ガールフレンド”アーマー(ズ)”
渡貫とゐち
第1話 直前
「ワタル、どうせ暇だろ? トランプしようぜ!」
修学旅行中、行きのバス車内だった。
後ろの席の生徒が、背もたれから身を乗り出して声をかけてきた。
「トランプ? 前後の席でどうやって……まあ、いいけど」
行儀はよくないが、男子のノリに付き合って、ワタルも身を乗り出しトランプに参加する。
――もちろん勝った。
運ではなく、相手の顔色を窺ったり知っている癖を見て判断してみたり、単純に聞いてみたりと手段は絞らなかった。
そういう駆け引きもトランプの――ババ抜きの醍醐味だろう?
「いや強いわ!」
「おれを誘ったのが間違いだったな」
「コイツめ……、目に見えて慢心してやがる……。既に高校も受かった気でいるんだろうなあ――」
痛い目みやがれ、と言わんばかりの視線が突き刺さる。
だが残念ながら、ワタルは受かるだろう。
推薦? 裏口? そうではなく、単純な実力で。
ある程度のことができてしまえるワタルなら、高校受験くらい難ではない。
ババ抜きのように。
相手の顔色を窺えば一番に抜けることができるのだから。
「ワタルって、難しいと感じたことって、ないのか?」
「あるだろ普通に。ただ、ちょっとやればコツを掴めるよ」
「出た出た、天才にしか分からないことじゃん」
「なればいいだろ、天才に」
『なれるか!』
ワタルは首を傾げ――はしなかった。
分かっている。
天才には、簡単にはなれない。
だからこそ天才と呼ばれているのだから。
ワタルは自分を天才だと自負している。
おまえらとは違うんだと、胸を張って言うことが礼儀だと思っているからだ。
天才が謙虚でいたら、凡人は誰を敵視すればいいのだろう??
「まだやるか? トランプ――」
「いや、ちょっと休憩しようぜ……酔ってきた」
「手元をずっと見てたらそうなるだろ……ふぁ、おれはなんか眠くなってきたな……」
車内も静かだった。
さっきまで喋って騒いでいた男子も女子もスマホをいじっていたり、昼寝をしていたり……各々で自由に過ごしている。
長旅の序盤ではしゃいだ結果、疲れが思ったよりも早く出てきたのだろうか。聞こえる走行音が、眠気をさらに刺激する。
そう言えば車内で予定されていたレクリエーションがあった気が……、旅のしおりを見ればまだまだ先の話だった。
ワタルはがまんできなくなり、椅子に深く座り直す……うとうと、とし始め、気づけばまぶたが下りていた――――
飛び起きたのは衝撃があったからだ。
――がくんっ、とバスが揺れ、眠気も吹き飛んだ。
シートベルトをしていなかった生徒が通路に投げ出されて転がっている……
ワタルはシートベルトをしていたが、強い衝撃で首を痛めた。
「ッ……な、なんだ!?」
すぐに教師が立ち上がって注意喚起を――だが、窓から見えた光景に目を疑った。
衝撃の原因は、それだ――
岩だった。
バスを壊すほどではないが、当たって車体を揺らす大きさの岩が転がってきたのだ。
落石注意、とは書かれていなかったが……、看板がないことが安全の保証ではない。
――迫ってくる岩が車体にぶつかった。
また、衝撃が抜けていった。
立っていた教師がバランスを崩して倒れ込む。
バスが蛇行する――、運転手はベテランで、同じく生徒を乗せて何度も通っている山道なのだが、岩が落ちてくる経験はなかったようだ。
持っている実力でできる限りのことをするが、蛇行して進むバスが崖から落ちるのも時間の問題だろう。
バスの制御が、どんどん失われていっている。
「おい、これ……落ちるとかないよな……?」
「ちょっとっ、怖いこと言わないで!」
近くの女子が叫ぶ。
思っただけのつもりが、ワタルが口に出していたようだ。
冗談だ、と言って安心させたかったが、状況がよくなかった。
冗談だ、と言うには状況がまさにその通りに進み過ぎている。
落ちてもおかしくなかった。
――目の前、道の先の崖が、もうすぐそこにあった。
追い打ちをかけるさらに強い衝撃。
視界が大きく揺れた後、バスのフロントガラスにひびが入っていることに気づいた。
車体の蛇行は、さらに激しくなって――
運転席を覗くと、運転手の手が止まっているのに、ハンドルが動いている……?
