タルト・ネオーズ その1
黒尽くめの性別の分からない人が、わたしの隣に腰かける。
ジュースをちびちびと飲みながら、緊張感を持ってわたしは横目でちらりと窺った。
酒場……、みたいな雰囲気だけど、子供も普通に利用しているレストランだ。
カウンター席はわたしの特等席。
一人の時はここでお気に入りのジュースを店長さんに頼んで値切って飲んでいる。
今日も値切りながら頼み、オリジナルミックスのフルーツジュースを店長が出してくれた。
お昼時でもないので、店内は混んでいない。
カウンター席だけじゃなくて、四人席だって二人席だって、珍しいことに三角形の机があり、三人席もある……、そこだって埋まってはいなかった。
だから詰める必要なんかないし、カウンター席はなんとなく、一つ空けて座るのがマナーというか、暗黙の了解というか……なのに黒尽くめの隣人は、わたしの領域に肘を侵入させている。
ちょっとイラッとする。
むむむ、と対抗して肘で肘をちょこんと打つ。
すると、向こうもやったらやり返す精神で、肘をさらに強く打ってきた。
うぐ、とわたしもちょっとムキになってくる。
やり返したら、やり返された。がつんがつんと肘が揺さぶられ、体に伝わり手に持つジュースのコップが揺れる。
中身のジュースの水面が、波紋じゃなくて、ただの波になった。
器から飛び出してカウンターを濡らした。数滴だけど、これでもわたしの生命線なんだけど……!? 向こうは昼間からジョッキのビールを頼んでいた。えいえい、と肘で突くけど、向こうは一気に飲んでいるので波が起こったとしても器からこぼれることはない。
「!」
にやり、と黒尽くめの隣人の口元が歪んだ。フードを被っていて目元は分からないけど、口元はかろうじて見える。ちょうど見えた瞬間、笑っていた。
優越感に浸っている。
わたしにとっては悔しい笑み。笑みは笑みでも、嘲笑の類。
わたしは悔しさを誤魔化すようにジュースを一気飲み。けど――足らないよ! ぜんぜん足らないよ! 苦汁をなめさせられた舌を上書きするためには、ぜんぜんっ、足りない!
どん!
すると、わたしの目の前に同じフルーツジュース、しかもジョッキバージョンが店長から差し出された。
「?」と首を傾げたけど、店長は無視した。わたしのことを
サービス? 店長が? 行き倒れ、一銭もなかったわたしから、相場よりも高い金額で食料を買わせた、あの店長が?
……なんだか不吉。眠ってる
ジョッキに口をつけないわたしを見かねた店長が、くいっくいっと、親指で隣の黒尽くめを示す。わたしを経由して、隣の黒尽くめに差し上げろ、という指示かと思ったけど、さすがに傷口に塩を塗るような行為じゃなかった。
だから店長からのサービスじゃなくて、黒尽くめからの……これはプレゼントみたいなものなのかな……?
恐る恐る、口をつける。飲んで、いつもの味だと安心した。でもなんだろう……知っていて、懐かしい味だけど、店長の味じゃない気がする……。
でも店長が作ったんだし、たまたまの、偶然……?
「あ……」
隣を見ると、口元だけを見せた黒尽くめが、こっちを向いていた。
わたしの反応をその目で見るために、と言いたげに、姿勢を横に向けている。
そこで気が付いた。
同時に、このフルーツジュースが、元々は誰のレシピだったのか、ということも。
「――お、お姉ちゃん!?」
「やっほー、久しぶりじゃん、タールトっ」
わたしを含めた十三姉妹——、
シャーリック十三姉妹の次女、テュアお姉ちゃんだった。
タールト、とお姉ちゃんが言ったけど、間違えないでね、わたしの名前はタルトだよ!
十三姉妹の中では九女。九女と言われても、一番上でも下でも真ん中でもない中途半端なところだよね。それはわたし以外にも数人、当てはまるけど。だから気にしない、気にしない。
黒尽くめのポンチョみたいな服装だったテュアお姉ちゃんは、フードを取って顔を晒した。
暑かったのか、ちょっと汗をかいている。汗が滴って、ちょっと色っぽかった。
あまり手入れをしていない、大きな胸に乗っかる髪の毛。元々は輝く金色だったけど、今は長旅のせいなのか、ちょこっとくすんでいた。それでも汚いと思わせないのは、お姉ちゃんの容姿とスタイルがフォローしているからだった。
久しぶりにお姉ちゃんと会う。やっぱり、美人だった。格好良い感じで、男の子よりも女の子から好かれそうなキャラクターをしている。
性格も大ざっぱだし。
わたしはどちらかと言えば、テュアお姉ちゃんに似ているのかな、と思う。
スタイルは正反対だけど。胸は小さいし、身長も低いし。髪の毛だって手入れをしていない。一応、お風呂には入って綺麗にしているから、緑色と黄緑色が混ざったグラデーションは、くすんだりはしていない。
昔のお姉ちゃんを真似して、髪は肩まで伸ばしている。今、お姉ちゃんは胸まで届いているけど、わたしは、あそこまで伸ばす気はないかな……。
胸に乗っかればいいけど、その胸がないからだらっとしちゃうし。
それに長髪はたぶん、わたしには似合わない。
「ま、長髪は一人、圧倒的な存在感のやつがいるし……、伸ばしてもあいつのせいでキャラ力が潰れるかもね」
「お姉ちゃんは……だから長髪にはしないの?」
「いんやあ? ちょっとくせっ毛だから、あいつみたいに綺麗にならないから諦めた。昔は憧れて伸ばしてたこともあるんだけどね。タルトも生まれていない頃の話だけど」
「ふへー」
氷をがりがりと食べながら頷く。
「ロワお姉ちゃんのところには?」
「行くわけないよ。行く気ないし、行けないし。
今日は可愛いタルトに会いにきたってだ・けー」
お姉ちゃんはカウンター席に座りながら、わたしに抱き着いてきた。
ちゅっちゅと頬にキスしてくる。
お酒には強い方なのに、もうお姉ちゃん、酔っぱらってる!?
