第6話 夢と異能
「いっ、てて……」
頬が削れたかと思った……、むくり、と起き上がった陸は、ベッドの上で目を覚ました。ピンク色が特徴的なラブホテルだったらいいな、と思いながら見ても、まあ当然、白を基調とした壁紙が貼られている、落ち着いた雰囲気の保健室だ。
隣では、達海が足を組んでえろ本を読んでいる……、アダルト漫画だった。
真面目な顔をして、首から上だけを見ればイケメンと言えるが、視線を下げた位置にあるその雑誌のせいで、残念だ。
そして達海を挟んで向こう側、もう一つのベッドの上で寝ているのは天也だ。天也がなにかをされて倒れた、という記憶が陸にはないのだが、どうせ森の機嫌でも損ねたのだろう。
余計なことでも言って、と推測する。完璧な正解だった。
「お、起きたか」
達海が陸に気づいた。
読みかけの漫画を閉じようとはしていない。
友人を越えた、家族同然の相手が気絶から目が覚めたというのに、そちらを優先するか。
まあ、逆の立場でも、陸は同じことをしたと思うが……。
「今って……、まだ四時間目なのか」
「ああ。長く感じるかもしれないけど、二十分くらいしか気絶していなかったぞ?」
「気絶すること自体がおかしいけどな……」
日常茶飯事だが、おかしいと認識しておかないと常識がなくなりそうだった。
既に常識などないも同然なのだけど。
「う、うぉああああああああああああああああああああああああッッ!?」
と、そんな悲鳴……? と共に、天也がばっと起き上がる。幸いにも保健室の先生は今はいない。いたとして、三馬鹿の悲鳴に駆けつけてくれるとは思えないが。
達海が二人を保健室に連れてきた時も、
「んっ」と一言だけ、持っていたボールペンで後ろのベッドを示すだけだった。
治療する気がない。寝かせることがそうなのかもしれないが、なにも聞かずに放置って……、関わり合いたくないのは認めるけどさ――。
「おい、驚かすなよ、刈り上げえろす」
「ああ、悪い。……ちょっと待て、なんだよ刈り上げえろすって!?」
えろす、は三人の共通項なので、達海が言える立場ではなかった。
というか、そこはどうでもいい。
そんな大声を出して、なにか後遺症でも残っていたのだろうか?
「落ち着いて聞けよ……? おれ、いま夢の中で、透明人間になってたんだっっ!」
「…………」
「待て待てっ、お前ら二人で一緒に沈黙すんなっての! 嘘じゃねえってっっ!」
「嘘かどうかはこの際、どうでもいい。
夢の話なんだから、突拍子もないってのは分かってんだよ」
「夢って、お前なあ。聞いてて面白いわけないだろ。
全部が全部、天也の思い通りの展開にしかならねえじゃねえか」
「そうとも限らねえけどな。
まあ、その思い通りにならない加減が、また満足にさせてくれるわけだけどな――」
……こいつ、えろい夢を見てあんな悲鳴をあげたのか? と呆れる。
三馬鹿に呆れられるというのは、おかしな表現だが、最低の下をいく評価だった。
「――ってことは、なんだ?
もしかして、本番をしてる最中に、目が覚めちまったってことなのか?」
「まあ、そういうことだな」
簡単に予想できて当たってしまうあたり、思考回路がまったく同じだ。
聞かなくてはダメなのだろうか? ダメなのだろう、共有してほしいと天也が期待している。
「で? どんな夢だったんだ?」
くだらねえ、と切り捨てた達海とは違って、天也とテンションが近い陸が聞く。
「透明人間になってな、女子更衣室にまずは向かったんだよ」
分かりやす過ぎる。とは言え、透明人間になったらまずはそれをするだろう。
試しに、だとしても、確認としても。陸はうんうん、と頷く。
「で、そこにあるパンツを嗅ぐだろ?」
「始めから全力疾走じゃねえか」
見るだけじゃなく物理的に影響を与えちゃうの!? と驚愕する。
さすが天也だ。他二人と比べれば、まだえろとしては
「全力疾走じゃねえよ、ジョギングですらねえ」
屈伸とか、ラジオ体操レベルの話だったのだろうか。
世界が違うな……、三馬鹿内でのステータスの差が大き過ぎる。
「……ん?」
そこで、陸が違和感に気づく。
夢の話に、ではなく。それは正直、どうでもいいのだ。
違和感を抱いたのは、得意気に話す天也自身——、その体。
達海を挟んではいるが、目の前に座っている。なのに、なぜだろう?
天也の向こう側の壁が、薄っすらと見えているのは、なぜだ?
