第24話 約束【徹底編】

 それでいいなら、ではない。

 いいわよね? というプリムムの譲歩である。


 彼女は弥に、自分を装備させたくない。当然だ、また血だらけになり、三日間も寝込まれては困るのだ。看病が大変だとかではない。その傷は、プリムムがつけたようなものである。

 一歩でも間違えれば死んでいたかもしれない。

 いくら彼の願いとは言え、素直に聞き入れられるようなことではなかった。


 それでも譲歩して聞き入れてしまうところは、甘いなと自覚している。


「……分かった」


 そして、弥はプリムムを装備をした。


 仰向けで倒れていたプリムムは青い粒子となり、姿を消した。代わりに弥の体を覆う鎧がある。……あの時と同じ感覚、力が溢れてくる。今ならば、なんでもできそうだと錯覚してしまう高揚感。彼女の力になれるという嬉しさ。得る特別感——。


 その感情の全てが、プリムムに流れ込んでいく。不安も恐れも含めた全てが。


 守られるばかりじゃない。俺だって、戦える――!


『弥……』


 だが。

 肉体が悲鳴を上げ始める。


 手と足の指先から順番に、再び亀裂が広がっていく。


 体の内部から衝撃が発生した。

 血を吐き出し、膝を崩す弥を見て、すぐにプリムムが装備を解除させた。


 体を丸まらせる彼の隣に寄り添う。


「弥!?」

「……なんで――なんでだよッ!?」


 拳を地面に叩きつけた。その衝撃さえも彼は受け止められず、血の塊を吐き出した。

 地面に、雨と共に染みこんでいく赤い液体。痕跡は残らず、全てが洗い流されていく。


「戦えると思った、プリムムを守れると思った――なのにッッ!」


「……そんなこと、気にしなくていいのに。傍にいてくれるだけで、私は充分、嬉しいから……無理しなくていいのよ。弥は普通の人間で、私は化け物なんだから」


「化け物なもんかよ、プリムムだって俺たちとなにも変わらない、女の子だ!」


「……そう言ってくれるだけで嬉しいし、そう思ってくれる人がいるってことが、私には大きな力になるのよ」


 アーマーズ同士の馴れ合いではない。自分を評価してくれた、味方。


 種ではなく個人の存在を認めてくれた人がいる。

 弥が思っているよりも、本当にプリムムの力の原動力にはなっているのだ。


 だが、そう言われて、はいそうですかと、隣にいるだけで満足できるわけがない。

 たとえ力がなくとも、力になりたいと思うだろう。


 格好良いところを見せたいと、思うのは当たり前だろう。


「……この体が壊れるのだとしても」


 覚悟の問題だ。

 装備をすれば、全身から血を噴き出して死ぬかもしれない。

 だけど彼女の力にはなることができる。

 ……どんな痛みもがまんすればいい、それだけの話だ。


「…………」


 それだけの話――だが、そういう話だ。


 口で言うのは簡単だ。決意をするのも、約束をするのも。

 なぜ口に出したそれらが評価されるのかと言えば、成し遂げたからである。


 言うだけなら誰でもできる。実行しなければ特別にはなれない。


 だと言うのに、なぜだ……? 

 弥は顔を上げることができなかった。プリムムから、目を逸らしてしまっていた。


 ……情けねえ。そう毒づく。


 川で溺れている少女がいて、それを助けようと言い張っても、川に飛び込み少女を掴まなければ助けることはできない。そこには自分も溺れるかもしれないという危険性も含まれている。


 今だって。

 ……今は少し分かりやすい。装備をすれば、弥は間違いなく死ぬだろう。

 それくらいの出血量だった。一度目には、それで死にかけたのだ。三日も目を覚まさないという死地を見た。今度こそ、奇跡が彼を救ってくれるとは思えない。


 たとえ死ぬのだとしても彼女を助ける。


 今の弥には、それを言えるほどの覚悟はなかったのだ。


 死ぬのは怖い。

 化け物ではなく、人間だからこそ抱いた、当たり前の感情である。


「弥」


 プリムムの呼びかけにはっとした。弥は顔を上げられなかった。覚悟を決められなかった負い目から、彼女の隣に立てなかった。でも彼女はそんなこと、思ってすらいない。


「私は、どこにもいかないから」


 情けない話ばかりだ。

 その一言が、弥にとって救いになった。


 ―― ――


 プリムムの言う通り、雨は三時間でやんだ。


 自然の雨のように段々と弱まるのではなく、オンオフを切り替えたようにぴたりと止まったのだ。まるで管理されているかのような。まるで、ではなく、管理されているのだろう。