「もうっ、離してってば! 家ならいいけど、外じゃ恥ずかしいよ……」
「うーん、そっかー。じゃあやめとく。家でたくさんする」
イタズラ好きな笑みが見えたところで、はいはいとあしらっておく。
部屋までくるつもりってことは、数日は滞在するのかな? すぐに外の世界――『アムプルス』にいってしまうとばかり思っていたから、そこはちょっと嬉しい。
でも、家でずっとキスばっかりも嫌だけど。
「何日間、ここにいるつもりなの?」
「んー、今回は結構……長いかも」
ふーんと相槌を打って、すぐに「え!?」と驚いた。
お姉ちゃんはさり気なく言ったけど、ここに長く滞在するのは、凄いことなのだ。
帰ってきてもすぐ旅に出ちゃうお姉ちゃんにしては、思い切ったことをする。
「もしかして……!」
「しないよ。タルトが想像している展開にだけはならないからね。もしかしたら、もっと大喧嘩になるかもしれない。……だからあんまり会わないようにしたいの」
「……そっか」
わたしは食い下がらない。
テュアお姉ちゃんと、シャーリック十三姉妹の長女・ロワお姉ちゃんの間には、埋められない溝がある。
亀裂が入った時は、わたしも既に物心がついているし、というか、四年前だ。
わたしが十一歳の時で、お姉ちゃんが十六歳の時。
その時の大喧嘩。
内容の詳細までは知らないけど、わたしがこうして今、家出をして、
だからわたしは、どちらかと言えば、ロワお姉ちゃんではなくて、テュアお姉ちゃんに似ているのだ。
「これからどうするの? わたしの家に泊まる?」
わたしの家は森林街から少し離れた森の中。巨木・シャンドラの根元にある。
三つの木の間に挟まった木造の家。もう、イメージ通りの、家! って感じの家だ。
部屋は二つ、キッチンも完備。全然、泊まるのはオッケーだ。
久しぶりにお姉ちゃんと一緒に過ごしたいし、頼んででも泊まってもらいたかったけど……。
「ううん、ごめんねタルト。あたし、ちょっとやることがあって。
結構、長く滞在するって言うのも、そのやることをするための時間なんだ」
「それって……ううん、なんでもない。
お姉ちゃんのことだから、きっとわたしが手伝っても足手まといになっちゃうよね」
「そんなことないよ。そりゃ、あたしと一緒に行動するのは危険だからダメだけど、タルトにも、頼みたいことがあったんだ」
「頼みたいことッ!?」
お姉ちゃんの太ももに両手の平をつけて、顔を突き出す。
キスができてしまいそうなくらいに近づき――そしてキスされた。唇と唇、そう、マウストゥマウス。姉妹だからいいじゃん、と思うけど、やっぱり口で言うほど冷静ではいられない。
かぁーっ、と顔が真っ赤になっていると思う。手で顔を隠す。
原因のお姉ちゃんは、ひひひ、といつも通り、イタズラ好きの笑みだった。
「だから、いきなりは、ダメだって……っ!」
「言えば良かったの?」
「言っても……いや、言ってくれればちょっとはマシかな」
やっぱり不意打ちは動揺してしまう。たぶん、言われても動揺はしてしまうだろうけど。
でも、ここまで顔が真っ赤になることはないと思う。
「もうっ、……それで、頼みごとって?」
「首飾り」
白紙の上にぽたっと垂れた黒い墨、みたいなくっきり感があった。
だから際立ち、とても目立つ。
瞬間、目に入る印象が、強い。
「星空のような模様が映り込む宝石が、埋め込まれている首飾りなんだけど……それがここ、森林街にあるって情報を掴んだんだ。あたしはそれを探しに戻ってきたわけ。
……この首飾り、あたしの友人の物でね、まあ、形見、みたいなものなんだ。あたしにとって大事な人だから、どうしても見つけてあげたい。
そして、元気にさせてあげたい。だから、タルト。知っていることがあれば教えてほしいし、もしも手伝ってくれるなら、タルトも一緒に探してほしい。……これがお姉ちゃんの、お願い」
真剣な目だった。
お姉ちゃんは真剣な目をすることはよくあるけど、それを妹に向けることはあまりなかった。お母さんか、お姉ちゃんにしか見せない。
そんな目を、妹の、わたしに向けてくれた。
わたしを、頼りにしてくれている証拠だ。
胸の内側が激しく動き出す。奥底から、どんどんっ、と叩いてくる衝動。
自然と口元が緩んでいた……嬉しかった。
頼りにしてくれた。任せてくれた。お姉ちゃんの、期待に応えたい。
わたしは反射的に答えていた。
即答よりも、たぶん、もっと早い。
「うん! わたしに任せておいて!」
こうして、わたしの、首飾りを追いかける宝探しが始まった。
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