第2話 水面と少女


 ――ばきっ、ばききっ!

 と、大木の枝を折りながら、落下したのは湖だった。


 意外と深い……、空気を求めて水面を目指す。

 しかし、向かった先が上なのか下なのか分からなかった。


 が、それでも迷うなら進む方がいい。いつまでも呼吸が続くわけでもないのだ。


「ぶはっ!?」


 運良く水面から顔を出せた。

 大きな水飛沫を上げ、ワタルは貪るように空気を吸い込む――そこで、


 ワタルの目がひとりの少女を見つけた。


 手を掴んでいたクラスメイトではなかった。


 ……そう言えば、彼女はどこへいったのだろう?

 当然ながら、手の感触はもう忘れてしまっている。


 空の上ではぐれたか。


 ワタルは浅いところまで泳ぎ、足が地面に着いたところで立ち上がる。

 気づいた――彼女は。


 目の前にいる彼女は、目をまんまるにして、しかし体を隠していなかった。

 まず、なにも纏っていなかった……?


 裸、だ。


「は?」


 明るいベージュ色の、濡れた髪が肩に乗っていた。

 仕方ないが、視線が引きつけられる肢体である……、発展途上の控えめな胸。痩せすぎ、というわけではないが、細くて、引き締まった健康的な体。

 腰のくびれが、彼女のスタイルの良さを見て分からせてくれる。


 彼女は恥ずかしがらなかった。

 ゆっくりと近づいてきて、ワタルに手を伸ばす。


「あなた、大丈夫?」


「――っ、ちょっと待て! おまえ、はっ、なんで裸なんだよ!?」


「?」


 後じさりするワタル。

 彼女は、そんなワタルを見て、質問されても首を傾げただけだった。


 見られることは別におかしなことではない、とでも言いたげだ。

 なにより警戒の色がまったくなかった。


 裸を見られているのに……?

 どうってことないとでも言うのか?


 そうでなければ説明がつかない、平然とした態度である。


「そんなに慌てて、なによ……恥ずかしがることないでしょ。私とあなたは同じなんだから」

「同じ……?」


 違和感だ。

 そう感じながらも、ワタルはそれどころではなく、視線を逸らす。


 ワタルも男なのでもちろん興味はあるし視線が引っ張られるが、堂々とされると不思議と見てはいけない、という自制心が働く。罪悪感も混じっているだろう。


 手で顔を覆うように――こんなの、直視できるわけもなかった。


「お、同じなわけあるか! お、おれはっ、男なんだぞ!?」


 ばしゃっ、という水飛沫。

 伸ばされていた手が引っ込み、彼女が後ろへ引いたのだ。


 その時に足が絡まったのか、バランスを崩して背中から水の中へ。

 肩まで浸かった彼女が、上目遣いでワタルを見る。


「お、オトコ……?」


 やっと警戒された。

 彼女の顔が少し赤くなっている……? 男と知って、やっと羞恥心が生まれたのか。


 裸を隠すように水の中に隠れているのが恥ずかしがっている証拠である。


 男だと分からなかった……?

 中性的な見た目でもないのだが……一目見れば男だと分かるだろう。


 ――というのはワタルの常識だ。

 だが、彼女は違った。

 だから、すれ違いがあったのだ。



 ――なんで男ってだけでこんな反応を……?


 ――もしかして、近い関係に男がいないのか?



 ワタルの予想は、当たらずとも遠からずだった。


「あんたっ、ほんとにオトコなの!?」

「そうだけど……いやっ、だからさあっ、まずは服を着てくれ頼むから!!」


 水の中から出てワタルの手をぎゅっと掴んだことで、彼女の全身が見えてしまった。

 せっかく生まれた羞恥心がどこかへいってしまったようだ……。


 ワタルの一言で羞恥心を思い出す。

 そうなると、次に出てくるのは悲鳴だ。


 これで男側が悪くなる……仕方ないが、しかし理不尽だ。

 彼女の甲高い悲鳴は、森の中の鳥を数羽どころではなく群れで飛ばしていた。


 森が騒ぎ出す。

 今の声で、足音がやってくる――



「っ、まずいわ、追いつかれた!!」


「追いつかれた、って……」


「いいからこっちへきて!」


 彼女に腕を掴まれ、ぐっと引かれる。

 その時に感じた痛みに、ワタルが顔をしかめた。


 ……振り返れば、高いところから落下したのだ。

 下が水面だったとは言え、折れていなくともひびくらい入っていてもおかしくはなかった。


 湖から出て、近くの大木の後ろ、少女が『隠しておいた服』を着た。

 上下がくっついている全身真っ白のパイロットスーツだ。


 ぴたっと張り付くように体のラインが見事に出ているため、正直、裸と同じくらいに心を揺さぶられる見た目だ。


 が、もちろん裸よりはマシだった。


 乾くと癖が出てきた、明るいベージュ髪をスーツの外へ出す。


 ちらちらと見える鎖骨やうなじに目を奪われ、魅入っていたことに気づいたワタルが、もう遅いと思うが明後日の方向へ目を逸らした。


 そもそも着替えをまじまじと見てしまっていたのだから今更ではあったが……。



「あいつら……誰だ……?」


 大木の後ろから追っ手を観察する。

 彼女と同じく白いパイロットスーツを着ている……――三人だ。


 ただ、中心にいる小柄な黒髪少女だけはスーツのデザインが違う。


 ワタルの隣にいる彼女は側面に青いラインが縦に入っているが、もうひとりは赤色だった。

 ひとりだけ、特別……。


「顔を出さないで、気づかれるでしょ」


「いや、悲鳴を出した時点でバレてるから。……こそこそ移動するつもりがないなら、ここがバレるのも時間の問題だと思うぞ」


 彼女は、「そうよね、そうなんだけど……」と考えるように親指を噛む。

 そうこうしている間に、湖近くの三人は、周囲を捜索し始めた。


「喧嘩でもしてるのか?」

「喧嘩じゃないわよ。遊びでもなく……これは真剣勝負なの」


「ゲームか?」


「遊びじゃないって言ったわよね? ……今、この森は無法地帯で、戦場になっているの――誰がどこで死んでもおかしくないのよ!!」


「おい、バカ――」


 彼女が大木から飛び出した。


 無謀にもひとりで挑むのか、というワタルの最悪が当たった。


 だが――、ワタルが思っているよりも勝算があったようだ。



 彼女が手の平を、敵のひとりへ向けた。

 赤いラインの入ったリーダー格の少女だ。


 すると、伸ばした手の平が、青く光り始めた――――


 瞬間、飛び出した球体が勢い良く前方へ飛んでいく。


 直線ではなく、やや蛇行して飛んでいった砲弾が、敵へ向かっていく。


「不意打ちがズルなんて言わないわよねっ、ターミナル!!」


「――ああ、もちろんだ」


 小柄な少女が、にぃ、と笑った。

 飛んでくるのが分かっていたように、彼女が手を払って青い砲弾を真っ二つに――――



 上下に割れた砲弾……の、凝縮されていたエネルギーが、爆発を起こす。


 灰色の粉塵が、視界を覆ってしまった。

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