第29話 守る攻め【浸透編】

 弥の挑発は、意味が分からなかった。


 ここで一が引くことは、決して、彼にとって不都合ではないはずだ。


 逆に一が引いたことで弥は助かったと言えるのだが……、同情で勝負が流れたことを、屈辱だと考えるとは思えない。今の弥であれば、これを狙っていても不思議ではないのだ。


「逃げるのか? と聞いたぞ」

「逃げるつもりはねえよ、全快した時にでも再戦を申し込むつもりだ。同じ条件でな」

「そういうことを言ってるんじゃねえよ」


 首を傾げたくなるが、眉をひそめることに留めた。

 本気で分からなかったのだ。


 自問してみる、なにから逃げている?


「俺を、殺す気がないだろ」


 当たり前だ、今はそうでなくとも、友達、だったのだから。

 そう簡単に、殺す、とか……言うな。


「それはそうだけどな。殺す、は言い過ぎだ。じゃあ言い方を変える」


 ふらふらな足取りで、弥は立った。

 たったそれだけでも、包帯はさらに赤く染まっているだろう。


「いつまでも俺に憧れを抱くな、幻想を見るな、壊すなら、徹底的に壊せよ!」


 弥は見抜いている。いくら見た目が変わって、強くなり、口調も威圧的になって、攻撃的な言葉を選んで使っているとしても、弥だけのことは、まだ神格化したままなのだ。


 それにしては雑な扱いだが、憧れのままなのは変わりない。

 それじゃあ結局、昔のまま、一歩も進めていないのだ。


 弥に勝ちたい、しかしそれは、認められたい、褒められたい、そういう感情があっての勝利を望んでいる。あくまでも弥を上に見た前提で、だ。

 こんなに強くなっても、弥の子分感覚は、抜け切れていなかった。


 呼び捨てにしても、本能的にはくん付けしていた時と変わっていないのだ。


「俺を壊すのが、恐いんだろ。だから逃げてるんだ、勝負から」


 苛立つ。なぜなら図星だからである。

 心がぎゅっと掌握されていくようだ。


「手を伸ばす場所があるのは楽だからな。俺をいつまでも手すり代わりにするなよ」


「偉そうに……よぉ。今のお前は、気に喰わねえ。その上から目線の物言いがムカつくんだよ。俺らと大して変わらねえ人生経験のくせによぉッ!」


 大人ぶっている。振る舞っているだけで、大人ではない。


 真似事でしかないのだ。

 それを完璧にできていると思い込んでいるのが一番ムカつく。


 同い年でもこうなのだ、大人が見れば、さらに腹を立てる態度だろう。


「じゃあ壊せよ。俺はまだ、負けてねえぞっ!」


 弥が誘う。だが、勝負を続行して彼に得があるのか。負ければプリムムを奪われる、体には大怪我がある。勝てる見込みがまったくないのに、どうして……。


 ……俺の憧れを、壊すためにか?


 一のさらなる成長を促すため、だとしたら。


 バカじゃねえのか? と思った。


 大切な女を守るよりも、一の成長を優先した。もしかしたら、それこそが弥の策なのだとしたら。……勝負に勝てる見込みがない。だったら、勝負に負けても、プリムムを奪い返せる状況を作ろうとしている――なら、弥らしい。


 負けて勝つ、そんな感覚。


 そもそもの話、プリムムを奪うということ自体が、弥を勝負の場に引きずり出す口実であることがばれているのかもしれない。それ以前に、プリムムがまったくタイプではないことも――。


 そっちの方がありそうである。


 ……確かに、昔は【かえで】が好きだったがな……。


 あくまで昔、だ。見た目、小学五年生である。今でもその見た目がタイプであると言ったら、おかしいだろう。確かに、そんな見た目のパートナーらしき少女が後ろにはいるが……、かえでと似ているところを言えば、見た目くらいであり、性格は真逆である。


 ……見た目はほんとに似てるんだがな。


 ごちゃごちゃと考えるのはもうやめた。元々、考えるタイプではない。考えなくても解決できるように体を鍛えたのだ、なのに考えていては、意味がない。


 ただの意地で、勝負の続行を促しているだけかもしれないのだから。


 望むのなら受けるまでだ。そこまで言うなら、壊してやろうと思った。


 言われて自覚したのだ、自分でも思う。弥への憧れは、やはり絶っておくべきだ。


 無意識にセーブしてしまう力ならば、今の内に克服しておくべきである。


「……本気でいくぞ」


「聞かなくていいぞ、その質問が、俺を特別と見ている証拠だろうな」


 減らない口だ。だったら、もうなにも言わない。

 右の拳を全力で振るだけだ。


 ……じゃあな。


 かつて、自分のメガネを思い切って捨てた時のような感覚。


 もう、後戻りはしない。


 ……じゃあな、俺の恩人。


 拳が弥の頬を捉えた――、



 寸前である。

 気づいたのはプリムムとターミナル、アーマーズの二人だった。


 弥と一の間、薄いその隙間に、拳の衝突のまさにコンマ数秒前に、壁が出現した。


 見慣れた壁である。

 プリムムやターミナルはその壁を、盾と呼んでいる――。


「ハジメッ!」


 拳が盾にぶつかれば、ダメージを受けるのはハジメである。

 それはそのまま、壁に拳を打ち付けるようなものであるはずだが、嫌な予感がした。


 今に限っては、その予感は的中するだろうという確信も持っていたのだ。


 だから動いた。

 男同士の勝負の邪魔をしても、彼の命を救うことを優先させた。


 ターミナルが跳躍する。

 盾と拳の間に割って入り、体で止める。抱きしめるように胸で拳を止めるが、威力を弱らせることはできず、盾と拳のサンドイッチになった。


 とは言え、一も彼女に気づいて咄嗟に拳を引き戻そうとしていた。なので、完全になくすことは無理でも、多少なりとも威力を抑えることには成功している。


 とんっ、という軽い衝撃が、盾に伝わった。ターミナルの背中が接触したのだ。


 瞬間、びきびきッッ、と、ターミナルの体が反り始めた。

 背骨の中心から、真っ二つに折るようなほどのくの字である。

 まるで、とんっ、という軽い衝撃が、数十倍となって返ってきたかのような……。


 ような、ではなく、そのものである。


 ……ただ防ぐだけの盾じゃない……、威力を加えて跳ね返す、カウンター!?

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