Memory:5「遺された者たちのゆくえ」

 ひとつの過去を語り終えたエデンに、イオンは軽く拍手をする。


 夜明け前から移動し続けて、今、二人はかつてドームシティ・ホスピタルと呼ばれていた廃墟の中にいた。


 白い結晶に覆われ、多くの病棟は無残に崩れ落ちている。医療都市と呼ばれた姿は跡形もなく、ただ真白の荒野にぽつぽつと朽ちた白い墓標のような姿をさらしていた。


 その中でかろうじて姿を留めていた病棟の中庭跡で、イオンは何かを探している。エデンが話を続ける間も、時間を惜しむように地面に手を這わせて探り続けていた。


「それで、あの。イオンさん、先ほどから何を探しているんですか? 地面に何か落とし物でも」

「ちがう。昔、父さんが言っていたのを思い出したんだ。本当に死にたくなる日がきたら、DCH――たぶんここのことだろ――の中庭を探せってな。その時は何のことかわからなかったが、もし隠されたものがあるとすればこの辺のはず」


 隠された何か。エデンの記憶をチリチリと刺激する。イオンがそれを探しているとは思えなかったが、もしあの場所を知っているとしたら。イオンの父というひとはもしかして。


「イオンさんのお父さん……もしかして、ここの関係者ですか? 何というお名前です?」

「あ? ああ、トウカという」

「トウカ……」

「本名かどうかは知らないけどな。僕の名前を付けたのもそいつだ。っと、さて……見つからないな。見当違いだったか」


 イオンは膝を叩いて立ち上がる。ただれに覆われた顔にも、はっきりと疲労が刻まれていた。はあ、と盛大にため息をつくと、ほどけた包帯を丁寧に巻きなおす。


「おい、君は心当たりないのか? ここで暮らしてたんだろ」

「心当たり、こころあたり。そうですね、あるといえばあるというか」

「なんだはっきりしないな」


 包帯を巻き終わったイオンは、白砂を踏み散らしながら周囲を見渡す。エデンもつられて視線を動かせば、淡い輝きが目に焼き付いた。


 昔は緑の草木にあふれていた中庭も、大半は白く結晶化している。暗い太陽の下でもぼんやりと輝くそれを一本一本眺め、エデンは小さく肩をすくめた。


 心当たり。ここにあるというなら、あの場所への入り口のことだろうけども。


「いえ。イオンさんの探し物がそれなのか、ちょっと自信がなくて」

「いいから教えてくれ。ここでうろうろしていてもらちが明かないだろ」

「は、はい。じゃあ、こっちに」


 気が進まない。だが、イオンの言うことも一理ある。翼を力なくたたみ、エデンはのろのろと中庭の真ん中に歩いていく。


 進んだ先には、ぽつんと一本の木が立っていた。周囲の草花は白く崩れていたが、この木だけは真白に変わっても結晶を花のように咲かせていた。


 その立ち姿に執念や妄執のようなものを感じ、エデンは足を止めた。傍らをイオンが通り過ぎて、数歩先で振り返る。


「どうしたんだ。いつにもまして顔色が悪い」

「う、ううん、なんでもないです。行きましょう」


 自分を元気づけるしかなかった。震えそうになる体を励ましながら、エデンはその木に近づく。白い砂がこびりついたような表皮は、完全に結晶化している。軽く触れても、侵食されることはない。しかし指先の温度は確実に奪われていく。


「この木は?」

「桜の木です……レオン先生が大切にしていた。ちょっと待ってください、いま、開くかどうか試して」


 樹皮に指を這わせて、わずかにへこんだ場所を軽く押し込む。かちり、小さな音が響き、木のそばの地面が静かにスライドしていく。


「動きました。これで進めると思います」

「驚いだな。こんな仕掛けがあるとは……この先はどこに繋がっているんだ?」

「行けばわかります。いえ、むしろ行かないとわからないと思います」


 イオンはエデンの言葉を聞くなり、新たに現れた階段へと踏み込んでいく。ためらうことのない姿は、本当に恐れなどないのだなと思わせるもので、エデンは何とも言えない気持ちになる。


「待ってください! 一本道ですけど、中は暗いですよ」

「大丈夫だ! 結晶が光っているからそこまで暗くない!」


 階段の奥から聞こえた声に、エデンは唇を噛み締め一歩踏み込んだ。


 地下へ続く階段もまた、白砂と結晶の浸食から逃れられなかったようだ。ざらざらとする壁に手を触れさせながら、エデンはゆっくりと階段を下りていく。ところどころに生えた小さな結晶体が照明代わりになっていて、進むのに困ることはなかった。


