第33話 吹っ切れた【確定編】

 彼女の口元は自然と重力に従い、端が下がっていく。

 への字のように頬が下がってしまっていた。笑みとは到底、思えない。

 だが、彼女自身はいつも通りの笑顔を見せられていると思っている。


 感情と表情がちぐはぐだった。

 相反する二つを、無理矢理くっつけたかのような不釣り合いさがある。


 明るく振る舞いたい想いがある。だが、体はもう限界だった。


 それは同時に、感情の方も限界を迎えている、とも言えるのだが。


 元より全て嘘なのだ。八方美人も、笑顔も、人を引きつけるための道具であり、長年も使ったことで錆び付いてしまった。状況を見れば八方塞がりであり、彼女の希望の一つがぽっきりと折れたことで、その全てが瓦解する。そんな状況だった。


 結局、自分を守れるのは盾だけである。

 捕食者からもそう逃げ続けていたのだ、あの毎日に戻ると思えば――、


「……ッ」


 いやだ、あの毎日に戻るのは。


 ――だから捨てられないように、必死に演じたのだから。


 誰もが一度で、ルルウォンを受け入れてくれたわけではない。何度も何度もアタックし、執着心としぶとさを持つ、明るい彼女だからこそ今のキャラクターで受け入れられた。

 そんな彼女が異星の少年にたった一度、弾かれただけで諦めるなんて、らしくない。


 ……らしくない、だけど。


 惑星は崩壊する。

 遠くない未来に。


 そしてネイブが言う、救出するべきリストに恐らく、ルルウォンは入っていないし、アーマーズは誰一人として入っていないだろう。そういう生命体なのだ、彼女たちは。


 古くから犠牲にされてきた、差別をされてきた、だから意外と、絶望的な状況になってしまえば、すっと受け入れてしまえるのだ。


 一人きりは死ぬのと同じこと――であれば。

 もう立たなくてもいい、楽をしたって……いいんだよね?


「もう笑顔を作らなくても、いいんだよね……?」


 盾に囲われた箱の中で、ルルウォンが呟いた。

 すると、その盾が、なぜかあっさりと割られた。


 強い衝撃がぶつかったわけではない。

 破片を飛び散らせる、ぱりん、という高い音ではない。


 まるで剥がすような――、

 ひび割れからできた破片が、足下に積もっていく、地味で静かな砕き方だった。

 ——その始まりの亀裂は、盾を貫く、五指である。


「いつまでも、その笑顔を見せてくれよ」

「……え?」


 ルルウォンが見上げた後に、視界に埋まっていたのは、装備をしていた彼女を拒絶した、通であった。……だが、雰囲気が違う。

 彼には、どこか冷たい印象を持っていたが、当たり前である……、向こうは記憶喪失であり、ルルウォンのことをすぐに信用できるとは思えない。警戒するのが当然だろう。


 だが、今の彼にはそういう冷たさがなく、親しみのある温かさが感じられた。


 そして似ている……弥や、一のように。それは性格だとか見た目だとか、そういう目に見えるようなものではなく、こう、雰囲気と言うか、感覚的なものだ。

 だから言いにくいのだが、三人に共通することがある、とも発見できていた。


 弥はプリムムを、

 一はターミナルを、

 そして通は――ルルウォンを。


 ……今更、あたしを、なんで……。


 彼らは選んではいても、決めた意中の相手を、決して見捨てはしなかった。


「記憶がない時、おれを安心させるために話しかけてくれたじゃねえか。あれ、結構嬉しかったんだぜ。まあ、あの時のおれはそんなこと、一言も言わなかったけどな」


「とお、る……血だらけだよ! 早く傷を塞がないと!」


 って、今、記憶がない時、と言った……?


 じゃあ今は、記憶がある時……? 記憶が、戻った……?


「ああ、でもそれは一旦、置いておいて」


 いや、置いていいことではない。

 だが、彼はそんなことよりも大事な話がある、と言う。


「笑顔、やめるなよ」

「…………」


「それで救われるやつがどれだけ……、いや、たくさんはいないかもしれないけどさ――少なくともおれは、救われた」


 ダメだ、とルルウォンは思った。

 こんなの、がまんできるわけがない、と。


「笑ってくれ。そして、おれの隣にいてくれよ。おれはルルウォンがいいんだよ、一番だ」

 

 ああ……、初めての感覚だった。


 八方美人である彼女は、誰にでも優しいからこそ、誰か一人に愛されたことがなかった。とりあえず輪に混ぜておけば場が明るくなるよね、という役割を任されることが多い。

 実際に口で言われるわけではないが、そう、空気感で分かるのだ。


 ルルウォンがそういう薄い付き合いをしていれば当然、受け取った側だってそうする。

 つまり自業自得であるのだ。


 今はどうだろう? 通は彼女ルルウォンでないとダメだ、そう言ってくれた。


 その愛情に返す愛情は、どれくらいの大きさが適切なのだろう?


 八方美人である自分を渡すわけにはいかない。色々な人へ向けていた愛情を全て通に注ぐ……そうして初めて、彼とは対等になれる気がした。


 全てを捨てて通だけに愛情を注ぎたいと、彼女がそう想ったのだ。


 いま見せる笑顔は、演技の一つも入っていない、彼女自身の、本音である。


「う、お!?」


 ルルウォンが激しく通に抱きついた。まるで動物である。


 傷だらけの通が耐え切れずに尻餅をつく。

 その上から、彼女が覆い被さり、


「って、待て待て! じゃれるのはいいけど今はそういう時間じゃないだろ! おれ、記憶が戻って、昔の親友と久しぶりの再会、っていう感動の場面じゃねえか!」


「ま、マーキングしなきゃ……」


「口をあんぐりと開けてなにしようとしてんだお前!? 首元に、おいっ! 噛みつ……、噛みつくつもりなのかあひゃえっっ!?」


 そして。


 通の首には、ルルウォンの歯形がくっきりと刻印されている。

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