第1章 〈鉄の仕事亭〉の事件 カグル=ハヴァルとスリーリック・ファフニッカー、そしてタラーナ・リィ

 北方の野蛮人【注1】カグル=ハヴァルは、手にしたジョッキの安発泡酒エールを一息で空にすると、どん、という音とともに勢いよくテーブルに置いた。だらしない笑みを浮かべ、下品さまるだしで大きくげっぷをしてみせる。それを見た彼の相棒、丸テーブルの向こう側に座っている小人【注2】、グラッシン族の若者スリーリック・ファフニッカーは顔をしかめ、馬鹿にするようなしかめっ面で目の前の野蛮人を見つめた。

 野蛮人はその非難の視線を受けても意に介した様子も見せずに、酒壺から新たな酒を注ぐと、目の前の皿に山盛りになっている乾果ナッツを鷲掴みにした。


 「何か問題があるのか?」


 乾果を掴み取り、口に運ぶ簡単な動作だけでも、たくましい腕とむき出しの胸の肉が見事に盛り上がり、酒場の中の頼りない明かりの光を鈍く照り返す。この酒場の中の誰よりもたくましいその体躯を見せびらかしているようにも見える大仰な仕草を、彼の相棒は軽蔑ともとれる表情でにらんだ。

 店内の給仕娘たちの熱っぽい視線が、時折ちらちらと野蛮人の体に盗むように向けられていることには彼も気づいていた。


 「一度に、そんなに、とるな、よ!」


 そう言うと、子供のような体つきのスリーリック・ファフニッカーは身を乗り出して両手で乾果を掴み取った。挑むような顔つきで野蛮人の顔を見、乾果をむさぼって見せる。野蛮人はそれを見てにやりと顔をゆがめた。


 「計画は完璧さ! 失敗するわけが……もごもご……ない。僕の腕前と、あんたの剣、それにガガガ・ミシュー・ライライ様【注3】のご加護があればね」


 乾果を口いっぱいにほおばり、かけらをとばしながらグラッシンは自信たっぷりに言った。だからといって、カグル=ハヴァルに笑顔を見せるわけではなかったが。


 「僕が言いたいのは、財宝【注4】が手に入れば、あんたのその意地汚さも少しはましになるだろうってことさ。……口の周りをふきなよ、泡がついてる!」


 「グラッシンに教わる礼儀などない」


 そういいながらも、野蛮人は右手でぐいと口の泡を拭った。そして新たな乾果に手を伸ばそうとした、その時。


 酒場の片隅で、騒ぎが起こった。低い男の叫びと、続いて毒づく声が聞こえ、それに下卑た笑い声もいくつか混じった。たちまち広い酒場の客の注意は、ほとんどそちらに向けられた。北方の野蛮人カグル=ハヴァルとグラッシン族の若者スリーリック・ファフニッカーもその例にもれない。

 〈鉄の仕事亭〉【注5】の片隅で、一人の女と、何人かの男が、倒れたテーブルと何脚かの椅子を挟んで対峙していた。美しくもたくましい、白い腕と足を露わにした背の高い女の足下にはさらに何人かの男がうずくまっており、小刻みにふるえながら苦痛のうなり声をあげていた。

 それを認めたカグル=ハヴァルの目に面白がるような輝きが混じり、スリーリック・ファフニッカーは思わず円卓の上によじ登り、立ち上がった。そうしなければ彼には騒ぎの中心が見えなかったからだ。


 いまやその騒ぎは酒場中を巻き込み、次第にその範囲を広げつつあった。どうやら一人の女と何人かの男たちとの喧嘩のようなのだが、驚くべきことに、誰一人としてその女に指一本触れることすらできないようだった。当の男たちは後込みしているが、周りの野次馬からは「やれよ」だの、「もっと足を見せろ」などの品の悪い声が飛んでいる。建物の梁の上からは甲高い声で笑う小さな醜怪な生き物の姿がいくつかのぞいていた。酒場の給仕たちは災難をおそれて炊事場へ逃げ去り、店の主人に至っては客を止めるどころか、にやにやして事の成り行きを見届けようとしている。


