第二章 動乱編

第16話 行き止まり【疑問編】

 じゃーねーっ、という、なんとも軽い挨拶でこの場を去ろうとするルルウォンを、慌てて止める声があった。


「おいッ、俺にこいつを押しつけて逃げるつもりか!?」


「だからぁ、ターミナルははじめを頼ったんだよ。あたしじゃないんだよ」


 泣き疲れたのか、ターミナルは、すぅ、と寝息を立てている。


 一の制服を強くぎゅっと握り締めており、彼が振り解こうとすれば、彼女は嫌がってさらに力を増していく。


 制服が彼女の指の力によって、しわができていた。


 小競り合いの後、自然と落ち着いた体勢になったが、それは一の太ももを枕代わりにする体勢である。そのため、この場から動きたいのだが、彼女が目を覚ますまで、一は動けなかった。


「ターミナルはプライドが高いからねー、目を覚ました時にあたしが傍にいたら、絶対に冷静じゃなくなるだろうし、あたしも痛い目に遭いたくないしね」


 彼女は間違いなく目撃者を消そうとするだろう。ルルウォンであれば簡単にあしらうこともできるのだが、そんな厄介な状況に出くわしたくもない。


「つまり、しばらく別行動をするってことか?」

「また合流できたらいいよね」


 そう言うが、一度でもはぐれてしまえば、再び合流することは難しいだろう。

 それくらい、戦場となっている範囲は広い。

 約束の場所と時間を決めたところで、その通りになるとは思っていなかった。


 さっき見た、光を放つ球体のように、あれくらいの目印でも起こしてくれれば見つけやすい――……ただ、それは同時に、敵を多く誘き寄せてしまうことにもなるのだが。


「……お前、実は合流する気ねえだろ」

「あるってば。――ちょっと気になることがあるから聞きにいくだけだよ」


「気になることだと?」


 一が疑問を持つが、ルルウォンはまさにそれを、一から知ったのだ。

 化け物を見た、と彼は言った。


 少女たちが自覚的に言う化け物ではなく、人の形をしていない、巨大生物のことだ。

 それは捕食者と呼ばれる、アーマーズを餌とするこの惑星の上位生物である。


 出会ってしまえば脅威だが、そうならないように生息地には近づかないようにしている……のだが、一の目撃情報を信じるとすれば、いないはずの大地にいることになる。


 知ってしまえば放ってはおけないし、放っておくと大変なことになる。


 選抜メンバーのほとんどが捕食されてしまった、というのは充分にあり得る話だ。


「説明する気はねえってか」


「分からないから聞きにいくんだってば。

 ……じゃあ、どこにいくかくらいは教えておこうかな――とにかく、端っこだよ!」


 ルルウォンたちがいるこの大地は、壁に囲われている箱庭である。


 ひたすら真っ直ぐ進めば、壁に到達するはずである。

 そして、ルルウォンがコンタクトを取りたい相手は、そこにいる。


 この試験を仕切っている側――、

 少女たち【アーマーズ】……、通称・学生を教育する、先生である。


 ―― ――


 一とそんなやり取りがあった後、

 ルルウォンは単独行動を開始し、意外と早く壁に辿り着いた。


 どうやら、元々、壁の近くにいたらしい。

 霧が濃くて、高く立つその壁が見えなかったのだ。……実は、試験が開始してからまだ三日目である。そのため、戦場となっているこの大地のことは全然、分かっていなかった。


 探索も全然、足りていない。寝床や食料の確保で、あっという間に過ぎ去ってしまった二日間であったし……、

 いつ襲われるか分からない緊張感が、周囲の景色をゆっくりと見せてはくれなかった。


 分からないことばかりだが、事前に伝えられたルールがあり、それは絶対である。


 その中には、捕食者はいない、とのことだったが……それがいるのが問題なのだ。


 とは言え、一が見たものであり、見間違いかもしれない。

 それならそれで構わない。いるよりもいない方が良いに決まっているのだから。


