あのお堅い先生方まで夢中にさせるんだから、軽音楽部は相当なやり手だよな」


確かに、との意味を込めて俺は頷いた。


軽音楽部の創部の話が出てから、確実に初等部の雰囲気は変わった。

校内の至る所で目にする小川さんのライヴ告知ポスター。飽きるほど見たけれど、何故か見るたびにかすかな興奮で心が沸き立った。

職員室に行けば、軽音だなんだで走り回る大原先生がいた。初めは突っぱねていた先生たちも、日を追うごとに彼の動行に注目するようになり、彼が言う事が本気だということを知り手を貸す者も現れた。

なにより、毎日昼休みに聞こえてくる近藤くんの歌声が。小川さんのベースが。栗原くんのリズムが。

何か新しいことが始まる、そんな前向きな気持ちにさせてくれた。

俺だけじゃなかったんだ。

あの光を、眩しいと感じていたのは。


倉本先生は白衣を翻した。

俺はその背中に慌てて声をかけた。

「でも、倉本先生は、軽音楽部創部に反対してたじゃないですか。それについては」

「今でも反対だ。だが、勝負において引き際というのは結構大切でね」

倉本先生が、放送室の「放送」のボタンを押す。

続いて、「職員室」のレバーをあげる。

「放送中」のライトがカッと赤く光った。


『倉本より、職員室にいらっしゃる先生方に連絡します。五限目の開始についてですが、軽音楽部のライヴが終了し次第授業開始としてください。突然の変更申し訳ございません。繰り返します………』


大切なことだから、もう一度言おう。

彼らの光に照らされたのは、俺だけじゃなかったんだ。




「はーっ、栗原くん嵐のように去っていったな………」

「ほ、ほんと………元気だよね………」

無事軽音楽部の演奏が始まったことを確認した私………石川桜良と楓ちゃんは、学園内を走り回った疲れでぐったりとしていた。

突然現れ、散々私達を振り回した挙句嵐のように去っていった栗原くん。

しかも突然私たちに「高等部へ案内して!」とか言って走りだしたり、三メートル以上あるフェンスを登り始めたりと突拍子の無さにも程がある。

はーっと大きく息をついてベンチに座り込んだ楓ちゃんは、

「そうだ桜良、なんか私に言いかけてなかったっけ」

と私の方を見た。

ああ、そうだ。私達、なんで中庭にいるんだろうって忘れてたけど思い出した。

由香との話を、楓ちゃんにしようと思ったんだった。

「由香とは喧嘩したわけじゃない、の?」

楓ちゃんが首を傾げる。

「うん。喧嘩したわけじゃなくて………」

それから私は話した。

楓ちゃんに全部、全部話した。

不思議だ。今日初めて言葉を交わしたばかりなのに、もう心から彼女を信用している私がいる。


時は遡り三年前。


私がまだ、初頭部三年生の頃のこと。

その頃の私を色で表すなら、間違いなく「白」だ。


空っぽの白。

「何にもない」の白。

自由帳の、白。


私はいつも一人ぼっちだった。

完全に親の自己満足でこの学園に放り込まれた。

私は同じ幼稚園のあーちゃんやまっくんのいる公立小に行きたかったのに。

お母さんは言う。

「白仙学園に通っとけば、将来有利になるから」って。

お父さんは言う。

「娘が白仙学園に通ってるだなんて鼻が高いよ」って。

知らないよ。私は「今」の話をしてるの。将来どうなるかなんてわからない。周りの人からの評価なんてどうでもいい。


私は「今」、一人ぼっちなんだよ。


私の両親は分からずやだ。

二人の言う白仙学園が、そんなに良いものなのか。

私には、ただ自分を閉じ込める「檻」でしかないのに。


人見知りの私は、友達を作るのが苦手だった。

実は今でもそうなんだけどね、でもだいぶマシになった方。

まず初対面の人に話しかけるのが苦手で、話しかけられても会話を繋げるのが下手くそで、そのうち相手に不快な思いをさせてるんじゃないかって不安になってきちゃって………

気づくといつも、一人ぼっちだった。


そんな私の唯一の居場所は、自由帳の中だった。

真っ白なノートを広げて、自分の思うままに黒鉛を走らせる。柔らかい色鉛筆で、私の世界を色づけていく。時に速く、時にゆっくりと、時間が流れていく。

自由帳で好きなものを好きなように書いている時だけが、唯一私が息をしていられる時間だった。


その日も、昼休みの喧騒の中、私は一人で絵を描いていた。

誰かが来た気配を感じて顔を上げる。


「あ、可愛い。お姫様だ」


そこには、とっても綺麗な顔をしたお姫様が立っていた。

まるで、私の自由帳から飛び出してきたかのような………肩ぐらいのミディアムヘアでサイドテールを揺らしている、お姫様。

でも、着ている服はドレスじゃない。

白仙学園初等部の、セーラー服だ。

あまりの驚きで声を失った私に、彼女


………小川光ちゃんは、笑顔でこう続けたのだった。


「すごい。石川さんって、絵上手なんだね」

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