第二部「永遠よりも美しき、この一瞬を」
1.輝かしきひと時を、あなたと
「ねえエデン、もしよければ私とデートしないか?」
唐突なお誘いを受けたのは、エデンが中庭の花壇に水をやっている時だった。
少しずつ風が冷たくなってくる時期になった。半袖の腕にあたる空気の涼しさに、エデンは季節が巡ろうとしている気配を感じる。すでに暑い時期は過ぎ去り、あとは涼しくなっていく一方なのだろう。
そんな時期に、エデンはひとり花壇の世話をしている。秋に咲く花――コスモスやクレマチス、小さなナデシコやパンジーなどが目の前を埋め尽くしていた。
色とりどりの花々の前で、エデンはホース片手に佇んでいた。あまり水をやりすぎてしまうと、根腐れしてしまう。そう思い水を止めたとき、例の言葉をかけられた。
「エデン、よければ私とデートしないか」
「はい? デッドですか? 何をするんです?」
はあ、と大きなため息を吐き出す。エデンの声は、以前と比べて明らかに精彩を欠いていた。一番暑かったあの日の別れが、いまだ心に痛みを残している。季節が移り変わることになってやっと復調してきたものの、元通りとは程遠い様子だった。
「デッドってなんだい。そうじゃなくて、デートだよデート」
元気のないエデンを心配して、様々な人が声をかけてくれる。今現在、意味の分からないことを口にしているレオンはその筆頭で、エデンはすまない気持ちで頭を下げた。
「はあ、デート、ですか。よくわかりませんけど、わたし、そういう気分じゃなくて」
「う、即断しなくてもいいじゃないか。せっかく死ぬ気でチケット取ってきたっていうのに」
「チケット? 何のチケットです? レオン先生」
あまり興味はわかなかったが、せっかくの厚意を無視することもできない。億劫な気配を押し隠しながら、エデンは隣に立つレオンに問いかけた。
「ふふ、聞いて驚くなかれ……! じゃーん!」
ぼさぼさ髪の下で緑の目がきらりと輝く。さっとレオンは両手を前に差し出し、にやりと口元を持ち上げる。
「ここに取り出しましたのは、な、なんと! 伝説の歌姫『ミレニア・オーレンドルフ』のライブチケット! 発売数分で完売してしまうレアチケットが今、この手に!」
「そうですか、よかったですね」
「……あのエデン、もうちょっと反応してくれないかな……」
あまりの反応の薄さに、レオンはチケットを手にしたまま肩を落とす。おそらくエデンのために取ってきてくれたのだろうが、先ほど述べた通り、そんな気分ではなかった。
「ごめんなさい、レオン先生。本当に気分が乗らないんです」
「うーん、うーん。そうか、それなら仕方ないな……。最終手段」
「はい?」
レオンはチケットをポケットにしまうと、勢いよく地面に膝をついた。エデンがぎょっとする間もなく、そのまま頭を地面にすりつける。
「お願いします! どうか、どうか一緒にライブに行って下さい!」
「や、やめてくださいってば。何してるんです」
「いーや、やめない! エデンが一緒に行ってくれるって言うまで、やーめない!」
「えぇ」
突然の奇行に引いてしまう。さすがにこれはちょっとひどい。これではどう考えても、エデンがレオンを土下座させているようにしか見えない。
「やめてくださいってば! わかりましたよ、そんなことしなくても……行きます。行けばいいんでしょう! だからやめてください!」
「ほ、ほんとうに?」
「ほんとうに本当です! だから顔を上げてください……!」
エデンが告げた途端、レオンはぱっと顔を上げた。そして素早く立ち上がると、すました顔で土を払う。変わり身の早さに、エデンがしまったと思ったのも、つかの間。
「よし、じゃあ、ライブは夕方からだから! 早く支度してね! 一時間後に迎えに行くから、さあ、いざ行かんミレニア様のライブ会場!」
楽しげにスキップしながら去っていく背中が、ひどく憎らしく見えた。行くと言ってしまった手前、すぐに約束を違える気力もない。
エデンは手元のホースを力なく見下ろした。雫がぽたぽた落ちるそれに、目元が痙攣するのを感じる。
「レオン先生の」
頭に血が上った。とっさにホースの水圧をマックスにして、レオンの背に向ける。
「ばかー!」
勢いよく噴き出した水が、レオンの背中を襲う。響く悲鳴とともに、秋の昼は終わっていく。
※
夕方。
ドームシティ歓楽街『ライブ・ヴィジョン』特設会場にて。
ステージの上にひとり、女は立つ。
光に浮かび上がるシルエットだけが、女の存在を教えてくれる。無音の中で呼吸音が響く。三、二、一。ゼロ! ダン、と足を踏み鳴らされた刹那、スポットライトが女――ミレニア・オーレンドルフを照らし出す。
何も見たくないと目を閉ざした
声など聴きたくないと両耳を塞いでた
無音を打ち破り、音楽が奏でられる。ミレニアは目を開き、自らの喉で旋律を描き出していく。最初は強く伸びやかに。脚は軽やかにステップを刻み、音楽を全身で刻みだす。
誰かの叫びが蹂躙した世界と
独善が汚したココロ
なぜ歌うかさえわからないまま
天使は空を落ちていく
ミレニアの背後から様々な色彩が投影される。それはさながら光の花束。手で風を切るように――あるいは空を舞うように。激しさを増していく音楽とともに、ミレニアはは高らかに歌う。
あの空は遠く 優しい色をしてた
目も眩むほどに 私 あなたの影を探してる
ステージを舞うのはミレニアだけ。どれほど周囲が眩くとも、その歌声だけはかき消せない。音楽も演出も、すべてを巻き込んで彼女の世界に変えていく。
逆巻く時が全てを巻き込んで狂っていくよ
願いは叶わない どうせ無理だよ
まるで嘘吐きの死にたがりみたいに
真実の果実を踏み散らかしてしまうんだ
真実も嘘もここにある。この声に乗せて想いを届けよう。ミレニアの声はあらゆる苦悩をかき消してゆく。歌うこと以上に、楽しいことも苦しいことも幸せなこともないと、ミレニア・オーレンドルフの歌は語る。
ココロを手繰り寄せたって
壊れてしまった真実は戻らない
巻き戻す魔法が欲しいよ
あなたがいない場所で生かされてる
私は機械仕掛けの天使
ダン! 強く足を踏み鳴らされ、一瞬にしてあらゆるものが停止する。音楽も光も演出も歌も何もかもが止まった中心で、ミレニアは立ち尽くす。
そして——巻き起こる歓声。
静寂を切り裂き、喝采が起こった。
ミレニアは乱れた髪をかきあげると、観客に手を振る。ステージの上から全員の顔を見渡せるわけではないだろう。けれど歌姫はすべての観客へと感謝を込めるように、手を振っていた。
「ありがとう」
これが伝説の歌姫——ミレニア・オーレンドルフ。
歌うために生まれ、歌とともに生き、そして歌とともに死ぬであろう——歌狂いの女。
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