12曲目 革命前夜

「私、軽音楽部を作りたいんです」

私………小川光が職員室前でそう宣言したあの日から、気づけば1ヶ月半も経っていた。


部員集めに奔走し、練習場所探しにも奔走し、たくさんの人と出会い、いがみ合い、そして必死にベースに縋り付くようにして練習した、無我夢中の1ヶ月半だった。


………いや、振り返るのはまだ早いか。


私はギュッとベースのネックを握り直した。

伊吹の呼吸音を合図に、その大好きな低音を響かせる。


軽音楽部の創部を賭けた記念館ライブは、いよいよ明日に迫っていた。


「まあいいかんじじゃねーの」

そう言って大原先生は笑った。

「一ヶ月半でよくここまで持って来られてたな」

イズミンこと泉さんが関心したように言う。

「おいそこの若造くんもぼーっと突っ立ってねぇでなんか言えや」

「若造てイズミン何時代の人よ」

「若造じゃないです蒼井です。あと一応俺二人より年上なんですけど」

だらしない身だしなみのせいで実年齢+五歳に見える大原先生と、アフロ頭のせいで年齢不詳な泉さんに挟まれた蒼井先生が丁寧につっこんだ。


五月も半ばを過ぎた某日。

私たち白仙学園初等部軽音楽部(仮)は、泉さんが経営する音楽スタジオ「sound studio LUFU」で明日の予行を兼ねた最終練習を行なっていた。

MONGOL800の【小さな恋のうた】、そして【あなたに】。

たった二曲。時間にして十分にも満たないだろう。

でも私たちは、この一ヶ月半、この十分にすべてのエネルギーを費やしてきた。

ボロボロになったスコアを見やる。

近藤の汗に濡れた前髪がツン、と跳ねた。

「良い感じ!?マジ!?やったー!!」

本日最後の通し練習に、大原先生の「まあ良い感じ」というなんとも微妙な評価を貰えた私たちは、ひとまず胸をなでおろした。


頭上に両手で大きな丸を作った大原先生は、「よぉし今日の練習は終わりー!お疲れー!」と叫んだ。


「うげぇ、疲れた………」

ヨロヨロとおぼつかない足取りで近藤がギターをケースにしまう。

「それなー!今日ほんとに一日中練習してたもんなー!」

そういう栗原はまだまだ元気そうだ。

ふふーんと鼻歌を歌いながら上機嫌にドラムスティックを振り回している。

「なんで一番体力消耗するドラムが一番元気なの」

疲れてつい口が緩くなってしまう。

そんな私の独り言を聞きつけた近藤が耳打ちする。

「小川、明石はそういうやつだよ。脳まで筋肉、いわゆる脳筋、ってやつだ」

「なるほど」

「おい伊吹クン!?聞こえてますよ!!小川もなるほどとか言わないの!」

「あ、やべ」

「こんにゃろっ」そう言って栗原が近藤の背後に忍び寄り、手を振り上げる。近藤はその影に気づくとニヤ、と笑い、栗原渾身のチョップ無駄のない動作でかわした。かと思えば、

