第5話 思い出のカレー

 シャルル・ドリームカード……さん。


 大きな家に一人暮らしのぼくを心配して、両親が雇ってくれたメイドさんらしい。


「冥土の土産ですね」

「それ、間違ってるよ」


 きみは死神かなにか?


「私のことは、シャル、と気軽に呼んでください」


 一般的なメイド服に着替え終えたシャルさんが、正座をしてぼくの前で頭を下げた。


「はあ。よろしく、お願いします……シャルさん」


「のー、ですよ、ハジメ」


 ちっち、と口元で指を揺らす。


「さんはいらないです、シャル、とお呼びください」

「…………基本的な家事をしてくれるんだよね?」


 話題を逸らすと、シャルさんがむすっと頬を膨らます。


「……聞いていた通り、手強いですね、ハジメさんは」


「料理、洗濯、掃除……くらい? 住み込みだよね? 

 じゃあ、生活リズムも合わせて、プライベート空間も、ちゃんと区切ろうか」


 大きな家なのでトイレは二つある。……から、考えなくていいとしても、お風呂場は一つしかないので、ぼくたち二人で使うことになる。

 いつもなら好きな時間に入っていたけど、シャルさんがいるなら、浴槽にお湯を張ってくれるようだし、彼女の指示に従うようにしよう。

 自分の中のルーチンがあるわけでもない。


 彼女の指示に従っていれば、少なくとも裸で鉢合わせするような事故は起きない。


「それとハジメさん。……エッチなことはダメですよ?」

「違約金を取られそうだからしないよ」


 訴えられた時、罪状を読み上げられるのが恥ずかし過ぎる。


 シャルさんはぼくの反応に不満そうだが、すぐに切り替えたようだ。


「ではハジメさん。まずは……今日、なにが食べたいですか? 

 買い出しにいってきますので、なんでも、お好きなものをお作りしますよ」


「……じゃあ、カレー」


「お好きなんですね。ゴミ袋の中にたくさんのレトルトカレーがあるのを見ましたよ」


 好きか嫌いで言えば好きだけど……正直に言えば、なんでもいいのだ。

 なぜなら、カレーは飽きない。


「辛口ですか、甘口ですか?」

「どっちでもいいよ。シャルさんのお好きな方に」


「だから、シャルです。そうですね……では、甘口にしますね」

「うん」


「とりあえず、買い出しを先にしちゃいます。帰ってきてから、軽く掃除をしましょう。脱いだ服は散らかったまま、ゴミ袋はいくつも溜まってる。食器はシンクの中に放り込んだまま。飲みかけのペットボトルの処理……諸々、あとで一緒に片付けをしましょう」


 泥棒でも入ったの? と言われてもおかしくはない状態。


 部屋が広いとスペースがあるので、そこに置いておけばいいやと保留にしておいて、それを一週間、一ヶ月と放置してしまう。忘れた頃に溜まっていることを自覚する。


 まだまだ、これは余裕がある方なんだけど……、

 シャルさんからすればがまんできない状況であるらしい。


「だらしない生活をあらためてくださいね、ハジメさん」

「でも、シャルさんがいれば、ぼくがあらためる必要は……」


「シャルです。私は家事手伝いのメイドとして雇われていますが、同時にハジメさんの生活力を指南する仕事も請け負っていますので。

 私がいるからにはこんな状態には二度とさせませんし、私がいなくなってもさせません。

 ハジメさんには、一般的な生活力を身につけてもらいますからね」



 買い物に出かけたシャルさんを見送り、部屋に戻る。


「たくさん喋ったせいか、今日は疲れたな……」


 普段以上のエネルギーを使ったのだ、眠くなるのも早い。

 ソファに寝転ぶ。

 窓からの西日に当たっていると、段々と睡魔がやってきて……。



「…………母さん?」


 カレーの匂いで目が覚めた。


「おはようございます、ハジメさん」


 キッチンに立っていたのは、金髪を後ろでまとめていた、シャルさんだった。


「食べましょう。お母様から教わったレシピ通りに作ったカレーですから」


 だから、か。

 だからぼくは、彼女の背中と母さんの背中を間違えた。


 髪色は違くても、その立ち振る舞いは、ぼくの知る母さんと、まったく同じだったから。


「いただきます」


 一口食べる。その再現度の高さは、脱帽するほどだ。

 ドキドキしているのが分かる対面のシャルさんに、頷いて見せた。


「美味しいよ」

「ふう、及第点で良かったです」


「母さんの味だ。いつぶりだろう……もう数年は食べてないかも」


 それでもまったく同じだって分かるほど、味は覚えているのだ。

 カレーなんて、全部同じだなんて思っていたけど、違う。


 全然違う。

 やっぱりぼくにとってのカレーは、これだ。


「ありがとう……シャル」

「……? っ、いま、私のことを……!」


「二度は言わないよ」


 咄嗟にそう言ってしまったけど、じゃあこれから先、呼ぶ時にどうしよう……?


 そんな考え事をしていると、カレーの味なんて分からなかった。

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