第19話 アンドロイドとアンドロイド

 ウリアが血を流し、倒れ込んでくる。ブルゥは慌てて彼女を受け止めた。

 彼女の後ろに回した手が、びちゃり、と音と感触を得る――。

 膝をつき、自分の手を見れば、真っ赤だった。


 ウリアの瞳が、ゆっくりと下がっていく。

 その視線は、ブルゥをもう見ていなかった。


 遠くへいってしまう……、

 そう感じたブルゥが、ぎゅっとウリアを抱きしめた。


「ママッ、ママッ!? ――起きてっ、お願い、起きてよ!!」


 瞳からこぼれた雫など構わず、ブルゥは叫ぶ。



 ……ブルゥは後悔した。

 助けなんて、求めなければ良かった。

 願わなければ良かった。


 自分で解決しなければいけないことだったのだ。


 それを、甘えて、縋って、頼って……、

 自分の身勝手が、ウリアに致命傷を与えた。



 とんっ、と後ろから足音が聞こえた。


 ブルゥは、振り向きたくなかった。

 けれど、向き合わなくてはならない――。



「……もう、放っておいてよ」

「そういうわけにもいかない。帰る気がないのなら、せめてオレの糧となれ」


 痩身の青年の腕が迫ってくる。

 手の平が、開いた。

 それは口を開けるバケモノのように、ブルゥを喰らうような威圧感を持っていた。


 ブルゥは素直にこの青年が、大嫌いだっ、と思った。




 数分前、痩身の青年がブルゥの兄だと告げてから、ブルゥの思考がパンクした。


 兄、兄妹、血縁、家族……、卵から生まれたばかりのブルゥにとって、家族はギンとウリアだけだと思っていた。そこに見知らぬ青年が入るという事実が、信じられなかった。


 まだ信用していないが、本当に兄妹だとして――、ブルゥからすれば初対面である。

 それに相手からしても、ブルゥのこの姿を見るのは初めてなのだから、初対面になるだろう。


 互いが一方的に知っている状況、というわけでもない。


 なぜ、青年はブルゥを妹だと認識できたのか。


「その首裏の番号が、識別に使われる。オレにも当然、あるさ」


 青年は少し長めの髪の毛を手の甲で上げる。

 首の裏には確かに数字が書いてあった。

 遠目なので把握はしていない。ブルゥは興味がなかった。


 アンドロイドではあるが、今は核を失い、アンドロイドの力を失っている。


 そういう理由からではないが、ブルゥは既に、人間側に染まっていた。

 今更、アンドロイド側へいくつもりはなかった。

 ギンとウリアがいる場所が、ブルゥの居場所なのだ。


「俺の妹は51番だと聞いている。つまり、お前なんだ」


「……よくここにいるって分かったね」


「容姿もある程度は分かっているからな。お前は、母親にそっくりだ」


 母親。ウリアではなく、アンドロイドとしてのブルゥの母親。

 兄妹ならば目の前の青年の母親も、同じアンドロイドなのだろう。


 これだけでは人物像など浮かばないが、どうでもいい。

 ブルゥにとって母親は、ウリア一人だけなのだ。


 とにかく二人きりはまずいと思った。


 勘付かれないように少しずつ、すり足で後退していくブルゥ。

 緊張感で嫌な汗が流れてくる。青年は敵対するブルゥの様子には気づいていない。

 敵意を向けることなどないだろうと信じ切っているような表情だ。


 感情は乏しいが、アンドロイドのブルゥには、表情の奥の心情が読み取れる。


「わがままを言うな、51番——いいから帰るぞ」


 青年の伸びた手が、ブルゥの肩を掴む。せっかく少しずつ取っていた距離が、一瞬で詰まった。驚きもあったせいか、思わずブルゥはその手をはたいてしまう。


 そして、このはたいた手こそが、決定的な戦闘の引き金となった。



 今まで何度かブルゥに拒絶されていたが、それは事態が早く動き過ぎたため、混乱しているからこそのものかと思っていたが、今のブルゥは冷静な頭をしている。

 それを踏まえて。

 伸ばした手がはたかれたということは、全てを理解した上での、拒絶だった。


 敵対の意思がある。


 妹であっても、アンドロイドの総意に反抗する者は、容赦しない。



「帰る気はないのか……? 

