11曲目 誠心誠意

「栗原くーん、栗原明石くーん!!大原先生のとこにしゅーごー!!」


そんな声を聞いて俺………栗原明石が慌てて廊下へ飛び出すと、「やっほ!」と手をヒラヒラさせた大原先生が待ち構えていた。


「初めましてだねー、俺の名前わかる?」

「?大原先生ですよね?」


あ、そういえば俺、大原先生と話すの初めてだ。

最近軽音楽部の話題とともにこの先生の名前が上がることが多いから、すっかり知った気になっていた。


「せいかーい!つか俺、今自分で自分の名前呼んでたわ!あっはっはっ!」

「あ、あはは………」

俺は突然一人でゲラゲラ笑い出す大原先生につられて愛想笑いをこぼした。この変な髪色(ミルクティー色?)といい、噂通りの変人ぶりだ。


「あー、なんの話だっけ。えーっと………あ、そうそう!軽音楽部!ねぇ栗原くんさ、ドラム叩けるんでしょ?」


ハイ絶対この話だと思った!!!


俺が三週間ほど前、小川に「軽音楽部に入ってよ」と誘われたことは記憶に新しい。なぜか彼女は俺がドラムを叩けることを知っており、有無を言わさぬ圧力で迫ってきたのだ。

あの時は伊吹の件で途中から話が途切れたので俺の中ではフェードアウトに成功したと思っていたが、彼女は忘れていなかったらしい。


「いやー軽音楽部さぁ、あと一人部員必要なんよねー後一人!しかもできればドラム!

栗原くん他に部活入ってないんでしょ?ぜひぜひ!!」


先生を使って頼み込んでくるとは………小川の狂気的な計算高さと執着心に内心引きつつ、「俺、人前で何かするとか苦手で………しかもブランクあるんで多分もう叩けないんですよ」と角が立たないようできる限りやんわりと断った。


「そこをなんとかぁ!」

「いやー本当にすみません。他に誰かいないんですか?」

「いない!いてもやだ!栗原くんじゃないとやだ!」

「別にドラムじゃなくてもいいんじゃないですか?例えばギターとかなら一人くらい弾ける人いそうですけど。そういう人を適当にもう一人くらい引き込んで軽音楽部作っちゃえば」

「わかってねぇなあ!あのね、ドラムってバンドの大黒柱なの!ドラムがねぇバンドとか柱のない家みたいなもんなの!柱のねぇ家に無駄に窓だの屋根だの装飾しまくったって風が吹いたら全部吹き飛ぶんでさァ!」


おおう、なんか謎に大原先生がヒートアップしてきたぞ。


「とにかく!!すみません入れません!!」

「やだ!ぜーったいやだ!!お願い、頼む!!入ってくれ!!一生のお願いだからぁぁぁぁあ!!」

「むり、むりむりむり!!つか手離してくださいよ!肩痛いんですけど!」

「離さん!入るって言うまで離さん!!」


抱きつく勢いですがりついてくる変質者もどきの教師と、それから逃げ惑う健全な男子小学生。ここが外なら完全に通報案件な絵面だ。

廊下を通る児童やら先生やらの視線が痛い。

明らかに迷惑そうな顔や、中にはやけに同情的な視線もある。

二人の男が大声で言い合っててうるさいよね、わかる!!

でも絡まれる側の気持ちにもなってぇえ!!


………


結論から言おう。

俺は軽音楽部に入ることになった。


大原先生がついに俺に抱きつき、俺があまりのタバコ臭さにむせ、追い討ちをかけるように授業開始のチャイムが鳴ったところで、俺の強いはずの意志は根負けした。


「わわわわかった!!入る、入るから!!」

「やったーー!!!」


ひとしきり喜んだ後、大原先生はやけにスッキリした顔で「マジでありがと!マジ感謝!」という謎の台詞と入部届を残して去って行った。スキップで。


途方に暮れて立ち尽くす俺に、

「栗原、授業始まるけど」

まるで他人事のように声をかけてきたのは事の発端である小川だ。

何度も押し付けられてぐしゃぐしゃになった入部届を持つ手が震える。


部活勧誘なんてのは強引なのがデフォルトだけど、

それにしてもこんなやり方、ありかよ!?


