第19話 先輩と腐る前に追いかけっこ

 プールが終わってから、次の授業も終了——、現在は昼休みだ。


 廊下を歩く達海は、更衣室で取った天也のパンツを、ぶんぶんと振り回す。

 回転が早過ぎるので、一見、それがパンツだとは分からないだろう。


 達海は動きのない天也と陸に不気味さを感じていた。


(天也なら、オレのところにすぐ仕返しにきそうなもんだが。

 陸も、天也からはめられたのなら、相談をしてきてもおかしくはない……)


 だが、今のところ三人の触れ合いはない。プールでどっと疲れが出たので、授業中はほぼ眠っていた。一言も話さないまま、こうして昼休みになっている。


 廊下に出たのは眠気を覚ますためでもあり、考えごとをするためでもある。

 直感が不気味さを感じたのなら、あの二人に今は近寄らないべきだろう。


 逆に、近づいてなにを企んでいるのか、暴くべきだろうか?

 暴くどころか自分のこれまでの行動を暴かれそうなので、動くこともないだろうが……。


「それ、男の子のパンツね。しかも、あなたのじゃ、ないもの。それ、どうしたのかしら?」

「あん? これなら更衣室で天也のカゴから取っ――」


 自然にそこまで答えてしまってから、言葉を止めて達海が振り向いた。

 振り向く前に、——ふふふふふふふふふふふふ、と下から這い上がるような笑い声……、


 嫌な予感がした。

 振り向きたくなかった。というか関わりたくなかった。


 が、逃げたとして、どこまでも追ってくることを知っている。

 逃げられないからこそ、達海の方が折れたのだった。


 こうして答えをさらっと返してしまうほどに、会話は慣れている。

 身長が高い達海が見下ろす形になった。見えるのは金髪、白い改造制服——。


 達海は『腐女子先輩』と呼んでいる。生徒会・副会長の御手洗李がそこにいた。


「相手がいない隙に更衣室からパンツを抜き取った、と。

 そしてそれを持ち歩くほど、大事にしている。あなた、やっぱりホ――」


「違うからな!? お前もしつこいな! 

 目をキラキラさせんな、オレらを変な目で見るんじゃねえっ!?」


 変態とか、最低とか。人間的に下に見られるような視線には慣れているのだが、彼女のように敬意を抱かれているのはやりにくい。背中が冷たくなって、気持ち悪い。


 達海自身をきちんと見て評価してくれる、数少ない人物ではあるが……、


(オレのことをずっと、ホモだと思ってやがるからな……)


 しかも天也と陸、限定で。なぜ達海が毎回のように『受け』なのか。納得がいかなかった。

 まず、カップリングからやめてほしいし、そもそもで、ホモじゃないし。


 敬意を抱かれている。間違いではない。本人だって、そう言っているのだが――やっていることは彼女が描いている『ボーイズラブ漫画』のネタとして、達海たちを観察しているだけだ。


 情報源として利用されている。確かに、三馬鹿はいつも一緒というわけではないが、いつものように一緒にいる。三人で生活しているのだし、なにもかもが分かっている間柄だ。

 他の男子よりも親密なのは当たり前だろう。


 だからと言って、じゃあホモかと言われたら違うと答える。

 そんなわけねえだろ。

 それは兄弟を見て、全員をホモと言っているようなものだ。


 血が繋がっていないからこそ、余計にそう見えるのか。

 こういう時、血が繋がっていれば説明が楽なのだが――。


 こんなところで利用するために、貴重な血縁を繋げたくはない。


「今、あなたを『受け』にした新しい漫画を描いているの。

 少し想像力を膨らませたいのよね……、そのパンツ、被ってみてくれる?」


「ふざけんな! 誰がするか。つーか、被ったところでなんの素材になるんだよ」


 ……というか、またオレが受けかよ。

 言えば、じゃあ『攻め』がいいの? と言われるので、ツッコみはしなかった。


 少し前、しつこく付きまとわれてうんざりした達海は、一度、「ネタ集めくらいなら……」と許可を出した。……出してから、彼女はこうして堂々と達海によく接触するようになった。


 それまでは隠れてネタ集めをしていたらしい。

 その時から、達海がターゲットだった……(体格や仕草がタイプらしい、と聞いた)。


 接触後、することと言えば、こうして同人誌のネタ集めだったり、今のように想像力を働かせるための手伝いだったり――、達海にとって良いことは一つもなかった。


 デメリットばかりの邂逅。

 達海が嫌な顔をして引くのも仕方ない。


「大丈夫よ、二人きりになれるところで、誰にも見つからないようにするから」


「怖いんだよ、お前の、獲物を見つけたようなその目が……。

 絶対にいかねえからな。二人っきりとか、なにをされるか分かったもんじゃねえ」


「なにもしないわ。あなたが望むのなら、脱いであげてもいいわよ?」

「オレらは確かに『えろい』のが好きで、女子の裸はやっぱりめちゃくちゃ見たいが、自分から見せてくる女は嫌いだ」


 あら? それは残念、と腐女子先輩は残念そう――じゃない顔をする。


「なら、弱みを見せた女の子が好きなのかしら?」

「それが作られていたら、萎えるかもな」


「がまんしなくてもいいのよ? あなたが好きなのは、筋肉でしょう?」


「おい、会話が飛んだぞ!?

 どうしてもオレをホモにしたいんだなお前は! やってられるかッ!」


 達海は逃げに行動を移す。ばっと背後を振り向き、ダッシュ――するが。

 平然と速度についてくる腐女子先輩。——ふふふふふふふ、と声が迫ってくる。


「おいっ、生徒会副会長が走るんじゃねえよっ!」


「悪人を捕まえるために、武器の使用を許可されているのと同じことよ。

 あなたが止まれば、わたくしも止まるわ」


 ちっ、と舌打ち。男子トイレにでも逃げ込むか? と視線を散らしていると、耳元で声が聞こえた。囁かれる。鼓膜がくすぐったい。


「ねえ、一応、こっちは先輩なのだけど……タメ口はいつ直るのかしら?」


 達海の全力疾走の速度についてきながら、息一つ、切らしていない。

 驚異的な肺活量。そして運動能力。お嬢様というテンプレートの印象の逆をいく女だ。


 細長い指。適度に伸びた爪で、つー、と顎を撫でられる。くすぐったい。充分な色気もあった……走りながら、彼女のその唇に目がいく。艶が目立つ。視線が吸い込まれそうになった。


「あら? わたくしをそういう目で見てくれるのね」

「うるせえなあもうっ!」


 全力疾走から、さらに速度を上げた時、


「きゃっ」


 下から階段で上がってきていた森とすれ違う。ぶつかってはいないので、危険性は低いが、かなり速度が出ていたので、驚かせてしまっただろう。達海も同様に驚いた。


 階段を踏み外しそうになるが、なんとか踏ん張る。

 途中、手に持っていた天也のパンツを落としてしまったが、止まれないので、仕方ない。


「悪いッ! そのパンツ、天也に返しておいてくれ!」

「あ、危ないじゃないの――って、副会長まで!?」


「お姉さんには言わないでもらえるかしら、森ちゃん」


 丁寧さの中に潜む威圧を感じたのか、森は頷くのみだった。

 達海への怒りは既にもうないらしい。その隙に、達海は限界まで遠くへ――。


「いつまでついてくんだよ!?」

「次の休みの日に、わたくしのネタ集めに協力してくれるとあなたが言うまで」


「初耳なんだが!?」



 数十秒後、汗だくになりながら膝をついて了承する達海と、


 汗一つ流さず毅然と立ち、満足そうな顔の副会長の姿が、そこにあった。

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