第26話 初めてを独り占め
予想をすれば分かることだが、プリクラをするためのお金がない。
なので、ゲームセンターはもう用済みだった。お店側からすれば、お金もなく、唯一の支払い方法のカードさえも使えない客というのは、ただの
用済みなのは二人の方だった。
ゲームセンターから出る。中と外の騒音の差に、心が落ち着く。隣で、つーん、と杏がそっぽを向いている。プリクラができなかったことが気に入らないらしい。
「おい、お金がないんだから仕方ねえじゃねえか。また明日、くればいいだろ?」
どうせ、杏が持つカードではできないのだが。
きちんと硬貨を持ってこい、と言い聞かせるしかない。
「先輩は、明日も付き合ってくれるのですか?」
「言っとくが、金はもう出さねえぞ? 出せない、が正しいが」
さっきので結構なお金を使ってしまった。これ以上使うと、今月中は買い食いができなくなってしまう……、食欲旺盛な男子としては、致命的な不足である。
「分かってますよー」
分かってなさそうだから言っている。ほわわん、とした返事は、無知をアピールしているように感じてしまう。……本当に分かっているのだろうか?
「先輩は色々と詳しいのですね」
「そうか? お前が知らな過ぎるだけだと思うけど」
天也は詳しい方だ。
常連客からもそう思われているのだから、謙遜しなくてもいいレベルではある。
「天也先輩、もう一つ、付き合ってほしいことがあるんですけど……」
いいですか? と上目遣いで言われた。……狙ったような、あざといポーズ。可愛い子がやるからこそ、元から光っているものが、さらに光った。
そんなポーズで、しかも甘えた声で言われたら、いいですよ、としか言えない。
「ありがとうございます! 実は、お姉さまの趣味の内容を知りたいのです……」
段々と声が小さくなっていく。頬を赤らめ、恥ずかしそうに。
気になったが、そこを突くと、いじめている感じになってしまうので、指摘はしない。
杏の次の言葉を待つ。
「天也先輩なら、知っていそうだったので。……ボーイズラブ、というものを!」
知らねえよ! と答えたかったが、遺憾ながら、知っている。
そして、この近くに、杏にぴったりのお店があるということも……。
知りたいのならば、聞くよりも見た方が早い。自分もついていくことに強い拒否感を抱いたが、あの空間に杏一人を放り込むのも、後味が悪い。ゲームセンターのように男子に絡まれる危険性はないが、彼女が『それ』にずぼっとはまってしまう可能性がある。
達海に、頻繁に接触しているあの副会長のようになってしまったら――、
杏の性格からすると、なりそうな気はする。
影響されやすいのだ。同じように、冷めやすくもあるが。
しかし、知識は蓄えられるので、飽きても記憶には残り続ける。彼女の中で『それ』が巣を作る前に、天也の中の知識を元に、あまり過激ではない『それ』を教えてあげれば、結末が緩和されるかもしれない。
「あんまり期待するなよ? 面白いもんじゃないだろうし」
「はい! お姉さまが熱中しているものを理解したいだけですから!」
理解なんて一生できないと思うが。できるとしたら、同族だけだろう。
理解している頃には、杏は天也が嫌悪をする『それ』に、どっぷりと浸かっていることを意味している。
道中、天也は自販機で飲み物を買って、杏に投げ渡した。しかし、彼女はびっくりして、キャッチできずに落としてしまう。おっとっと、と咄嗟に天也が拾い、あらためて優しく手渡した。
「悪い悪い。つい、いつもの癖でな」
「……これは?」
「飲み物くらい分かるんじゃねえのか……?」
缶の存在さえも知らなかったら、さすがに引くレベルだ。お嬢様とかお金持ちとか関係なく、納税と同じくらいに知っておかなければいけないものだと思うが……、
「飲み物くらいは分かります。女子高生がよく飲んでいますし」
老若男女、飲んでいるよ。杏はプルタブが開けられず、顔にぐっと力を入れて、踏ん張っていた。爪が、かつかつ、と鳴っている。綺麗な爪が傷つきそうだったので、咄嗟に止める。
まったく、と言いながら、天也が缶を奪い取り、プルタブを開ける。——プシュッ、と良い音が鳴った。中身は溢れ出ていない。
あ、思い切り振っておけば、びしょびしょの杏が見られたかもな、と隠れていたえろの本能がちらりと顔を覗かせた。
しかし、時は既に遅い。それは次回に回そうと結論を決めた後に、缶を渡す。
缶は赤い。有名な炭酸飲料。杏はもしかしたら、飲んだことがないのかもしれない。
「おおっ、先輩は魔法使いかなにかですか?」
「魔法使いのハードルを下げるな」
全てが未知、というのは羨ましい。
天也も、毎日がつまらないわけではないが。