伊吹を高橋たちから救ったあの日、俺の「揺らがないもの」が戻ってきた気がしてなんだか嬉しかった。 

揺らがないもの。それは、ちっぽけな俺の正義感。

困っている人を放っておけない、時と場合によっては悪い方向に働くこともある、やっかいだけど愛おしい俺の「長所」だ。


“あれ、止めてきて“


俺の正義感が戻ってくるきっかけを作った小川は、俺に軽音楽部に入るよう誘ってきた。


俺だって初めは嫌だった。

だって軽音楽部だよ?朝もさ、授業中もさ、放課後違うクラスのやつと遊んでいる時でさえ、悪い噂が絶えない軽音楽部だよ?


なんでも、

「毎日公民館に立てこもって練習して、近所に騒音被害だしてる」

とか、

「管弦楽部に喧嘩売りにいったらしい」

とか、

「学園近くの怪しい廃墟ビルに軽音楽部二人が出入りしている」

とか、あげだしたらキリがない。


特に最後のやつは「部員集まらなすぎてついに幽霊誘いに行ったんじゃねぇの」とか言った奴が居たせいで、「文字通りの幽霊部員説」とかいうホラー要素も混じったなかなかカオスな噂になっている。


その噂がたとえ全部嘘だったとしても、「火のないところに煙は立たない」って言葉もあるじゃん?なーんか胡散臭いなー、って思ってた。


そう、この日、伊吹の歌声を聴くまでは。


「あ、いた!蒼井せんせーい!」

「んー………?あぁ、プリント?」

「はい!六年二組三十二名、全員提出です!」


今日の放課後、学級委員長の俺は授業のプリントを理科の蒼井先生に届けるため、初等部内を走り回っていた。

「ごめん、探した?」

「探しました!先生っていつも職員室か教室にいるもんだと思ってて………まさか情報棟にいるとは!」


「………ちょっと軽音部の面倒みててさ。そうだ、栗原さんって軽音楽部の二人と同じクラスだよね?ついでに聞いてきなよ」


蒼井先生はそう言って意味ありげににやっと笑うと、視聴覚室に向かって歩き出した。

俺が慌てて後についていくと、どうやら視聴覚室で軽音楽部が昼練をしてるらしい。エレキギターのガシャガシャした音に、時たま低く鈍いベースの音が合いの手を入れるように鳴る。 

俺は正直びっくりした。


「うわ………!軽音楽部って昼休みも練習してたんですね………」

「ねー、熱心だよね」


伊吹が最近昼休みに教室に居ない謎がようやくとけた。

どこに行ったのかと心配してたけど、伊吹はここで小川と一緒に記念館ライヴに向けて練習していたんだ。


俺は耳を澄まして、二つの音を一生懸命追いかけた。

ギターは力強くて、若干雑音が多いけれど弾いている側の気合いがこれでもかってくらいビシビシ伝わって来る。

逆にベースは落ち着いていて、力強いギターにつられぬ芯の強さ、そして抜群の安定感を持ち合わせた包容力のある音をしていた。


ゴクっと息を呑む。

すげえ。

耳をすませばすますほど、鮮明に音が飛び込んでくる。

二つの音がかけ合うように響く。テンポが不規則で不安定なメロディーライン、それをどっしりと支えるベースライン。

凸凹でこぼこな2つの音が、ぐいぐいと俺を歌の世界に魅きこむ。

2人の音楽はいつまでたっても止まらない。

ずっとずっと、ひたすらに鳴り続ける。

ただひたすらに。

強く、強く。


どれくらいたった頃だろう。

ぴたりと音が止んだ。

「………そろそろ、歌うかな」

蒼井先生が微笑む。


歌う?


俺がそう思った次の瞬間、

刹那の静寂を味方につけた伊吹の第一声が、ぞくりと俺の首筋を撫でた。


………え?


