タルト・ネオーズ【3】
大きな原因として、差別なんて厄介なものが雁字搦めになっている。
先入観で固められた誤解を解くのは難しい。
亜人にとっては、人間の存在が大きいのだと思う。
武器を取り、亜人を狩る側の人間。もちろん弱肉強食の世界、人間だけが悪者なのだと言うつもりはないし、人間の中でも心優しい人はたくさんいる。だけどやっぱり――先入観。
魔獣、人間、亜人、この三つ巴は命を懸けて数百年、世界中で争われてきた。
歴史の記憶は血に刻まれ、種族全員に流れている。親から子へ、友達へ。
実体験はないけどあいつらは敵だ、と決め付ける要素としては、親からの言葉は大き過ぎる。
疑う余地なく信じるべきだと、これもまた先入観だけど、そういうものだと思ってしまったら、なかなか嫌悪感を消すことは難しい。
習慣を変えるのが難しいようにね。
わたしがそうであるように、人間が悪い人じゃないってことを知っている亜人は多い。
それが下界民、森林街に住む亜人たち。
だからこそ、下界民は貴族から嫌われているのだろう。
野蛮な人間と手を組む、堕ちた亜人。
敵に寝返った――裏切り者、など。
そんな被害妄想をしているのが貴族たちだ。
会ったこともないくせに色々と言うなあ、と思ってしまうけど、会ってはいないけど見てはいる。わたしもよく見せられたのが、記憶にある。
人間はこう、わがままですぐに暴力を振るい、力で支配してくるやつらだぞー、っていう、なんだか編集によって事実を捻じ曲げられたような映像を見せられたのだ。
誇張も偽りもなく、それは本物の映像で、人間同士の戦争の映像だった。
真正面から正々堂々——裏でこそこそと卑怯な戦法。まあ、色々と策略が動き、戦争は終結する。……で、勝った方がなにもかもを手に入れていた。
力こそ全て。それが人間の最大のルールらしい。
でも結局、それは人間という中のたった一部分でしかない。
だって、そんなことを言い出したら亜人同士だって戦争はするし、というかしていたし、力によって支配することも珍しいことじゃない。
あの映像とまったく同じことが、亜人にだって当てはまるのだ。
人のことなんか言えないじゃん! とわたしは思った。
人間を敵と設定しておけば、敵意をそちらに誘導することができる。人を操る時、操作しやすくなる。人をまとめようとしたら、共通の目的を持たせるのがいいってお姉ちゃんも言っていた。……で、効率的なのが、敵意。同じ敵を作ることで、一致団結させる。
亜人の中では、人間がそれで、貴族からしたら下界民がそれだった。
状況がもう、簡単には仲直りできないようになってしまっている。
誰か一人が喚いたところで、決して崩れない関係性が出来上がってしまっている――。
シャーリック家、ナスレード家、デスティーノ家……、この三つは貴族の中でも名家と呼ばれていて、貴族街を仕切る管理者みたいなものだった。
表向き、三つの貴族は平行線なんだけど、わたしがまだ家にいた時は、明らかに他の二つを従えていたのは、シャーリック家だった。
シャーリック家というだけで、仰々しくされていたのが小さい頃は不思議だったけど、貴族の中でもハイエンドならば、納得のいく態度だった。
まるで王様みたいだ。
実際、王様みたいなものなのだろうけど。
貴族街に入り……周囲のわたしを見る目が、さっきまでは痛かった。サヘラは常にこの視線を浴びているのか……、と、サヘラの心の強さに感心する。
見直した。もしかしたら、自覚がないだけだったり?
格好からして、今のわたしは貴族街には相応しくない。
森で活動するためのものだし、多少の汚れもあって、貴族からしたらよそ者だと思って不快に思うだろう。
だけど、その視線も徐々に減っていく。わたしとすれ違ったり、遠目から見る人がみな、わたしがシャーリック家の九女だと気づいたのだ。
……へー、ロワお姉ちゃんやテュアお姉ちゃんばっかりが目立って、プロロクお姉ちゃんから下の姉妹なんて、知られていないと思っていたけど……、
わたしのことを知っているなんて、意外だった。
すれ違う度に、律儀にわたしに頭を下げて挨拶してくる貴族の人たち。……うう、敬われるのは、やっぱり苦手だった。
森林街の方がみんな気さくに話しかけてくれるから、よっぽど楽だ。
この空間はなんだか居心地が悪い……。
そそくさと足早に貴族街を抜けようとする。
有名なのが名家の三つであって、名も知られていないような貴族は、かなりの数存在する。
貴族ではないけど、雇われている亜人もたくさん。
人がいないと、街として機能しないのだろう。
森林街も、貴族街も――
同じ亜人なのだから、みんな仲良くすればいいのに、と思う。
けど、やっぱり、下界民は貴族を嫌い、貴族は下界民を見下してる。どっちが先かは、もう知る由もないけど、上と下で分けられてしまっているのが、仲直りを困難にしていると思う。
一緒にいたらいたで、問題ばかりだとは思うけど。
貴族街にわたしと同じ年齢の女の子が落ちてきたことがあった。
名前も知らず、痩せ細り、お肉もほとんどついていない死にかけの女の子だった。
貴族が移動に使う魔獣の鳥(――ひよこちゃん)の足にしがみついていたらしく、途中で力尽き、手を離してしまったらしい。
