第三章 強奪編
第35話 惑星の危機【支配者編】
「そろそろね」
車椅子に腰かけた老婆が、ガラスの天井から見える空を見上げた。
少しずつ、少しずつだが、遠くの暗雲が増えている。……ような気がするのではなく、明確に視界に映るようになってきている。……そう、タイムリミットが近いのだ。
今、彼女の後ろに、愛する息子はいない。
自分の手で車輪を回し、車椅子がガラスの壁に近づき、彼女のつま先が当たった。
見える外の景色には、愛しい子供たちが元気に生活を謳歌している。
しわがある指先が、ガラスを撫でた。
透明なガラスの前では、まるで彼女が、宙に絵を描いているように見える。
「守れなくて、ごめんねえ……」
呟きに答えたわけではないだろう、
彼女のことを見つけた、下にいた小さな子供たちが、手を振った。
微笑みを返し、彼女も同じように手を振った。
いつまでも続けばいいのに……、
やっと手に入りそうだった平和は、あと一歩のところで道が絶たれた。
ただし、この惑星では。
――マザー・ホーガン。
彼女のプランは、この惑星に限らない。
―― ――
「この惑星はな、寿命を迎えているんだよ」
通が切り出した言葉がこれである。
そしてこれだけで、一は彼の言いたいことがほとんど理解できた。
つまり、
「なるほどな、そろそろ崩壊するってわけか。今すぐか、三日後か分からねえが」
惑星の崩壊。
そして、この惑星を救うための鍵となるのが、プリムムなのだと言う。
なぜなのか、までは、一には予想もできなかった。
それを知るのはネイブから直接聞かされた、通だけだろう。
すると、自分の名前が出てきてぴくんと反応したプリムムが、通たちの会話に耳を傾ける。
彼女が狙われる理由を、彼女自身も知らなかったのだ。
元々、狙われてばかりのプリムムである……、理由などいちいち気にしていたらきりがないと思っていたが、さすがに惑星が崩壊するのを止めるのに自分が必要であると言われれば、気にならないはずがなかった。
通と一の近くの岩に腰を下ろして、
「詳しく聞かせて」
聞かせるつもりで大声を出していた通だ、状況が変わったわけではない。
未だに弥は距離を置いているのだ、声量を変えるわけにはいかなかった。
と思えば、彼もまた、通の近くの岩に腰を下ろす。
通を挟み、弥とプリムムが会話に混ざってきた形だ。
「これなら、声のトーンを落とせると思って」
なら、最初からやれよとは思ったが、無難に、さんきゅーと答えた通。
弥が喋ると、プリムムの気がこちらに刺さってくる。
そして不機嫌さがなぜか増すので、通にとってはこれ以上に話しづらい環境もなかった。
プリムムのことは知らないが、弥の場合はただの対抗心だろうと分かる。プリムムが折れればあっさりと矛を収めるだろう。長い付き合いなのだから分かる。
ただ、プリムムが意地になればなるほど、弥も意地になるのが厄介だが……。
一歩引いた弥も、あれはあれで彼の厄介な性格をマイルドにしていたのだから、悪いことばかりでもなかった。
闘争心さえ消してしまうのはやり過ぎではあるが。
とりあえず、二人の喧嘩は脇に置いておこう。
一触即発に思えるが、どうせ大したことではない。
事情を聞いても、聞かされるのは結局、惚気話である。
時間が許すのであれば、放置している案件なのだ。
「じゃあ、ネイブから聞かされた話をそのままするぞ?」
そのままとは言っても、一言一句、まったく同じ、というのは不可能だが。
記憶に自信はなかった。記憶喪失がなかったのだとしても。
ご存じの通り、この惑星にはアーマーズを主食とする、捕食者が棲息している。
彼女たちを喰らうのは、遙か昔に人間が、スケープゴートとして捕食者に与え続けていたから、という歴史があるが、それは割愛する。
ともかく、人間がアーマーズを盾にしてまで逃れたいと思う脅威になっているのだ。
捕食者が、この惑星における生存競争の頂点である。
捕食者にももちろん種があり、その中でも力の差はあるにしても、大雑把に分ければ捕食者、と呼ばれる巨大生物が、最もこの惑星で猛威を振るっている。
「そう思ってるだろ?」
弥と一はぴんとこなかったが、プリムムは、えっ、と反応した。
ちなみに、ルルウォンは通に寄り添ったまま、眠そうな目である。
「でも、そう聞かされてるわよ……だから隔離されているんだし」
ガラスの壁に囲われた植物園のような都市。
あのガラスは、捕食者から身を守るためのものだった。
あれは最終手段であり、捕食者には決まったテリトリーを与えている。
先代たちからの遺産を利用しているのだ。
そのため、本の中でしか存在を知らない者も多い。
プリムムやルルウォンのように、捕食者に襲われている方が珍しいのだ。
「聞かされてるんだろ?」
通が言った。プリムムは、通の言いたいことには気づかない。
幼少の頃からそれが当たり前だと思ってしまえば、疑うことができなくなる。
たとえ聞かされた言葉が嘘だったのだとしても。
「……マザーが、嘘をついているって言うの……?」
プリムムの視線が攻撃的なものに変わる。弥に向けていたものが、まったく怒っていない気を引くためのものだというのが証明された。そう、通が体感しているのだ。
「悪意的な嘘、とは限らないな。優しい嘘って言葉があるしな」
「お前がよく言うやつか」
「おいおい、おれがいつ嘘をついた?」
本当のことを言っていない意味としてなら、通は日常的に言っている。
それについては、悪意はない。周囲の流れに乗っているだけなのだ。
本音を開けっ広げに言っているやつは、一体どれだけいるのだろうか?
――マザーの優しい嘘、であればいいが。
隠していることには、必ず意図がある。
その意図次第では、マザーも敵になるかもしれない。
……プリムムはどうやら、マザーを神格化しているようにも思えた。仕方ないだろう、マザーは命の恩人である。そのプリムムに、マザーが敵だ、とは言えない。
言えば、通に揺らがない敵意が向けられるだろう。
それでも、その時がくれば言うしかないのだ。現実を見なければならない――。
「……なら、生存競争の頂点は、一体なにになるんだ?」
通の後ろから弥が聞いた。捕食者以上の生物となれば、限定される。
人間ではない、のだと明言されているのであれば。
巨大な一つの存在か、小さく大量な存在のどちらかだ。
象か蟻、みたいなことだろうか?
「前者だな、巨大な一つの存在――」
通が言った。
大地を指差しながら、
「この惑星だよ」
彼は言ったはずだ、寿命を迎えている、と。
命がある。
惑星という、生物がいる。
「おれたちは生存競争、その頂点にいるこいつの背中に、乗っているようなもんだ」
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