Memory:6「死せる記録に咲く花」
記憶を語り終え、エデンはそっと胸を押さえた。
過ぎ去ってしまった痛みは、古傷のように鈍くうずく。薄れることはあっても、消えることはない。感傷だとは思いつつも、エデンは堪え切れずに目を閉じる。
「最低だな。レオン・カノープスは」
イオンは吐き捨てるように言って、軽く舌打ちした。目を開けば、白い結晶に覆われた地下実験場が見える。かつて『エデン』たちが眠っていた水槽は無残に砕け散り、白い砂と氷柱のテラリウムと化していた。計器類や配管、ケーブルは言うまでもなく、白い砂と結晶に侵食され、見る影もなく崩れ果てている。
水槽前の端末に背を預け、イオンは不愉快そうに顔をゆがめていた。とても嫌そうに足元の砂を蹴り上げ、エデンに視線を向ける。
「それだけのことをされても、君はレオン・カノープスを『優しいひと』だと呼ぶのか? 理解不能だな」
「ええ。これだけだったなら、いくらわたしが馬鹿でも恨むことしかできなかったです。もちろん、あと少しだけですけどお話の続きはありますけど。……ところでイオンさん、目的地はここで良かったんですか?」
エデンの問いに、イオンは短く呻きをあげた。包帯に覆われた手で額を押さえる様子は、何かまずい事実を思い出したかのようだった。首をかしげてエデンが言葉を待っていると、イオンは盛大にため息を吐き出す。
「いや、ここじゃない。少なくとも、もっと先か奥だろうな。ここの状態を見る限り、何か残っているかは未知数だが……ぼくを死なせてくれるものがあればいいんだけどな」
死なせてくれるもの。不穏な言葉にエデンは困惑するしかない。最初からイオンは死にこだわっていたが、それは体を蝕む病のせいなのだろうか。そうだとしても、いずれ訪れるであろう死に強くこだわりすぎているようにも見えた。
「イオンさんは、どうしてそんなに死にたいんですか?」
ついにエデンは、根源的な問いを発してしまった。途端、イオンにじろりと睨まれる。それ以上は言葉を続けられず、エデンは両手をぎゅっと握り合わせた。
「あ、あの。何でもないです」
「何でもないわけないだろ……。別に怒っているわけじゃない。ただ、改めて聞かれると我ながら異常な理由だと思ってな」
自虐的に唇を歪め、イオンは実験場を見渡した。エデンが生まれたであろう、狂気の実験場。この場所ほど異常なものもないと思ったが、イオンの発言はさらに異様だった。
「エデン。僕はな、死ねないんだ」
「……死ねない? 死にたくないとかではなく?」
「言葉通りだよ。僕は何があっても死ねないし、死なない。たとえ体が真っ二つになろうが、心臓を突かれようが、灰になろうが……必ず、息を吹き返しまうんだ」
イオンは自分の体を見下ろし、忌々しげに舌打ちした。必ず息を吹き返す。つまりは不死身ということなのか。
「イオンさん『も』死ねないんですか」
「も? 『も』ってどういうことだ」
当然のごとく、イオンが反応する。エデンは答えようとしたが、唇が震えて言葉にならない。エデンが孤独だったのは、ひとりきりだったからだけではなかった。
「イオンさん。わたしはいくつに見えますか?」
「あ? 十代半ばくらいか。それがどうしたんだ」
「イオンさん、あのね。わたし、世界大戦当時、すでにこの見た目でした。それから数十年経っても、わたし、変わらないんですよ。ずっと、この姿のまま生き続けてきたんです」
エデンは自分の翼がざわめくのを感じた。世界大戦によって、大半の国と人々が滅び去ってから数十年が過ぎている。にもかかわらず、エデンは昔から変わらない。姿だけではなく、その心の在り様さえも。
イオンにもその異常さは伝わったらしい。眉間にしわを刻むと、まじまじとエデンの姿を見た。
「……君が実験体だから、という理由ではなく?」
「他の『エデン』たちは、とっくの昔にいなくなってしまいました。残ったのはわたし一人。それがどうしてか、わかりますか」
イオンは首を振る。それはそうだろう。こんな理由、体験した人間でなくてはわからない。エデンはほおが引きつるのを感じた。できればこんなこと、誰にも言いたくはなかった。この数十年、この都市の亡骸で待ち続けなければならなかった理由なんて。
「アイオンですよ。あの子が……わたしを死ねない体にしたんです」
「アイオン、だって? どういうことだ。アイオンはアステルが殺したんじゃなかったのか」
確かにあの時、アイオンは死んでいた。けれどエデンは知っている。アイオンにとってあの死は本来の死ではなく、ただの眠りに過ぎなかったのだと。
「アイオンは……普通の方法では死なないんです。いえ、何をしても死ぬことができないと言った方が正しいのでしょうか」
「おい。それって、僕たちと同じってことか。アイオンは死なない。何をしても?」
「……そうです。だけど、アイオンが死ねる条件が一つだけあるんです。それは」
イオンが身を乗り出す。そこに自分たちが死ぬための条件があるのではないか? そんな期待が込められた緑の瞳に、エデンは静かに結論を語る。
「すべての記録と情報を持ち主に返還し、自壊すること」
エデンの言葉に、イオンは怪訝そうに顔をゆがめる。
「……なんだと?」
「アイオンの命は、様々なものから吸収した記録と情報なんです。だから、それを返すことは等しく死につながる」
「なら、僕が死ぬことはできないということか」
「いえ」
首を振っても、エデンの心はどこか虚ろだった。イオンと出会ったことは運命だったのかもしれない。すべてを失い、生き続けなければならなくなったあの日から続く、約束を果たすために与えられた時間だった。
「どんな生き物であれ、本来のアイオンなら情報を吸収することで、死に至らしめることができます。もし、イオンさんが望むのであれば」
「……アイオンはどこだ」
イオンの決断は早かった。端末から背を離すと、エデンを真っすぐに見つめる。緑の瞳に迷いはなかった。ひたすらに死に逝くことだけを願う、ひたむきなまなざし。
エデンには、その想いを拒否することができなかった。それに進んだところで、アイオンはもう。
「わかりました、ご案内します。ご期待に沿えるかどうかはわかりませんけども」
「構わない。僕はこの願いが叶いさえすれば、それで構わないんだ」
イオンの願いは、自ら死を迎えること。ならばエデンの願いは、いつになったら叶うのだろう。孤独に苦しみながらも、ずっと待ち続けた意味を知るものは誰もいなくった。
それでも前に進む。きっと、これが最後の歩みになる。
エデンは語り出す。これはすべてが終わってしまう少し前のこと。
あらゆる人生が袋小路に迷い込む前の、わずかばかりの失望と希望のはなし――。
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