第3話 末来はどめと古代はじめ

 ここ数日を思い返す……たぶん、ないと思う。


 頭を打ったから、彼女にとって、未来のぼくとイメージが離れてしまったと考えているのかもしれない。人格を変えるような衝撃……、覚えはないけど、もしも打っていたのだとしたら、ぼくはそれを知らない。迂闊に、ない、と言わない方がいいかな……。


「すぐ返事!」


「ない、と思う」


 机をばんっ、と叩かれて、思わず言葉が出た。

 本当なら、きちんと『これだ』と思えるような返事がしたいんだけど。


 その時間のルーズさが、ぼくの人間関係を止めてしまっているのだろう。

 それはなんとなく分かってはいるのだけど……脊髄反射では喋れない質なのだ。


 うっかり滑った言葉で、相手の地雷を踏み抜いたら目も当てられない。

 彼女が、うーん? と小首を傾げて考える。


「考えられないけど、はじめの学生時代がこんな感じだったってこと……?」


 なにやら深い思考に潜ってしまったらしく、


「(このはじめだったら、わたしがなにもしなくてもいいんじゃあ……?)」


 腕を組んでは頷いたり、うーんと唸ったりと、一人で忙しくリアクションをしている間に、朝のホームルームが終わった。担任の先生が教室を出る際に、


「それと末来、お前ちょっとこっちこい」


「はーい」と呼ばれた彼女が廊下に出る。


 しばらくして。

 顔を真っ赤にした彼女がぼくの前に立ち、


「この時代では、シャツに下着を透けさせるのが流行ってるって聞いたんだけど!?」


 ……だから黒い下着を透けさせていたのか。


 無自覚なのか狙っているのか分からなかったから、なにも言わなかったけど……、だって他の生徒もなにも言わなかった。

 誰も指摘しないってことは、間違ってはいないってことだと思ったから。


『やっぱり、はやり本人じゃなかったんだ(ね)』


 と、例の凸凹コンビが声を揃える。


 彼女たちからすれば、『末来はやり』ならやりかねないファッション、と思っていたのかもしれない。しかも、それがクラス単位で当たり前になっている。


 そんな母親から生まれた娘にしては常識人だ。少し天然も入ってる?


 普通、言われて気付きそうな冗談にも聞こえるけど。


「誰に教わったの?」

「あんたよ!!」


「…………なるほどね」


 未来のぼくはそういう冗談も言えるようになっているらしい。

 それに、この子とはだいぶ、打ち解けているみたいだ。


「なるほどね、じゃなくてっ! どうしよ、わざわざ薄いシャツにしたのに!!」


 上になにかを羽織れば……と提案する前に、彼女が教室から出ていってしまう。

 去り際に見た彼女の短過ぎるスカート。少し動いただけで下着がすぐに見えてしまう。


 あれも、未来のぼくが言ったことなのだろうか。


「末来さん……じゃなくて、末来はどめ……さん?」


 さんを付けるには、違和感がある。

 じゃあ、末来? はどめ? はどめちゃん?


 はどめ。

 これだ。はどめ。これが一番、しっくりくる。


 それに、はどめになら、ぼくの方から話しかけることができそうだ。


 ―― ――


 スカート丈は標準に、

 シャツも透けないものに着替え、はどめはその後の半日を過ごしていた。


 そして昼休みのこと。


 教室の輪からはずれて校内をうろついていると、後ろから足音がした。


 振り向くと、咄嗟に隠れたのだろう、ととたんっ、という音。

 ……廊下には誰もいないけど……、

 ちょうど隠れやすい柱がある。ちらちらとスカートの端が揺れていた。


 はどめだろう。


 授業中も、前の黒板よりも、隣のぼくを見ていたくらいだ。

 知り合いだから見ていた、わけではないのだろう。


 たぶん、わざわざ過去にまできた理由の一端に、ぼくが絡んでいるから。


 さしづめ、尾行して情報を集めているってところかな。


 ただ校内をうろついているだけのぼくを尾行して、なにが得られるかは分からないが。


 移動ルートを見られていたなら、無意味とも言えない。


 見られて困ることもないし、気が済むまで泳がせておこう……と、少し前のぼくだったら諦めていただろう。それ以前に、尾行にも気付かなかったかもしれない。


 でも、消極的な気持ちが消えたこの状態は、貴重だ。

 やる気がある内に、行動に起こしておくべきだろう。


「はどめ?」


「っっ」


 気付かれていないと本気で思っていたわけではないと思うが……。

 動揺の仕方が、絶対に見つからない場所にいた人の反応だった。


 柱の裏からはどめが姿を見せる。


「よく分かったね、さすがはじめ」

「なにしてるの?」


「はじめが向かうところに興味があったから」


 だから、尾行していた、らしい。

 別に聞いてくれたら済んだ話だけど……そうもいかないのか。

 今のはどめの理由は、建前なのだから。


「でも、うろうろしてるだけなんだけどね……良かったら、一緒に回る?」

「……なにが目的? ついていったわたしに仕事を手伝わせるのはなしだからね!」


 まるでぼくが以前にやったみたいな言い方だ。正確には、これからやるのだろう。


 未来のことでぼくに敵対心を抱かれても、今のぼくにはどうすることもできない。


「そんなことしない」

「……本当?」


「本当。……ぼくも、知りたいし……未来のこと」


 立ち止まっていては膠着状態が続いてしまうので、先に歩き始めることにした。

 すると、後ろから、とててて、と足音が近づいてくる。隣にはどめが並んだ。


 目線が同じ。でも、きっと未来ではぼくの方が上なのだ。


 人の言葉を信じ込みやすく、からかいやすい彼女がこうして後ろからついてきたら、確かに未来のぼくが可愛がるのも分かる気がする。


 彼女に気を許してしまうのも。


「で、さ。未来のぼくは、どんな大人なの?」

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