なんだ、これ。


俺の耳に聞こえたのは、間違いなく伊吹の声だ。

だけど、違う。普段の伊吹の声じゃない。

伊吹が息を吸う。音を乗せ、放つ。その一連の動作は、一瞬のスキも無駄もなく、そして寸分の狂いもない、完璧な発声だった。

息の流れは止まることなく音の渦へと突き進む。

容赦なく高くそびえ立つ音階の塔を、伊吹は地声のまま軽々と駆け上がる。

狂うことなく、ぶれることなく。

そして、

塔のてっぺん、トップノート。


ふわりとそこに降り立った伊吹は、高らかに、そして鮮やかにサビを歌い上げた。


圧巻だった。

時間にして、一、二分だろうか。

俺は瞬きも忘れてその声を追いかけていた。

【小さな恋のうた】

そうだ、この曲はこんなタイトルだった。

俺は前にドラムで叩いたことを思い出し、そっと身震いをした。

ぜんっぜん、違う曲に聞こえた。


歌が終わる。


「オイ小川ァ!お前、ベース弾けよ!俺1人で歌っちゃったじゃん!なんか恥ずいんですけどー!」

「近藤が勝手に弾き始めたんじゃん。合わせるなら合図してよ」

「いや合図しなくても!そこは空気読んで!」


曲終了後即言い合いを始める二人。

教室内ではほとんど話さない二人だ。いつのまにこんなに仲良くなっていたのか………伊吹の「友達」であるはずなのに、俺は伊吹のことを何も知らない。

こんなに綺麗な声を出すこと。

小川といつのまにか仲良くなっていたこと。


「………やっぱ、すごいな」


蒼井先生がボソッと呟く。


俺は今もなおどくどくと音を立てる心臓を抑えるのに必死で、蒼井先生の顔が見れない。


けれど、蒼井先生の声は普段の無表情ではない………少し上ずっていて、俺と同じ、興奮を抑えきれていないのは確かだった。 


すごい。

すごいなんてもんじゃない。

俺は頭を抱えた。

どうして俺はこの二人のことを何も知らずに、知ろうともせずに、軽音楽部を拒んだんだ?

こんなに凄い演奏をする二人を知らずに!!


“ケイオンだってー、ウケる“

“なんかカッコつけ?っていうの?いたいよねー“

”せいぜいステージの上で恥かけばいいよ“


みんなが軽音楽部のことを悪く言うから?


クラスで飛び交う軽音楽の悪口。有る事無い事好き勝手に言われてもなお、こうやって自分を突き通せる小川と伊吹は強い人だ。 


それに小川は、花園たちと。

伊吹は、高橋たちバレー部と。


明らかに上手くいってない。いや、多分「上手くいってない」のラインを超えている。

軽音楽部の噂が校内に出回るようになってから、さらに関係はこじれただろう。俺は軽音楽部が悪く言われることの裏には花園や高橋、彼らがいる思っている。もしかしたら、前にも増して酷いことをされているかもしれない。


それでも、二人はこんなに強い音を出すんだ。


それだけじゃない。

二人は見えない何かで繋がっている。強く結びついている。

本人達は気づいていないだろうが、それは音が雄弁に語っている。


僕らは強い、と。


昼間の大原先生の声が蘇る。


”いやー軽音楽部さぁ、あと一人部員必要なんよねー後一人!しかもできればドラム!

栗原くん他に部活入ってないんでしょ?ぜひぜひ!!“


………大原先生、俺には、やっぱり無理だよ。

こんなカッコいい二人と同じステージに立つなんて、周りの目ばかり気にする弱い俺には荷が重い。


でも………それでも今、二人の音楽に魅せられてしまった俺がここにいる。

俺は胸に手を当てた。

心臓は鳴り止まない。

同時に、あの日以来消え失せていたビートが再び頭の中を駆け巡る。

こんな俺でもいいだろうか。

一度逃げた、俺でもいいだろうか。


俺は視聴覚室に歩み寄り、扉の前で立ち止まった。

深呼吸して、扉を思い切り引く。

「!?………うお、明石!?何お前、居たの!?」

灰色一色の視聴覚室のマット地の上に足を投げ出していた伊吹が、突然現れた俺の顔を見て飛び上がった。

小川と一瞬だけ目が合う。

二人とも制服のワイシャツを肘までめくり、首もとには薄っすらと汗をかいている。

それだけ必死に練習していたんだろう。


もう一度深呼吸。

そして、俺は両足で思い切り地面を蹴った。


ズザァァァと床と肘と膝が擦れて音を立てる。


完璧なスライディング土下座。

床で擦れた腕がジンジンと痛む。


我ながら馬鹿みたいだと思う。

それでも………


「俺を、軽音楽部に入部させてくださいっ!!」 


できる限りの誠意を込めて、俺は言った。


「一度断ったのはごめん!でも今、二人の音聴いて、俺も………その中に入りたいって思った!足引っ張んないように頑張るから………だから、頼む!」


今度はもう、逃げないから。

軽音楽部からも、過去のトラウマからも、そして今の自分の本当の気持ちからも。

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