【注3】神の存在
私たち現代日本人が考えているよりもはるかに、神の存在は重要です。
多くの現代パロデイファンタジーでは神々は身近でとるに足らない存在です。物語を彩るスパイスにしかなりえていない場合も多く、神の存在よりも十数年生きているだけの主人公の自我の方が優位に立つ場面の方が多いほどです。
あるいは、昨今のゲーム界にいたってはバラエティ豊かなバフ(効果)の対象にしかなっていません。貢物の量によって恩恵を得られるバフの自動販売機のようなものですね。
注釈はなるべく愚痴っぽくならないように気を付けて書くように心がけています。私自身の嫉妬とも言えますね。
本来、ファンタジー作品における神の存在というものは、世界そのものの基礎のようなものでした。
神(信仰)の存在によって人々の行動は決定され、時に制限され、生死すら左右されます。それは現実世界も同じですね。
例えば北欧のヴァイキングは、戦って死ぬと「ヴァルハラ」に行くことができ、最終戦争までの日々、酒池肉林と戦いの生活が送れると信じていたそうです。そのため、ヴァイキングの戦士は己の死を恐れずに戦いに赴くことができました。神話はファンタジーであると同時に、現実の人々にとっての生活の基盤そのものだったのです。
半ば本気で神を信じていた時代の人々にとっても、「死」という現象は恐怖の対象でした。もしこれが、目の前に神様が確かに存在していて、死んだ後も自分の人生が続いていくことが確かなものであるのなら、死への恐怖はだいぶ和らぐと思うのですが、いかがでしょうか。
死の痛みも苦しみも、いわば予防接種のようなとらえ方にもなると感じます。
『英雄コナン』シリーズの主人公であるコナンは、作中でこんなことを述べていました。
「俺に言わせれば、神を信じすぎる奴も、全く信じない奴も馬鹿だ。この世には自分の力だけではどうしようもないことも多々あるが、それでも困難な道を切り開くのは自分自身の力だけなのだからな」
コナンシリーズが執筆された1940年代のアメリカという背景も踏まえて、なかなか興味深い、感心できる部分もある考え方だと思います。
この作品にも大陸の多くの人々があがめる主神を用意しました。
「ガガガ・ミシュー・ライライ」様と言いまして、もともと別々の存在だった三種の神様が一つになった存在という設定です。ガガガ様が戦いの神、ミシュー様が癒しの神、ライライ様が慈悲の神です。人々は状況によって神の名を口にしますが、それぞれ「ガ!(軽い驚き)」「ガガ!(大きな驚き)」「ガガガ!(戦いの鼓舞のことば、呪詛の言葉、しまったの意味など)」、「ミシュー(やれやれ)」「ライライ(お助け!、助かった)」という意味があります。
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※この項目は加筆修正する可能性があります。
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