いただきます、と炭酸飲料を飲んだ杏は、飲んですぐに咳き込んだ。
涙目になりながら、べー、と舌を出す。……どうやら口に合わなかったらしい。
「な、なんなんですかこれ……、舌が、焼けるような……?」
「そんな危険な飲料を店が売るかよ。そういう飲み物だ。
まさか、本当に飲んだことがないとはな。世界は広いなあ」
「存在は知っていました! でも、まだ飲んではダメと言われていただけです!」
かなり過保護に育てられたらしい。一人でこうして外出しているのも、まだ不慣れなのだろう。これまでの接触で、段々と彼女のことが分かってきた。
だからと言って、どうというわけでもないが。
今までとは違うタイプの女子、というだけだ。
ここまで天也を戸惑わせるのは、初めてのタイプである。
「飲めないならおれが貰うぞ?」
「い、いえ! せっかく先輩が買ってくれたんです。ちゃんと全部っ、飲みます!」
缶の飲み口を見つめて、顔を真っ赤にしながら、ごくごくと飲み干そうとする。しかし、やはり無理があったらしい。女子とは思えないほど、上品とは程遠いこぼし方をしていた。顎からだらだらと垂れる飲料を、慌てて天也が手の甲で拭う。
そしてすぐにハンカチを出し(御花が持ちなさいと言い聞かせた習慣のおかげだ)、さらに拭う。多少べたべたするが、びしょびしょよりはマシだろう。
「…………」
「ん? どーした? ぼーっとして」
「い、いえ、なんでも!?」
上の空のような表情をしていたので、心配になった。
さり気なく杏の皮膚に触れてしまったが、いいのだろうか? クラスの女子だったら、触るなクズ野郎! と強めの言葉で拒絶してくるのだが。
杏の反応は新鮮である。
「あの、先輩……今更ですけど、お金がないんじゃなかったのですか?」
ああ、そう言えば……。
さっき聞きたかったことも、これなのだろう。
お金がないとは言ったが、日常生活で使うための分はある。さすがに、天也だってそこまで馬鹿ではない。単に、天也が明日や明後日に使うだろうお金を、今日に回しただけだ。
天也が飲み物を一本、買えなくなるだけだ。別に、一本くらいならどうってことない。数日間、断食していたことがある天也としては、苦痛でもなんでもないし。
「……噂と、ぜんぜん違いますね」
優しいです、と、ぼそりと言う。
「騙されるなよ、そういうギャップで釣ってるのかもしれねえからな」
「それ、自分で言うのですか?」
ふふふっ、と微笑む。
それにしても、例の三馬鹿と知っていながらも、天也と付き合っていたのか。
なかなかチャレンジャーな少女だ。そして、噂に流されていない、貴重な少女でもある。
天也の中でも、もうただの女子ではなくなっていた。
ボーイズラブの専門店に入った瞬間に、四人の瞳がばっちりと合った。
「……達海」
「天也!?」
「あら、杏」
「お姉さま!」
杏が、姉の李に駆け寄る。そして人目を気にせず抱き着いた。
あらあら、と恥ずかし気もなく抱きしめ、頭を撫でる李——。
……見ているこっちが恥ずかしい。
愛想が悪く、おう、と声をかけ合う天也と達海。
二人に注がれる視線が、なんだか期待でいっぱいだった。
周りには女子ばかり。
目の前で女の子同士のイチャイチャを全力で見せつけられているのだ。片方の男同士も、そうなるのではないか、と思われていても仕方ない。
しかも彼らがいるのは『ボーイズラブ』のショップである。
もちろん、この店にいても、彼ら二人にそっちの趣味はない。
だが、本人は、『望まずここにいること』を理解しているが、片方がなぜここにいるのか、把握していない。もしかしたら自分の目の前にいる男は、本当に『そっち』かもしれないのだ。
家族であっても、隠しごとの二つや三つ、あるだろう。
こんなところで見つけてはいけなかったのだ。
「達海、お前……っ」
「おい、てめえ、変な勘違いをしているよな!?
つーか、危険なのはお前だ! オレを同士だと思うんじゃねえぞ!?」
誰がホモだぁッ!? と互いに言い合い、拳をぶつけ合う。
家で度々起こる、わりとマジな殴り合いの喧嘩が、この場で起ころうとしていた。
拳が触れ合った瞬間。周りの女子が、キラキラオーラを放出し始めた。
妄想が捗っている。全員が全員、別世界にいってしまったような……、
中心地点にいるのに、なんだか疎外感だ。
一気に冷めた二人が、それぞれのパートナーの下へ。
目が合った。お嬢様姉妹は、声を合わせて、
『続きをどうぞ』
「「だからおれ(オレ)らはそういう関係じゃねえって言ってんだろぉッッ!!」」
外へ漏れるほどの大絶叫が響き渡る。
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