 あとは、いざとなれば先生にコンタクトが取れるのか、という検証でもある。


「おーい、せんせーいっ!」


 壁の下でそう叫んでみるが、当然、中に届くはずもないだろう。呼んでみただけだ。

 ルルウォンも期待していなかった。だが、


「なんだよ、もしかして三日目でもうギブアップか?」


 いた。

 先生とは思えないようなテキトーさ加減で少女たちから人気を集める、最も話しやすい先生である。見た目はかなりチャラい。すれ違う女の子の全員に目を奪われて、ほいほい着いていってしまいそうなほどの尻軽である。そう見えてしまうらしく、彼の恋は成功しない。


 彼は染めた金髪がよく目立つ。整髪料を使い、髪型はまったくぶれなかった。


 どんな激しい動きをしたところで、髪型が崩れることはないだろう。


 考え得る限り最高の相手に出会えた。誰でも良かった、と思っていたとは言え、彼とは真逆の堅物教師だったらと思うとゾッとする。本当、まったく似ていない兄弟だ。


「あ、オリカだ」


「先生をつけやがれ。毎回毎回……、もう言い飽きたぜ」


 彼とは距離感が近く、先生と呼ぶには違和感があったのだ。

 決して、レベルが同じくらいだと見下しているわけではない。


 先生としての学力は不足しているが、戦闘に関しては文句なしである。

 そして、なんにでも、教え方だけはかなり上手い。


「んで、わざわざここまできてなんの用だ? たまたまじゃあ、なさそうだ。霧が見えたら引き返すように、とルールに明記されてあったはずだが?」


「そうだっけ?」


 何十項もあったルールの重要な部分だけを見ていたため、後ろの方はしっかりとは読んでいなかった気がする。……覚えていないのだからそうだろう。知っていれば、霧が出た時点でこれ以上は進んではならない、と足が止まるはずなのだから。


 ただ、引き返すように、と推奨されているだけで、進んではならない、と止められているわけではない。ルルウォンがこの場にいて、ペナルティが発生するわけではなかった。


「質問があったんだよね」


「質問? お前、おれがいなかったらどうするつもりだったんだ……さっきみたいに叫んだところで、中に聞こえるはずもねえぞ?」


「でも、オリカがいたじゃん」


 いなければ、その時に別の方法を考えていた。

 時間はかかるが、きっと彼女は先生とコンタクトを取れていただろう。


「……だな」


 彼は頷き、握っていた長剣を地面に突き刺す。

 その長剣の柄に、肘を置く。とっても行儀が悪く見える体勢である。


「質問、おれで良ければ聞くぜ? それとも兄貴を呼ぶか? さすがに学長は無理だが」


 ルルウォンは首を左右に振り、オリカでいい! と連呼する。

 兄貴など呼ばれては、たまったものではなかった。


「そこまで嫌ってやるなよ、兄貴は厳しいが、お前らのためを想ってんだぜ?」

「なんとなく分かるけど、態度のせいで分かりにくいもん」


 だよなあ、と彼も溜息をつく。誤解されたくはないが、ルルウォンはその先生のことを嫌っているわけではない。ただ苦手なだけなのだ。逆に、彼を得意とする生徒がいるのだろうか?


「規則に則って注意するからな、だからこそ成績や態度が良ければ褒めるぞ?」


 ならば、ターミナルは褒められてばかりだろう。

 プリムムは、では、怒られてばかりか?


「いや、あいつは教師には態度が良いし……怒られてるところは見てないな。確かに成績が悪くて注意されていたりもしたけど、補習担当は兄貴だしな」


「うげ……、あの人と何時間も一緒なんて居心地が悪そう……」


「補習だからな? 課題をやっていれば居心地が悪いもないだろ……」


 と、雑談に花が咲いてしまった。

 本題は確か、ルルウォンの質問であったはずだ。



「あ、そうだったそうだった。実はね――」

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