 彼女は言っていた。先生たちから監視されている、と。


 洞穴から出た今、二人の姿は向こうに伝わっている。

 となると、気になることがあった。今更な話だが。


「僕がプリムムと一緒にいて、まずいことにならなきゃいいけど……」

「たぶん、大丈夫だと思うわよ。だって、まずいならすぐに止めにくるだろうし」


 それがないということは、見過ごしているか、もしくは手が届かないか、である。


 この惑星に落下したのは弥だけではない。

 今の弥とプリムムのように、手を組んで互いの利害を一致させている場合もあるのだ。


 片や惑星からの脱出を目指し、片やこのサバイバルで生き残るために――だ。


 全員が生きていればの話であるが、偶然にも、アーマーズと不時着した宇宙船に乗っている地球人は同じ数である。


 三〇名。

 合計すれば六〇名が、このガラス張りの箱庭にいることになる。


「しかし、なかなか会わないな……」


 洞穴にこもっていたから仕方ないが、未だに、出会ったのはターミナルとその取り巻きの三人だけである。死体と出会うよりも、会わない方がマシではあるのだが……。


「うー、雨に濡れたから気持ち悪いわね……水浴びがしたいわ」


「じゃあ探そうか、と言っても、このまま進むと水場がまったくなさそうな岩場地帯になりそうだけど……」


 じゃあ森に戻ろうか、とは、弥は言わなかった。それをすると先行する弥が振り向くことになってしまう。それは避けたかった。先行しているのも、彼女との距離を少し開けるためである。


 彼女の隣に立つ資格がない。それを実践しているのだ。


 変なところで律儀である。

 戦いのパートナーと、行動のパートナーでは、求められるものが違う。戦闘能力がないからと言って、格下になるわけではない。行動方針を決める発言や、この地での新たな発見、危機管理能力など、求められる力は別にある。


 弥にだって役目があり、それを充分にこなしているのだが、戦闘能力がないことを気にしているのだ。気にし過ぎ、とプリムムが肩をすくめて呆れていた。


「弥、いじけてないで、いつも通りでいいから」

「いじけてない」


 少し口調が荒れた。ということは、本音である。


 ふっ、という漏れた吐息は、彼女が抑えた笑い声である。

 それが聞こえてしまった弥は振り向いてさらに強調する。


「……いじけてないぞ、本当に」

「はいはい、分かったから。……やっとこっちを見たね」


「……まあね。思えば、顔を合わせない必要もないわけだし。もういいかなって」


 とは言うが、隣に立つ気はないらしい。

 歩み寄ったプリムムに合わせて、弥も離れる。


「意地っ張り」

「なんとでも」


 弥は相手にしない。だが、プリムムが速度を早めれば彼もまた速度を早める。


 相手にしていないように見せて、思い切り意識している。軽いジョギング程度の運動だったが、瞬発力が試される。少しの距離なのにどっと疲れが出た。無駄な動きである。


 弥に関しては怪我人であるのだ。


「あのね、無理だから。隣に立たないとか……、私が不自由なの。今だって痛みで動けないんでしょ? 肩を貸してる今、隣に立ってることになるけど?」


 痛みのせいで、弥は彼女の手を振り解けない。それはできてもしないだろうが。


「こんなところで意地を張らないでよ」

「……自分で決めたことだから」


 自分への罰則である。

 どんなにくだらないと思われようとも、そのルールを破ることは許されない。

 決めたことくらいは、やり遂げなければならないという意地がある。


「バカね」


 プリムムは笑いながら言った。それはそのこだわりに向けて、ではない。

 そんなこだわりにまさかそんなくだらないルールを当てはめたことに、である。


 もっと別のものでも良かったんじゃないの? そう思わずにはいられない。


「だって、これなら分かりやすい」


 弥がいま抱えている課題をクリアできた時、彼女の隣に立つことができる。


 自分の意思で、プリムムの隣へ行くことを目標にできる。そういう意図があった。


 プリムムを装備して、耐えられる男になるまでは、自分は先頭を切って出よう。

 決して、後ろへはいかない。そんな想いを抱いている。


 それらを口に出してしまうと、一気に格好悪くなるから、言いたくはなかったのだが。


「バカね」


 二度目である。だが今度は、彼女は笑いながらではなかった。

 感心したのだ。そして口元だけ、微笑んだ。それは自然と出た優しい笑みである。


 仮面を被って本音を隠す、お得意の強がりの言葉も出さなかった。

 彼女はその感情を、そっと胸の内にしまい込む。


 そして今度は、プリムムが彼から目を逸らして、


「待ってるわよ」


 隣にきてくれるその時を。


 彼女は繰り返す。


「ずっと、待ってるから」

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