 残りの男たちがいよいよ女に襲いかかろうと目の前の椅子を横へ蹴りやると、女はついに腰に差していた細い剣【注6】を抜いた。

 しゃらん、という物騒な音が建物内に響きわたると、酒場の空気は一瞬にして変わった。ただのふざけ半分の喧嘩から、真剣な殺し合いに場は移行し、ほんの一瞬、酒場にしんとした空気が漂った。

 だが、それも一瞬だけのことで、酒場はふたたび喧噪に包まれた。こうなればこの騒ぎがどこまで行き着くのか、最期まで見届け、楽しんでやろうという腹づもりにその場の皆がなったようである。

 男たちはためらいがちに腰に差していた短剣や手近の果物ナイフなどを手に取り、女は顔色ひとつ変えずに細剣を片手で構えた。数人の男達が武器を手に自分の目の前に立っているのを目にしても、女は顔色一つ変えず、狼狽するそぶりすら見せなかった。かえって、彼女の面差しのりりしさが対峙する男達によって映えたようにも見える。酒場のどこからか、高い口笛が聞こえてきた。


 「カグル=ハヴァル! あの人、抜いちゃったよ!」


 「大したことではない。放っておけ」


 口ではそう言いながらも、カグル=ハヴァルは横目で女の姿を追うのをやめなかった。スリーリックが見たところ、どうやら彼の興味は女の行動よりも美しい女そのものにあるようだったが。彼が新たに干し肉を口に運び、いい加減に咀嚼して飲み込むわずかの間に、件の女戦士は三人の男を新たに足下にひれ伏させていた。女を囲んでいる男たちの間から、驚愕の声が次々に漏れる。

 そして驚愕の声は、そのまま悲痛ないくつかの叫びへと変わった。男たちを倒した女戦士は何を思ったか、ひとたび抜いた剣を納めるどころか、周りの野次馬たちへその刃を向けたのだ。酒場内は途端に恐慌状態へと陥った。女戦士はだれかれとなく斬りつけ、酒場内には逃げまどう者、目に付いた棒きれやナイフなどで女を仕留めようとする者、また何の思い違いか女戦士に加勢しようとする者とが入り乱れ、広い酒場の中の混乱はさらに広がりつつあった。


 「わわわ! あの人、なにを考えてるんだろう?」


 「ふむ……」


 女戦士【注7】はただ暴れ回るだけではなく、絶えず酒の瓶やまだ中身の入っている杯などを蹴飛ばしたりあらぬ方向へ投げつけたりして、無関心を装おうとしている者たちの反感さえ買うように自らし向けているようだった。そんな女戦士を見ながら、酒を飲み続けていたカグル=ハヴァルはひそかに腰にぶら下げてある長剣の柄に、初めて手を伸ばした。

 客の大半が虚を突かれ、場所が酒場であることゆえ、夕暮れ後ということもあって大した獲物もない事実を差し引いても、女戦士の勇猛ぶりには、目を見張るものがあった。すでに闘争心のない客の大半は建物の外へ逃げ去り、残りの者は女戦士の剣の前に倒れ、あちこちで苦痛の叫びをあげているという有様だった。酒場の中はいつの間にか、不気味な静けさを取り戻していた。


 さすがの女戦士も肩で息をし、だがそれでも狼のような目をぎらつかせて、残りの獲物を探していた。その視線はほどなく北方の野蛮人カグル=ハヴァルのそれとぶつかった。というのも、すでに〈鉄の仕事亭〉の中には女戦士のほかに、北方の野蛮人と彼の相棒のグラッシンのほかには動いている人影は見あたらなかったからだ。カグル=ハヴァルはすでに剣を抜いており、遠くの長机の上に立っている女戦士を油断なく見つめていた。