それからたまたま、わたしの目の前に落ちてきた。
草木に落ち、枝をクッションにしていため、怪我はなかった。
いや、元々の怪我が酷いから、どれが今ついた怪我なのか分からなかっただけだった。
女の子はお腹を空かせていて、怪我を治療するよりもまず、食事をしたいと言った。だからわたしは屋敷に食べ物を取りにいって――戻ってきた時には、女の子はもうその場にいなかった。
短い時間だったからまだ遠くにはいっていないと思って、わたしは近くを必死に探した。でも見つからなくて、街中を探し回った。
そして見つけた時、その女の子はゴミ集積所に捨てられていた。
ぼろぼろになっていた。
服は破れ、痛々しい体の傷が見えてしまっている。重ねるように、足跡が体中につけられていて、黒く変色している。
腫れあがったまぶたは上がらず、瞳を隠してしまっている。
ぐぅ、とお腹はそれでも鳴っていた。
わたしは屋敷から持ってきたサヘラのおやつであるパンを渡した。
女の子は全部食べてくれて、泣きながらわたしにありがとうと言ってくれた。そしてごめんね、とも。
女の子は下界民の亜人で、種族は悪魔だった。
角は折られ、翼は毟られ、なにがあったのかと聞くと、人間に襲われ、逃げてきたらしい。
貴族街にくるつもりはなかった、と女の子は言った。
ひよこちゃんにしがみつきながら気絶していたらしく、ここにいるのも、予定にはなかったのだと言う。……貴族と下界民の関係性が険悪なのは知っていた。
だけど、たとえ嫌われていても、誰かに頼らなければ女の子は死んでしまうと自分で分かっていた。だから覚悟を決めて助けを求めたのだ。
わたしじゃなくて。
「……巻き込みたく、なかったから」
わたしが女の子を助けたら、わたしの立場だって危なくなるって、女の子はこんな状況でもわたしの心配をしていた。
格好良かった。偉そうに命令しているだけの貴族とは大違い。
下界民を嫌う理由が、わたしには理解できなかった。
わたしと女の子はそれから楽しくお喋りをした。怪我を忘れて、女の子はたくさん笑って、森林街のことを話してくれたし、外の世界のことも話してくれた。
なんと女の子は外側の世界——都会からやってきたらしくて、ここまでの旅の内容には、手に汗を握るような迫力があった。
ずっとこのまま、こんな時間が続けばいいと思っていた。
だけど時間がやってきてしまった。死期を悟った悪魔は、誰にも見られないところでひっそりと死ぬと言われている。
だけど女の子は、わたしと最後までお喋りをしたいと願った。
貴族に助けを求めても、また断られる。それに、また怪我を負わされるかもしれない。
最後まで足掻き、惨めに死んでいくなら、最後は楽しくお喋りをして後悔なく死にたい。
女の子のそんな頼みを、無下にすることはできなかった。
「タルトと話してると、全部を忘れちゃうくらい楽しかったよ」
ほんと? わたしは、ただ喋っていただけなんだけどね。
「それはタルトの才能だよ。タルトのその明るい性格が、色んな人を救ってると思う。
少なくとも、わたしは救われた。だから、ありがとう」
傷つきながらも最後まで悔いを残さず、見せた笑顔に偽りはなかった。
ほんとに満足した人生だったんだろうなって、分かった。
それからすーすーと寝息を立てていた女の子は、わたしの膝の上で静かに息を引き取った。
わたしは友達を背負って、貴族街から離れた場所、ぱっくりと割れた棺桶のような太い枝を見つける。巨木・シャンドラの枝で作られた網目状の地面には、大理石のタイルが埋め込まれているが、端の方はそのタイルがないため、枝が丸見えなのだ。
その一本に、女の子を押し込める。
すると枝が、静かに穴を閉じた。
中は見えず、そこに女の子が眠っているなんて誰も分からないと思う。
わたしは、摘んできた花を置いた。シャンドラの意思か分からないけど、細い枝でその花を掴み、彼女が眠るその太い枝に、結んでくれた……。
たった一本の花が、彼女の目印になっている。
「わっ! お花、増えてるじゃん!」
一か月ぶりに見にきた女の子の墓には、花束くらいの花があった。
誰かが、置いてくれたのかな? それもあるかもしれない。
もしかしたら、シャンドラが手を加えてくれたのかもしれなかった。
なんにせよ、ありがたかった。
これなら、彼女も寂しくないと思う。
「ごめんね、一回きりで出ていっちゃって。わたし、今は森林街にいるんだよ?」
語りかける。
そうなんだ、と返してくれた気がした。
「みんなには、家での厳しくするしつけが合わないからって言ってるけど、ほんとはただ外を見てみたかっただけなんだ。森林街、外の世界……わたしの知らないこと、たくさんあるから」
あの時の思い出話がきっかけなんだよ?
わたしに理由を与えてくれたのは、彼女だ。
「貴族と下界民が喧嘩なんてしていなければ――、
助けを求めて、断られるなんてこと、なかったのにね」
彼女だって、死ぬことはなかったのに。
でも、今更そんなこと言っても仕方ない。
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