 他に目的があるのならば、オレが手伝うことも不可能ではないが……」


 ブルゥが自身の仲間であると期待を込めて、青年はそう聞いたが、ブルゥは首を左右に振る。

 アンドロイドが聞いて納得するような目的などない。


 青年からすれば、その理由は納得できないどころか、理解もできない。



「わたしはギンとママと一緒にいる。

 それにわたしは51番なんて番号じゃなくて、ブルゥって名前があるから」

 


 そして、ブルゥは青年に背を向けて走り出した。

 進んで決別した、力がある走りだった。

 ブルゥに後悔はないのだろう。

 この選択が自分の本音で、迷いなく出せた意志だったのだから。



「……そうか。仕方ないな……、バグは取り除かなければ、他のアンドロイドに感染するだろう……それは、防がなくては――」


 青年の瞳から光が無くなる。

 ブルゥを傷つけずに回収することも考えていたが、脳内で中止させる。

 破壊の二文字。

『食糧』――と、ターゲットマーカーがブルゥの背中と重なる。


 予備動作なく、青年は飛び出していた。



「え?」


 ブルゥの前方斜め上。そこに突如、青年が現れた。

 しなって伸びてくる腕は、触れるという優しいものではなく、さっきのブルゥと同じく、はたくという攻撃の意思が混ざっていた。


 ただし威力は桁違いだ。


 咄嗟に目を瞑り、その場で頭を抱えて屈んだブルゥの頭の上の空間を裂き、腕が空振りする。

 その時、風圧が地面を削った。

 一本の線が大きく刻まれている……、ダメージが一つ、アクアに蓄積された。


 ギィ、と船体が傾く感覚がした。

 おっとっと、とバランスを崩すブルゥとは違い、青年はバランスをまったく崩さない。

 たとえ船体が九十度になろうと、彼は構わず真っ直ぐにぴんと立っているだろう。


「な、なにするの!?」


「……アンドロイドは、相手のソフトをダウンロードし、力を得ていく。

 これは強くなる単純なシステムだ」


「…………」


「お前の中にも能力……、ソフトが必ず入っているはず。だから、お前に帰る気がなく、アンドロイドと敵対すると言うのならば、オレはお前を食い、強くなってやろう。

 そうでもしなければ、ここまでが全て、無駄足だ」


 ダウンロード、食う……、実際の行動がどうなのかは分からないが、簡単な想像でそれをされて、無事で済むとは思えなかった。


 殺される。


 ブルゥは目の前に迫る脅威を、恐怖と合わせてそう答えを出す。


 逃げなければいけない。


 拒絶に意味はない、反撃に効果はない。アンドロイドでありながらアンドロイドではないブルゥは、逃げるしか、今はできることがなかった。


 だから。

 命懸けで、ブルゥは走り出す。

 

「……土産に、お前の力でも見せてくれよ」


 時間を与えてくれたのは、ブルゥがアンドロイドの力を持っていると、青年が勘違いしたためだ。もしも力を失っているとばれた場合——、


 ブルゥはもう、手加減される要素を持っていない。

 妹でも関係ない。

 血縁でしか家族だと言わないアンドロイドに、情など通用しないのだ。



 走りながら、ブルゥは思う。

 願う。


 両手を合わせて、いるかも分からない神を想像しながら。


(ママ……ギン……、お願い、助けてッッ!)


 結果、願いは半分ほど叶うが、

 しかしウリアが刺されるという、悪化した現実が作られることになる。

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