 スリーリック・ファフニッカーは心持ち野蛮人の後ろに下がった。そして自分も野蛮人に倣って、腰に差してあるいくつかの短剣をまさぐった。彼がまだ思案しているうちに、女戦士は大きく跳躍し、カグル=ハヴァルに襲いかかってきた。


 カグル=ハヴァルは女戦士の一撃を、構えていた長剣であぶなげなく受け流し、続いて繰り出された剣戟をその体躯に似合わないしなやかな動作で確実に受け続けたが、その顔は驚きに見張られていた。


 「大した腕前だな、女! 少々見くびっていたようだ!」


 笑うでもなく言い放ったカグル=ハヴァルは女の細剣を大きく跳ね上げると、左足を振り回して女の足を払い、相手を床の上に転がした。彼が驚いたことに、女は転ばされながらも、跳ね飛ばしたと思われたはずの剣をまだしっかと握りしめていた。だが、さすがに積み重なった疲労に加えて彼に転ばされた衝撃は堪えたらしく、それ以上立ち上がってやり合うつもりはないらしかった。


 「どういうつもりだ、女。この中の誰かが仇だった、というわけでもなさそうだが」


 「そうだよ! なんなんだよ、あんたは! こんなに殺しちゃって! ライライ(お助け!)」


 カグル=ハヴァルは倒れたまま肩で息をしている女に話しかけ、スリーリック・ファフニッカーもそれに続いた。相手を責める内容の割に、その口調の中に非難の色は混じってはいなかったが。


 「殺しちゃいないよ」


 女戦士が初めてその口を開いた。のどに何かがからんだような声に一瞬聞こえたが、本来はとても美しい声の持ち主だと予想することができる。その証拠に、次にその口から漏れた声は、歌うような潤った響きを帯びていた。


 「みんな、本当に斬っちゃいない。叩いただけ。みんな生きてるよね?」


 よくよく見ても、美しいという以外に形容し得ない女の顔と、床の上に転がった肉感的な肉体を眺めながら、カグル=ハヴァルは倒れた椅子を起こして座り直した。


 「やっと見つけたよ。あんたこそが、あたしの探していた男だ」


 「話が見えんな。女。俺がカグル=ハヴァルだということを知っているのか?」


 「カグル=ハヴァルね。大した名前じゃない。ありふれた北の名前だ。でも、問題は名前じゃないんだ」


 ゆっくりと立ち上がった女戦士は額に噴き出している汗を手の甲で拭い、優雅に腰に手を当てた。


 「あたしの名前はタラーナ・リィ。西から来た。西に広がるヴァ・ウー・デ・ハル平原から。あたしは、ヴァ・ウー・デ・ハルの平原に住む遊牧民、ヴァルレ・カイマイの族長、リーバ・リィの八番目の娘だった」


 「なるほど」


 カグル=ハヴァルはそれまで大きく開いていた目を細めて思案顔でつぶやいた。


 「話が読めてきたぞ、女。タラーナ。……ヴァ・ウー・デ・ハルの」


 「あんたはこの店の中で一番強かった。ほかのどの男よりも」


 西の遊牧民、タラーナ・リィはすがるような目になったが、尊大ともとれるその姿勢は崩さなかった。それどころか、やや顎を突き上げ、ますます挑戦的な態度ともとれる見てくれになった。


 「力を貸して、北の男。あたしの復讐【注8】には、あんたの力が必要なんだ」


 その言葉を聞いても、カグル=ハヴァルは今度は眉一つ動かさず、先ほど抜いた剣を遊ぶようにゆっくりと動かして、時折剣の平にうつるろうそくの輝きの照り返しを見つめているのみであった。その横顔と女の顔を交互に眺めていたスリーリック・ファフニッカーは何かもの言いたげな表情だったが、結局何も言わなかった。ただ酒場のあちらこちらから、まだ動けないでいる何十人かの男たちのうめき声だけが響き続けていた。

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