【警告】―地下世界から出ないでください―その2
二人のことを普段から見ていれば、簡単に分かることだろう。
マナさんはどうやら、ばれていないと思っているらしいけど。
すると、噂をすれば、その本人が階段から下りて姿を現した。
黒いコートが暗闇に紛れて、明かりがなければ影のようにしか見えない。
肩にかけていた袋が、ぱんぱんに膨れていた。
階段の下で集まっている僕たちに気づき、
「ん? そんなところでなにしてんだ、お前ら」
「おかえりなさい、ワンダくん。
二人に水を汲んでもらってたの。ちょうど帰ってきたところだったんだ」
「そうか」
ワンダさんはそう言うだけだった。……褒めてほしいわけではないけど、なにか一言でもあるのかなと思っていたので、なにもなくてがくっとなった。
ワンダさんだって、帰ったばかりで疲れているのだ。
僕たちを気にかける余裕がないのかもしれない。
マナさんを通り過ぎて、先に進むワンダさんの背中に声をかけたのは、ぺタルダだった。
腰に手を当て、胸を張った。顔を見ると、あ、文句を言う時の顔だった。
「ちょっとっ。水を汲んできてあげたんだから、なにか言うこと、あるでしょー!」
「お前は元気が良いし言いたいことをすぐに言うな。その性格は嫌いじゃないぜ。ああ、助かったよ、ありがとう。で? じゃあお前も俺に言うことがあるんじゃねえか?」
食糧を詰め込んだ袋を見せつける。
ぺタルダは、ふんっ、と鼻を鳴らして、
「助かったわ、ありがとう」
「偉そうだな……ま、それがお前か」
すると、ワンダさんは僕を一瞬、ちらっと見た。そして指で頬をかき、
「アルも、その、助かったぜ。さんきゅーな」
僕はうんうんと頷くだけで、口が開かなかった。
……ワンダさんのことは嫌いではない。マナさんのように言い方に気を遣ってくれたり、僕たちのことを第一に考えてくれるわけじゃないけど、根本的に優しいことは分かる。
僕たちを守ってくれていることも。
……だからこそ、ぴりぴりとしてしまっているのも分かる。
たぶん、互いに正反対だからこそ、僕はワンダさんのことが苦手なのかもしれなかった。
自分に大きな自信を持ち、曲げたくない信念を持っている。
自分自身を、信じることができる。
……僕はワンダさんのようには、決してなれないだろう。
「なによこれ、ほんとうに食べられるのかしら……」
ワンダさんが集めてくれた食糧を袋の中から取り出すぺタルダ。
果物……、らしいけど、黒く変色しており、水分がまったくなく、干からびている。
砂の塊みたいに、強く押せば、押した部分が崩れてしまう。
「嫌なら食うな。これでもマシな方なんだぜ? どうやら、生物だけじゃなく生命そのものが圧倒的に少なくなってきてる。獣はとっくのとうにいないが、遂には、魚も虫も見かけなくなったな。……あいつら、栄養なんか取らなくてもいいくせに、食欲だけは滅茶苦茶あるからな……」
遂には植物にまで手を出し始めた。
このままいけば、鉄も食べそうな勢いだ。
毎日、数億と生まれる虫をほとんど絶滅にまで追い込んだ地上の敵。
驚いたのは、その食欲と食べ切る胃の大きさではなく、見つけ出す観察眼だ。
見つけようと思って見つけることはできても、その場からいなくなるほど、全てを余すことなく食べるというのは、難しい。僕たちには絶対にできない。
敵の探知能力には舌を巻くが、だからこそ、僕たちが見つからない理由が分からない。いくら地下深くにいても、だ。
ふと、そう疑問に思った。思いながら、袋を覗き込んでみる。
「あ、でもお肉が入ってるよ」
え、と声を漏らしたぺタルダが、袋の底へ手を伸ばす。
取り出したのは冷たく、硬くなっていたお肉だ。他にも魚や、黒くなっていない、干からびてもいない明るい色の果物がある。……状態は悪くない。
ぺタルダは犯罪でもしたのではないか、と非難するような目をワンダさんに向ける。
「まさか、別の地下世界に潜り込んで、奪ってきたんじゃ……」
「違ぇよ。――だが、その方法もあったか」
「ワンダくんッ!」
次に実行しそうだったワンダさんを注意するマナさん。
