第3話 不時着【遭遇編】

 少女の体がふわりと浮き上がった。

 宇宙船の、唯一、開いた穴から……。

 まるで排水溝へ吸い込まれるように、その体が投げ出される。


 だが、かろうじて船体にしがみついており、少女との繋がりはまだ絶たれていない。


「――い、や、嫌だ、いやいやいやッ!」


 ずるずると、船体にしがみついた彼女の指先が滑っていく。


 シートベルトに守られている誰もが、彼女のその光景を、見ていなかった。


 ほぼ全員が目を瞑っている。

 自分もこうなる可能性がある以上、末路をその目に映したくなかったからだろう。


「え……、みん、な――」


 彼女が言うみんなは、クラスメイトの全員を差してはいない。

 特に仲の良いグループのことだろう……。

 けれど彼女の助けを求める視線を、誰も見ていなかった。


 見捨てられた。

 そう分かるまで、時間はかからなかった。


「いや、だよ――怖いよ……ッ、助けてよッッ!」


 だが、彼女の指先が船体からはずれ、かろうじて繋がっていた細い線がいま、一本、切れた。


 その直前。

 カチン、という音を、誰もが聞いていた。


 音の正体は、目を瞑っていなかった者だけが、その目で確認できていた。


「掴まれ――早くッ!」


 シートベルトを自らはずし、

 一目散に彼女へ手を伸ばした一人の少年がいた。


「あんの、馬鹿ッ……!」


 シートベルトをはずした者がもう一人。

 通が、弥の後を追って飛び出す。彼は彼女ではなく、弥を助けるためである。


 身を乗り出して少女を助けた弥は、船体と自分の体を繋ぐ命綱がない。


 つまり、少女の手を掴んだところで、彼も一緒に大空へダイブをする羽目になる。


「お前は、それを覚悟で飛び出したのかもしれねえけどさ……ッ!」


 通の呟きが聞こえているわけではなかった。

 だが弥は返事するかのように、


「……まったく、考えなしなんだよ、僕は――」


 通の指は、船体から飛び出した弥の足には届かなかった。


 彼は少女の手を掴んだまま、大空を落下し、やがて小さくなっていく。


 ―――

 ――

 ―


 …………と、弥は、そんな回想を終えた。


 考えることはたくさんある。

 するべきことも。ただ、今は一つずつ解消していこう。


 大木を挟み、後ろから聞こえる衣擦れの音。ほんのりと香る、甘くて良い匂い。果実の匂いとはまた違う。寄り添って初めて感じるその匂いが、なぜかこの場に充満しているのだった。


 弥は濡れた制服を絞り、水分を抜く。すると、制止をする声と同時、弥の肩がとんとん、と叩かれた。大木の横から顔を出していたのは、警戒心がない方の少女である。


 ボリュームのある赤髪が特徴的な、確か、ルルウォン、と呼ばれていた少女だ。


「着替え、終わったからもういいよー」

「あ、うん。分かった」


 ちょっと! と叫ぶもう一人の少女がいる。彼女はルルウォンの首根っこを掴んで、弥から引き剥がす。弥が顔を出すと、キッ、と睨んで一定の距離を開けた。


 弥がなにかをしたわけではない。

 裸を見てしまったが、それは不可抗力のはずだろう。


 だから彼女の怒り……、警戒はそうではなく、弥がオトコだから、である。


「ルルウォン、近いのよ……」

「え、でもー。……それってオトコだから?」


 質問に、少女が頷く。

 その答えに、ルルウォンの方は難色を示した。


「でもさ、それってあたしたちも一緒じゃない?」

「一緒って……なにがよ」

「あたしたちを差別する人間たちと、やってることは同じじゃない? って」


「別に、差別なんて……!」


「オトコだから距離を開けてるんでしょ? じゃあ、一緒だよ。

 あたしたちを『アーマーズ』だからって避けるオトナたちと、なにも変わらないと思う」


 弥は話が見えなかったが、張り詰めた緊張感の中で続いていた警戒を解いてくれたのだから、悪い結果ではない。


 少女が、開けていた距離を引き返して、


「……ごめん、なさい。オトコだからって、誤解して」

「いや、別にいいけど……」


 初対面の男を警戒するのは、普通だ。

 逆に、これをきっかけに無警戒でいてもらっては困る。

 ルルウォンの距離の近さは、不安になるくらいには危なっかしいと感じたのだ。


「ねえねえ、プリムム。あたしの首は離してくれないの?」

「え、ああそうね。ごめんごめん」


 と、自由を得た途端、ルルウォンが動いた。


 とうっ、と聞こえた時には、プリムムの体が弥の体へ密着していた。


 ルルウォンがいたずらで、彼女の背中を押したのだ。

 向き合っていた弥に、まるで抱きつくような形になってしまっている。


 彼女の服装もまた悪い。見るだけでもかなり目に良くない。ぴったりと体に張り付く白いボディスーツであり、体の輪郭がよく分かる。

 裸を見た時とほとんど変わりないシルエットである。


 そのため、普通の服よりも密着した時、その感触が非常にリアルなのだ。


 服を着ているとは思えないほど、肌の質感とよく似ている。


「ひっ――」


 胸のあたりから聞こえた小さな悲鳴。

 彼女が抱いた嫌悪感を受け止めざるを得ない状況だ。

 突き飛ばされる、を覚悟していた弥だが、想像を超えた現象に絶句する。


 声を出す暇もなかった。

 気づけば、弥の体は数十メートルを、まるで水切り石のようにバウンドしながら飛んでいた。


 彼女の腕力ではなく、彼女の手の平から放たれた、淡い青色の光が原因である。


 鋼鉄の球体が発射され、それを腹で抱え込むように受け止めたような衝撃だった。


 少女二人の元から遠く、弥は土と草の上で、大の字で空を眺める。


「か、はっ……ッ!」


 これまでのダメージの蓄積が破裂した。

 口から血を吐き出し、右腕がおかしな方向へ。


 なにが怖いかと言えば、その痛みがあまりないことだった。


 ―― ――


「あー、右腕が折れてるね。……痛いでしょ?」

「確かに」

「確かにって。いや、そうは見えないけど……」


 大の字に寝転がったままの弥を上から覗き込む少女がいる。ルルウォンだ。

 彼女がその場で屈んで、弥の腕の状態を観察したのだ。


 別に強がっているわけではない。右腕は全然動かないし、鈍い痛みもある。しかし泣き喚くほど酷くはないだけだ。

 まだ脳が把握しておらず、麻痺しているだけかもしれないが。


「あーあ。どうするんだろうねえ。やった張本人、あんなに遠くにいるけど」


「な、なによ……私が悪いの!? 背中を押したルルウォンが悪いんじゃないの!?」


 数十メートル先から近づこうとしないプリムム。

 彼女は自分のせいではない、と一点張りだった。


「それはごめんね。二人に仲良くなってほしかっただけだから許してよ」

「仲良くって、無理無理、絶対無理ッ!」

「そう言われると骨折より心が痛いんだけど……」

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