「おらぁっ!!」

近藤はくるりと身を翻し、明石の脳天に素早くチョップをお見舞いした。

「いったあああああああ!!!」

栗原が土下座ポーズで頭を抱える。

「ぬはははは!!俺に触れようなんぞ百万年早いわ!!」

そう言って栗原の前で仁王立ちする近藤。


「おい明石ィ!そして伊吹と光!さっさと片付けろ!無駄に滞在してるとその分スタジオ代上がっちゃうでしょうがぁ!」

開け放たれたスタジオの扉の奥から聞こえてきたのは大原先生の悲痛な叫び声だ。

………毎日思うけど、ほんとに騒がしい人たちだな………


栗原が軽音楽部に入ったのはたったの二週間前。

間に合うか間に合わないかのギリギリのタイミングで、栗原は軽音楽部に文字通り滑り込んで来た。

ヴォーカル・ギター,ベース、ドラム。

栗原加入により、私が夢見た、ロックバンドの鉄板トライアングルがついに完成したのだった。

明石が【小さな恋のうた】の譜面を過去に一度さらっていたこともあり、三人揃ってからの仕上がりスピードは我らながら上出来だったのではと思う。

二曲ともドラムが入って初めて完成する曲だ。初めて三人の音を合わせた時、やっと曲が形になって見えて、心が震えた。


やっぱり、バンドっていいな。


二人の音が、私の背中を押す。

私もそれに負けないくらいの音を響かせる。

そうやって目に見えないエネルギーが、3人の間に満ちていく。

まだ出会ったばっかりでお互いのことは何も知らない。

過去にどんな後悔があったかも、今どんな悩みを抱えているのかも、まだ、何も知らない。

それでも、この3人でいるときだけは。

いつもより少しだけ、素直になれる気がした。



ギシギシと唸る螺旋階段を降り、大原先生が受付でスタジオ代の支払いを済ませる。

「うおお俺の今月の給料飛んだ………!あーまじで先生っつー仕事は」

「これみよがしに愚痴ってもスタジオ代は変わんねぇぞ」

会計時の泉さんと大原先生のこのやりとりも、もはや恒例になっていた。

「じゃあ白仙ボーイズandガール、そして若造くんよ。明日頑張れよー」

「うん、ありがとう泉さん!」

「だから若造じゃなくて蒼井ですってば」

「泉さんまた来るねー!」

薄い財布を握りしめとぼとぼと出てきた大原先生の後を泉さんの声が追いかける。

すっかりsound studio LUFUの常連になった私たちは、いつものように、ぶんぶんと大きく手を振って泉さんと別れた。


初等部の校門前で大原先生、蒼井先生と別れた後、私たちは誰からともなく近くの公園に立ち寄った。

まだなんとなく帰りたくないのは三人とも同じなのだ。

だって早く家に帰ってしまったら、すぐに明日が来てしまうような気がするから。


空はまだ薄明るい。公園の木々は青い葉っぱを夕暮れ色に染めて、春風に体を揺らしていた。

二つ並んだブランコに腰掛けた近藤が「はぁー………ついに明日かぁ」と呟いた。

「長かったなー」

「そお?俺は短かったな!!」

「そりゃおめー、明石は途中参加だからだろ!俺と小川はもっと前から練習してたんですわ!」

私はブランコの柵に腰掛けて二人の話を流し聞きする。背中のベースケースが汗で蒸れて少し暑苦しい。

「明石、おめーはもっと緊張感を持て!!明日で決まっちゃうんだよ軽音楽部の運命がよ!!」

「んーいや、緊張も大切だけどさ、やっぱ一番は楽しむ心!じゃない?」

「なんか明石大原先生に似てきた?」

「えなにそれなんかヤダ」

近藤がゲラゲラと笑う。

「なー小川、もし、だよ。もしもさ、明日過半数集まんなかったら俺らどうなんの?もしも、の話だけどさ!?」

突然近藤がそんなことを言い出した。

うーん、今まであんまりこういうこと考えないようにしてたんだけど。

「多分、そのまま解散かな」

ええ!?と栗原が声を上げる。

「ここまで練習しといて解散?なにそれめっちゃ寂しいじゃん!」

「しょうがないでしょ。相手は倉本先生だし」

「あーあの先生過半数にあと一人足りないとかでも廃部にしそう」

「つか過半数って具体的に何人?」

「初等部が大体千人くらいだからー………ごひゃくにん、とか」

「そもそも全員が記念館ホールに聴きに来てくれるのかね」

考えれば考えるほど、不安が絶えない。


ふいに三人の間に沈黙が舞い降りた。

カラスのアホっぽい鳴き声が頭上を通り過ぎていく。


多分、三人とも考えていることは同じだろう。


「………明日、絶対ぇ勝つぞ」

黙って地面を睨んでいた伊吹が顔をあげる。

その真っ黒な瞳は、真っ直ぐ、前を見つめていた。

「当然!俺らならいけるでしょ!」

明石が笑顔で拳を前に突き出す。

「音楽の力はむげんだーい!!」

ひとしきり盛り上がった二人の視線が、不意に私をとらえた。

「なに」

「いや小川もなんか言えよ」

近藤が不満そうにグイッと顎を突き出す。

「そーだよ小川が言い出しっぺじゃん」

全くいつでもぶぅぶぅうるさい二人だ。

「別に何もない。あんたたちこそ、今威勢よくても明日ステージ立った瞬間ひよるとかほんとにやめてよ」

「う゛………俺やりかねないかも」

「俺も」

やりかねないんかい。

その後私たちは軽く明日の打ち合わせをしたのち、脳筋こと栗原の提案で小さな円陣を組んでお開きにした。


翌日。

昨日と同じ太陽が、また今日も昇る。


運命の昼休み、私たち軽音楽部と大原先生と蒼井先生は、白百合統記念館ホールの大ホール、舞台裏に待機していた

すでに楽器は運び込んである。この日のために泉さんのスタジオから借り出したドラムもベースもギターも、チューニングはバッチリだ。アンプの確認も済んでいるし、照明から舞台の幕まで全部確かめた。

幕の操作などは全部蒼井先生がやってくれるということで、心配事はもう何もない、はず。

だが。

栗原がさっきから心配そうに私を見ている。

いや私を見られても困るんですけど。

そのうちに舞台裏から大原先生がひょこっと顔を出した。

「おーい開演五分前だぜお前らー、準備はいいかーいってあれ、何この雰囲気」

空気重っ、と叫ぶ大原先生。

ごふんまえ。

栗原の顔がこわばったのが横目で見てわかる。

まずい。非常にまずい。このままだと………


「どうしたどうした、光サンまでそんな深刻そうな顔をして………ん?あれ、」


大原先生がキョロキョロと辺りを見回す。


「なんで二人しかいねぇの?伊吹は?」

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