「……天也、お前、なんだか薄くなってないか?」
その言葉に、えろ雑誌を読むのを再開させていた達海も、意識を向けた。
本人は、「は?」と首を傾げていた。
そりゃそうだ、自分の体の、見た目の異変など、そうそう簡単に気づけるものではない。
「肩のところだよ、そう、そこ。薄い、というか、透明になってるって、いうかな……」
達海が手を伸ばしてみる。なにも見えず、空気だけがあるその場所を、掴むことができた。
そこには、天也の肩が見えているはずなのだが――、
「は? まさか、透明人間に、なってるってのか……?」
「――うそぉ!? ちょおっ、マジでか!?」
天也が飛び上がり、保健室を出ていく。
トイレにいき、鏡を見て、確認するつもりなのだろう。
それから数分して、戻ってきた天也の顔は青く腫れ上がっていた……、
涙目である。
「……なにをしてきたんだ、お前は」
「ぐすっ、女子更衣室に入ったら、悲鳴と共にぼこぼこにされた……」
透明になっていると言っても、まだ三分の一だって透明になっていないし。
それじゃあ普通に、天也が更衣室に突撃してきたと女子は思うだろう。
馬鹿だ。馬鹿だけど、楽しそうではある。
「おい、天也っ、どんどん透明になっていってるぞ!?」
さっきまでの遅い変化が嘘のように、あっという間に、天也は透明になった。
陸と達海の目に、天也は映っていない。そう、天也自身の体は。
着ている制服は綺麗に残っている。服だけが浮いて見えていた。
別の意味でも、これで学園を移動したりしたら、浮いて見えるだろう。
透明人間としての力を最大限に使うのならば、服を脱ぎ、裸で校内を移動しなければならない……、これはかなりのチャレンジ精神が必要だった。
だがそこは三馬鹿、そして天也。今更、学園内を裸で歩いていた、という事実へ向けられた侮蔑の評価など、痛くも痒くもない。
なので遠慮なくできるというものだった。
「どうだ、透明人間になってるか?」
なってるなってる、と二人で拍手。
突然、透明人間になってしまったこの状況に、三人はもう慣れていた。
透明人間になれるという、『異能』と呼ぶべきものを、以前から認知していたかのような。
疑問を抱かない三人。思ってはいても、口に出さないだけかもしれないが。
ひとまずは、この透明化を調べるためにも、天也を犠牲にする。
失敗しても成功しても、被害を受けるのは天也だ。巡り巡りって、陸に被害がくるのはいつも通りの展開だが、さすがに今回は……、と安心している陸。
ただ、これでフラグが立った――、達海は指摘しなかった。
「よっしゃ、んじゃ、いってく――」
言葉の途中、いや、待て! と天也が言う。
なんだ、今度はなにを思いついた?
「陸、お前……、大人のおもちゃでも持ってんのか?」
「え? いや、持ってねえけど……」
天也が微かな振動音を聞き取ったらしい。
陸も達海も、まったく気づかなかった。どんな耳をしているのだ、この
「……音の方向的に、そうだな、そこじゃねえのか」
「指差してるか? 透明だから分かんねえって」
あ、そうか、と天也が陸の手を取る。
透明人間に予告なく体を触れられるというのは、驚くよりも先に、気持ち悪い。
天也だから、かもしれないが。
「ほらみろ! やっぱりこれじゃねえか!」
「は? だからなにが」
陸は自分の手、その指を見て、馬鹿みたいに口をぽかんと開けた。
馬鹿みたいにというか、馬鹿そのものだろう、という視線は切り捨て、人差し指に注目。
……振動していた。
よく見る大人のおもちゃみたいに……、マッサージ機みたいに……。
「――うおっ、なん、じゃこりゃあッッ!?!?」
「お前ら、変態過ぎて、遂に体がおかしくなったのか?」
唯一、異常が発見されていない達海は、他人事のように見下す。
思考がえろに突出し過ぎて、体に異常が出てしまうとは……末期だ。
環境に適応して進化したなら分かるが、思考に合わせて変化したとすれば、退化だろう。
こうはなりたくない、という反面教師として二人を見つめていた。
「いやいや、おかしいだろうがよ! なんだこれ!?
指が振動するって、どんなえろ同人誌だっつうの!!」
「でも、これはこれで使えるよな?」
「規模も威力も大して変わらない製品があるならそっちを使うわ!」
これなら透明人間化の方が魅力的だ。その能力に飲み込まれてしまうことを考えれば、規模の小さい陸の振動の方が良いかもしれないが……。
「天也の時は能天気に考えてたけど、これってどういうことなんだよ!?
いきなり透明人間化とか、指が振動するとか、あり得ねえよ!!」
「お前、おれの時は能天気に考えてたのか!?」
天也が楽観的に考えているよりも、この事態は重い。
こんな異能、持っていたら間違いなく、平和が維持されるとは思えない。
「なあ……陸」
達海が真剣なトーンで聞いてくる。
「お前、今日の夢、なにを見た?」
「は? ……夢?」
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