「イオンさん! どこですか!」

「この下だ! 扉が邪魔で進めないんだ!」


 イオンの声に慌てて駆け下りる。すると鉄製の扉が結晶によってひしゃげ、中から押し開けられているのが見えた。イオンは何とか扉の隙間に体をねじ込もうとしているが、さすがに狭すぎるようだった。


「くそ、面倒だな! 外せるか、これ」

「やってみましょう。二人がかりならいけるかも」


 エデンとイオンは扉の端に手をかけ、力を込めて引きはがそうとする。不快な音を立て、扉が徐々に動いていく。イオンは歯を食いしばり、大きな声をあげた。


「開けよ、この――!」


 ばきばきばき。結晶がはがれ落ち、扉が音を立てて倒れてくる。エデンたちは急いで飛び退き、すぐそのあとに扉が地面にたたきつけられた。


 砂煙が舞う。肩で息をしながら、エデンは隣に立つイオンに目を向ける。イオンは無言で前を睨みつけていた。何故なら――開かれた扉の奥から、音もなく『ヒトガタ』の腕が現れたからだ。


「い、イオンさん! 『ヒトガタ』が!」

「あわてるなよ。どうも様子がおかしい」


 イオンは慎重に『ヒトガタ』と距離を詰めていく。こんなの自殺行為だ。そう思いはしたが、イオンはそもそも死にたがりだったな、と改めて気づいてげんなりする。


「ちょ、イオンさん! ひとりで行かないで!」


 イオンはすでに『ヒトガタ』の前にいた。軽く足を踏み鳴らし、目の前の白い影を見上げる。意外なことだったが、この『ヒトガタ』はイオンを喰らおうという気配を見せなかった。


「おまえ」


 恐る恐るエデンが隣に並ぶと、イオンは低い声でつぶやきをもらす。


「なにを、かなしんでいる?」


 そのつぶやきは、明らかに目の前の『ヒトガタ』に向けられていた。もちろん答えは返らない。だが、人とは似て非なるものであるはずの『ヒトガタ』から、『音』が聞こえてきた。


「aaaaa、io……n」

「なんだ? 誰を呼んでいる?」


 また一歩、イオンは前に踏み出していく。恐れを知らない様子に、エデンは呆れを通り越して感心する。死を恐れないということが、ここまで人を無謀にするとは。


「あ、い……あ、いお、ん?」


『ヒトガタ』の声とも言えない音を拾い、イオンは言葉を紡ぐ。あい、おん。アイオーン? あるいは――。


「アイオン……」


 エデンはぼんやりとその単語を口にした。イオンは驚いたようにこちらへ視線を向ける。


「アイオン? アイオーンではなく?」

「……はい、おそらく。あの『ヒトガタ』が言っているのは」


 エデンの言葉に応えるように、『ヒトガタ』が体を傾けた。うなずいたのだろうか? 確かめる間もなく、白い姿は出入り口の奥へと戻っていく。


 その様子を見送ってから、イオンはこちらに向き直る。明らかに疑問を感じている様子だった。怪訝そうな緑の瞳は、真っすぐにエデンの目を貫いてくる。


「どういうことだ? 君の話にあったアイオーン結晶症とは別のものなのか? その、アイオン、というものは」

「別、といわれると、少し表現に困ります。アイオンはアイオーンでもあり、その一部でもあり、そして――」


 エデンは胸に手を当てた。自分でも未だ理解できないことは多い。確実にアイオンについて語れることがあるとしたら、それはたった一つだけだ。


「アイオンは……わたしの、『おとうと』でもあります」

「おとうと? 弟……だって? エデン、君は一体何者なんだ?」


 イオンの疑問はもっともだった。エデンは憂欝な思いで、開かれた出入り口に手を伸ばす。ここから先は、自分にとって思い出したくもない記憶をえぐることになる。


「イオンさん」


 エデンは自ら一歩、先に進む。いつだったか、あの人とこの道を通ったことがあった。その時はあんな現実を見せつけられるとは思いもしなかったのだ。無邪気な自分、無知な少女。そして愚かな――。


「ここから先に進めば、いずれわかることですが。お話しします。……ここがどういう場所で、わたしがここで何を見て、何に絶望したか。そんな、救いのないお話を」


 エデンは小さく笑って見せた。無様な笑顔だと思う。それでも泣くよりはずっとましだ。


 愚かなゼロエデン。

 そう呼ばれた意味さえ、あの時のわたしは何も知らなかった。

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