タルト・ネオーズ【2】その2
「いま! 目の前、黒いのが、ぶんッ! って横切った! なに!?」
ベリーのツインテールだけど。
「う、腕ががっちり固まって、動かせない……、金縛り!?」
ベリーが必死にしがみついているせいだと思う。
「……怖がり過ぎて全然、周りが見えていないじゃん」
顔色が悪く、半分泣いている二人の一歩は、とても遅い。ぷるぷる震えて、生まれたての動物みたいだった。マフラーを巻いていて暑がっていたベリーの体はきんきんに冷えている。
……なんだか、可哀想になってきちゃった……。
「二人とも怖がり過ぎ。幽霊なんて亜人の一種なんだから、怖くないよ。幽霊ちゃんもね、今の二人みたいに、びくびくーっ! って、怖がってるんだから――って、聞いてる?」
「た、たたたた、タル、タルタル、タルト……」
人を調味料みたいに呼ぶベリーの視線は、わたしに向かっていない。
後ろ。わたしの後ろだった。
「…………」
ショコナを見ると無言で固まっていた。目を開けたまま、まばたきもしない。
「…………お、大げさだなあ。幽霊じゃなくても、亜人だったら同志でしょー?
怖がる必要なんかないんだから、軽くあいさつをするフランクな感じでいいんだよ」
言いながらも、わたしは振り向けなかった。
ちゃきん、ちょきん、かち、かちり。そんな音が、耳元から、聞こえてくる。
ぎぎぎ、とわたしの首は錆びたロボットのように動かしづらい。
動かしても、いいのかな。
後ろ、見る、べき……?
「え、だって、さっきの人影って――」
ちょこまかと動く人影は、わたしの知っている子だと思っていたから安心していたけど、もしも違うとしたら。
……この洞穴の中に、住みついている、わたしの知らない誰かなのだとしたら。
正体が分からない。
なにをしてくるのか分からない。それが一番、怖い――。
ちょきん、ちゃきん――ちゃき、り。
音が、止まった。
ベリーは既に、怖さのあまり気絶してしまっている。
ショコナは、固まったまま変わらず。
目を開けたまま気絶しているのかもしれない。
つまり、一人きり。
わたしは後ろの正体と、一人で向かい合わなくちゃいけない。
「だ、大丈夫っ、だって幽霊とかゾンビとか吸血鬼とか、本の中みたいに襲ってくる人たちじゃないって言ってたし!」
『大多数の人はね』と、そこでなぜか、その一言を思い出してしまった。
貴族の中にわたしやテュアお姉ちゃんみたいな、はぐれ者がいるように。
幽霊やゾンビや吸血鬼の中にも、常識知らずな野蛮人がいたとしても、おかしくはない。
しかも、ハサミの音だった。――『シザー・ハンズ』は、貴族でも容赦なしに襲う、無差別殺人者の代表じゃなかったっけ?
森林街にはいないし、外の
だからもう絶滅したか、遠い土地に隠れ住んでいると噂されていた。
情報がないに等しい。
確実なことは絶対に言えない。
……自分たちの近くに潜んでいないとは、断定できない。
「うそ、うそうそうそっ!」
寒い。自分で体を抱く。けれどその寒さは変わらなかった。……悪寒? 背筋が凍って? 暑くなったらぞっとする話を聞くっていう言葉がよく分かった。
これ、冷房なんかよりも全然、体の芯から一気に冷える。
「怖いけど、逃げちゃだめだよね――」
だって、ベリーとショコナがいる。
わたしが一人で逃げ出したら、二人を置いていくことになっちゃう。相手が噂のシザー・ハンズであっても、そうでなくとも、姉として、それだけは絶対にできなかった。
二人がいたから、決心できた。
振り向く勇気が持てた。立ち向かう気力が湧いた――。
「ま、負けるもんか!」
「? タルト姉たま?」
ちょきり、ちょきり。持っているそれはハサミだけど、小さく、ほとんどの物が切れないような、玩具のハサミだった。
……えーと、ちょこまかと動いていた人影を見たわたしは、それが彼女だと分かっていたのだけど、雰囲気に流されて、色々と考えちゃっていた。
結局、最初に分かっていたことで正解だったわけで。
自分で勝手に妄想を膨らませて、怖がっていただけだった。
蓋を開けてみれば単純。ベリーとショコナとわたしが怖がっていたのは、ろうそくの火によって大きく見えた、彼女の影で。
音は、実はもっと安っぽい音だったと思うけど、頭で勝手に、金属の、よく切れる刃を連想してしまっていた。
全ては思い込みで――プラシーボ効果に弄ばれていた。
彼女にも怖がらせようとした自覚はなくて、お客様を迎えにきただけなんだと思う。
シャーリック十三姉妹、末っ子……十三女――シレーナ。
九歳の妹は、年齢に合わない落ち着いた様子で、
「なんで泣いているのかは分からないけど……元気だして。
楽しいこと、これからたくさんあるから」
そう励ましてくれた。
そして洞穴の奥へ、先導してくれる。
「……もうちょっと泣きわめいてくれれば良かったのに」
「え?」
シレーナちゃんの、裏の顔が垣間見えた。
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