冗談だ、とテキトーに返したワンダさんへ、女性二人が疑いの視線を向ける。
「信用がねえなあ……。というか、別の地下世界への入口なんて、そうそう見つけられねえって。こうして俺たちの入口も、誰にも見つけられてねえだろ?」
簡単に見つけられては、意味がない。見つかるということは、敵にも見つかる可能性があるということなのだから。
もちろん、絶対に見つからないようにはできないけど、確率をゼロに近づけることはできる。
地下世界とは、僕たち種族の避難所なのだから。
「これはたまたま見つけた保存庫にあった食糧だ。
……人間のじゃねえの? いや分かんねえけど」
人間。
かつて存在していた、僕たちと同じく【種族】と呼ばれる存在の一つ。
だが、僕たちと違って特別な力を持たない。それゆえに、あっという間に絶滅したと言われている。——と、僕もぺタルダも、マナさんの授業でそう教わった。
歴史を紐解けば、重要項目となり、今、僕たちが当たり前のように使っているなにもかもが、人間という種族から引き継がれたものである、と言われていた。
大きなもので、言葉。
全種族で統一されている人語は、人間が生み出したのだ。
そして、ワンダさんが言う保存庫もそうだ。
……食糧を新鮮に近い状態のまま、数十年も保ち続けられる場所。
保存庫があったなんて話は、これまでに聞いたことがない。となると、ワンダさんが見つけた場所が、初めてになる。敵も、簡単に二つ、三つも見つけられるはずもない。
「保存庫が世界各地に点在しているなら、食糧もまだあることになる……、地下世界の環境を整えられれば、養殖してから、保存庫に戻すこともできるな……マナ、できるか?」
「はいはい、ちょっと考えてみるわね。二人とも、ちょっと手伝ってくれる? 香辛料はまだいくつかあるから、濃いめに作ろっか」
マナさんに促され、保存庫の食糧をいくつか使って、夕飯を作ることにする。
僕の仕事は、主にぺタルダの指示を聞くことだ。
「アル、包丁は持たなくていいから。果物を洗っておいて」
「アル、水が沸騰したら、火からお鍋を離して。火傷しないように手袋もちゃんとしてよ」
「アル、私の傍に座ってて」
と、一つ一つの指示を真面目に聞いて従う。
すると、ひと眠りした後なのだろう、あくびをしながら通りかかったワンダさんが、
「……お前、正座してなにやってんだよ」
「いや、ぺタルダに言われて……」
「お前がいいならいいんだけどよ、ぺタルダに縛られ過ぎじゃねえか……?
お前に、お前の意思はないのか?」
僕の意思……。
でも、僕が勝手になにかをすれば、きっと困る人が出るだろうし……、
なにが起きても、僕は責任が取れない。
だったら。
ぺタルダに制御してもらっていた方が、安心だ。
「僕は、ぺタルダが満足ならそれで……」
「ぺタルダのためか?」
僕は頷く。
「けどお前、いざとなったらぺタルダを盾にするだろ? お前はそういうヤツだよ。最後の最後で結局、自分が可愛くて全てを投げ出すだろうな。責任から逃げて、痛みから逃げて、罪悪感からも逃げて――で、記憶を失って、同じことを繰り返すわけか? 成長しねえなぁ……」
その言葉に、心臓が握られたように胸が苦しくなった。
嘔吐感が生まれる。
さぁっ、と、血の気が引いた感覚。呼吸が、上手くできなかった。
「うぉえ……ッ」
「ちょっ――どうしたの、アルッ!?」
離れた場所にいたぺタルダとマナさんが、倒れた僕の元に駆けつけてくれた。
ぺタルダが、僕の背中を擦ってくれる。
マナさんが、頭を膝に乗せてくれた。
二人のおかげでだいぶ楽になった。苦しかった動悸も収まり、呼吸が安定する。
全身の冷たさも、やがてなくなっていく――。
「いつまで、そうやって守られてばかりいるんだよ、アル」
ワンダさんの言葉は、意識を失いかけている僕には聞こえづらくて、でも――、
なにかを期待しているようには、聞こえたのだ。
「――俺がいなくなったら、後にはお前しかいねえんだぞ?」
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