運転手は……、ぐったりとしていた。
気絶、してる……??
「おいッ、誰かハンドルを!!」
下を見れば、教師は倒れ、気絶してしまっている。
額から赤黒い血を出していた。……頭を強く打ったようだ。
「ッ、なら!」
おれが運転を――と、ワタルがシートベルトに手をかけた時だ。
ぱぁんッッ!! という音が聞こえた。
音は下から。……タイヤが、破裂した……?
――もう、ハンドルを回しても制御できないかもしれない。
バスは山道のガードレールを破壊し、崖の下へ、真っ逆さま――――
落下の浮遊感が、全生徒の心臓をぎゅっと握る。
パニックにもなれなかった。
悲鳴も上がらない。
そんな中で、ワタルは冷静に窓の外を――……?
……窓の外を見ると、崖の先は……あれはなんだ?
見えるのは森だった。
いや、波紋を作る、水面でもある。
大きな水の球体がそこにあるかのようだった。
――どぷんっ、とバスが水の球体へ入ったと思えば、さらに奥に小さな球体がある。
小さいのではなく遠いのか、と思った時。
ワタルが見た緑色がその球体だったことが分かった。
まるで外から見た地球の青が、緑色になっているかのようだ。
バスは、あれに引っ張られているのか?
確かに、引かれている感覚はある……。
後ろを見る。
さっきまで見ていた山道が遠ざかっていく。
やがて周囲は暗く――黒くなっていく。
……点在する星たち……そう見える。
そこは宇宙空間のようだった。
すると、近くの窓ガラスが、ピシ、と静かに割れた。
――瞬間、外へ引き寄せられる吸引が始まった。
「っ!?」
シートベルトがなければ全身が持っていかれてもおかしくなかった吸引力。
強力な吸引力を証明するように、シートベルトが悲鳴を上げていた。
みしみし、という嫌な音が聞こえ続けた中で、ぱきん、という軽い音が響く。
シートベルトの金具が壊れた?
そして、近くの席の女子が、ふわりと浮いた――
割れた窓へ、引き寄せられる。
「ぇ……きゃっ!?」
必死に座席を掴んで堪える女子だが、段々と手が滑っていっている。
このままだと彼女の全身が外へ持っていかれる!
「や、嫌っ。た、ねえ! 助けてよっ、みんな!!」
と、助けを求めるが、全員が必死に座席にしがみついている状態だ。
シートベルトをわざわざ外して彼女を助ける……そのための余裕が誰にもなかった。
みな、怖さで目を瞑っている生徒がほとんだった――。
彼女が浮いたことを知っていても、すぐに見なかったフリをした生徒もいたが……それを責める権利は誰にもないだろう。
「ちょ、っと……みんな!」
クラスメイト、ではなく、仲の良い数人のメンバーへ声をかけたのだ。
しかし、誰も手を伸ばしてくれなかった。
彼女を助けようとすれば十中八九、道連れになるだろう……。
誰も、危険を冒してまで彼女を助けようとはしなかったのだ。
つまり、彼女は見捨てられたのだ。
「イヤ、よ……怖い……――助けてよぉっっ!!」
叫ぶと同時に彼女の指と座席が離れた。
外へ吸い込まれていく――それを見て、ワタルは。
彼女の目を見てから……カチン、と金属音を響かせた。
シートベルトを外した。
――なんでもできる自負がある。
イメージはできている……だったら、行動しろ、天才!
ワタルは膝を叩き、起き上がった体を動かした。
座席を踏み台に、窓の外へ手を伸ばす。
バスから離れていく彼女へ、「届け」と祈る。
祈る? 届かせるんだ――おれがッ!
「掴まれ、早く!」
ワタルの手が届いた。
彼女と繋がることができたが――、あと一歩のところでワタルの手はバスに届かなかった。
危惧していた道連れ……、ワタルも、彼女と一緒にバスの外へ――――
「……くそっ」
ふたりは、緑の球体へ向かう、黒い空へと投げ出された。
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