第22話 誘いの手

 ――ばっ、と、声がした方を向く。

 斜め下……、屈みながら、親友の若葉秋が、そこにいた。


 にやにやとしながら森の太ももを指先でつついてくる。

 森が恥ずかしさで顔を真っ赤にし、なにも言えないまま、


「ふふふんっ、やっぱり森もそういうところがあるのねー。安心したわ」


 さすが三馬鹿と暮らしているだけあるわねー、と話が進む進む。


「どうぞどうぞ、続きを楽しんでいいわよ? 思春期の男子と同じように、思春期の女子だって、そうそう思考回路は変わらないんだからさ」


 はいっ、存分に、どぞ! と手を差し出してくる。

 やっと口が回るようになった森は、瞳に涙を溜めながら、


「ち、違うのよ、お願いだから、お願いだから理由を言わせてっっ!!」


 美少女ランキング・第二位の悲鳴と、それを楽しそうに笑っていじる、通称『魔女』が廊下にいる。その姿は、いつも通りに仲良し二人がじゃれ合っているようにしか見えていないだろう。


 そして、一人の犠牲者の存在は、誰にも知らされることはなく。


 しばらく姿を消していても、いつもの不運として処理される。


 ―― ――


「げっ」


 家のチャイムが鳴ったので、一番近くにいた達海が出ることになった。

 面倒くさいことを態度に出しながら、扉を開ける。

 後になって、チェーンをかけておけば良かった、と後悔する達海だった。


 達海の大きな体など関係なく、胸倉を掴まれ、一瞬で引っ張り出された。扉が閉められる。家の中に戻れない。閉じ込めていないだけで、これも監禁みたいなものだろう。


 両手を地面につき、達海は見上げる。見覚えがある金髪……、真っ白な、丈が長いワンピース……、金色の刺繍が入っている。

 制服と似ているが、お嬢様感がいつもよりも倍増している。


 見事なまでに、完成された上品さだが、それをぶち壊すアイテムが片手に収まっている。

 ……ボーイズラブ漫画の、同人誌。メモ帳。付箋がたくさん貼ってある――。


 見せてもらったことがあるので知っている。使えそうなネタはああやって目印をつけて、忘れないようにしているのだ。ほぼ全部のページに貼ってあるのだが……、じゃあいらないだろ、とも思う。というか、彼女なら覚えていそうなものだが。


「カンニングしようとして、小さな紙に書いた答えって、意外と覚えているものでしょう? それと同じで、いちいち付箋を貼ることで、わたくしも忘れないようにしているの」


「確かに共感はするが。……いや待て、お前、カンニングしようとしたのかよ?」


 知識だけよ、と真顔で言われた。

 嘘か真か分からない。彼女のカンニングについてなど、どうでもいいが。


「まったく、先輩女子を見て、げっ、は酷いんじゃないかしら?」

「日常的にやっている、オレへの行動を思い出せよ」


 毎回のように嫌がらせをされているのだから、顔を見てそういう反応をするのは当たり前だ。

 だが、彼女は「ううん……?」と考え込み……、


「だとしたら、感謝されるんじゃないかしら?」

「だめだ、認識がずれてやがる」


 対極へいく意見はぶつけようがない。

 勝敗をつけようにも、向かい合わないのだから、暖簾に腕押しだ。


 ……いつまでも目的を話そうとしない腐女子先輩へ、達海が切り込む。


「で、わざわざ家にまできて、何の用だよ。

 まさか、休日のオレの時間までも奪うつもりか!?」


「あら? 付き合うと確かにあなたは言ったはずよ?」


 は? と達海が口をぽかんと開ける。

 ……いや待て、と、遡って思い出してみる。


 自分が、この腐女子先輩を相手に、そんなことを言うだろうか?


「あなたが天也くんのパンツの匂いを嗅いでいた時の話よ」

「嗅いでねえよ! 近所の目があるんだから、そういうことを言うな!」


「そういう意味なら、耳の方が適切な気がするけど」


 確かに、近所のおばさんは聞き耳を立てているが――、どっちでもいい。

 見られようが聞かれようが、同じなのだ。


「ああ、あの時か……。あれ、ほとんど脅迫じゃねえか」


 ほとんどというか、全部だが。このお嬢様、運動神経のスペックが運動部のレギュラー並にあるのはどうしてなのだろうか? 達海では、彼女の運動能力にまったく勝てない。


「脅迫でもなんでも、言質は取ったのよ。逃げるつもりならこれ、録音もしてあるけど」


 先輩がスマホを取り出す。再生されたのは、達海が了承した時の声だ。よくもまあ、あのかけっこの必死な状況で、スマホを操作する余裕があったものだ。

 達海は両足を必死に動かすので精一杯だったのに……。


「ちっ、分かったよ。付き合う付き合う。ただ、今日だけだからな」

「ふふふふ、一度ならいっか、ね。それがくせになって、何度も続けてしまうのよね」


「お前、そういうことを言ってると今日もいかねえぞ!?」


 せっかく人がいく気になったのに……気持ちを削ぐのが上手過ぎる。


「冗談よ。次に誘う時も、また色々な策を考えてぶつけてみるわ」

「……もういいから、普通に誘え」


 どうせ了承しなければいけない結果に追い込まれるのだったら、最初から了承した方が楽である。もちろん、誘われることの内容にもよるが。


 内容についても、断ったら無理やりに了承させられるので、ちょっとだけ変えてもらう……その程度の妥協でいい。もう疲れた。先輩への耐性が、綺麗に消えている。


「誘ったら、ちゃんときてくれるのね……?」

「オレにも嫌と言う権利はあるからな!?」


 達海のツッコミに隠れて、腐女子先輩は小さくガッツポーズ。


 そして、「(――やったっ!)」と小さな声で。

 聞こえてしまった達海は、少しだけ照れる。そこまで喜んでくれるのならば、これくらい、いつでも付き合ってやってもいいか、という気分にもなるのだ。


「じゃあまず、ボーイズラブの専門店についてきて」

「一歩目からマックスじゃねえか!」


 まず、で、出していい店名ではない。

 慣らすためとか、一つ、ソフトにクッションを挟むとか……、

 そういう考えはまったくないのだろうか、この女は。


 嫌がる達海の手を掴んで、腐女子先輩が引っ張る。早い早い、足が絡まりそうになる。

 気持ちが急ぎ過ぎている。新作ゲームの発売日に、ゲームショップに向かう子供か。


「楽しみね」


 そんな風に、振り向いて笑顔で言われたら、なにも言えない。

 達海は彼女の速度に合わせて、腐女子先輩についていく。



「あ、そうだ。あなたはいつ、御花に告白をするつもりなの?」


「このタイミングでそんな核心的なことを突いてくんのか!?」


 道中の話題はそれで決定した。

 達海に、安息の時間はないらしい。

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