4.花びらが地面に落ちるまで、あと何秒?
少しでもレッカの力になりたい。
エデンの中で思いは強くなる一方だった。
少しでも楽しんでもらえるように、くだらないことを言って笑わせようとしたり。
「エデンちゃんって、かわいいと思ったけどちょっと変だね?」
都市ではやっているゲームの話を振ってみたり。
「あー、うん。それよくネットでやってる。けど、最近マンネリ気味だよねぇ」
一緒に歌を歌おう! と、誘ってみたり。
「歌……ぼく、音痴なんだけど……」
どれもこれも不発だった。しかもエデンが頑張れば頑張るほど、レッカの表情はこわばっていく。
「ねえ、何でそんなに必死なの? そんなにぼく、かわいそう?」
いつしか二人からは笑い声が消え、毎日の会話さえ寒々しいものに変わっていった。
「レッカ君。今日もわたし、来ました。何かお話ししましょう」
無理やり口角を引き上げ、エデンはカーテンの前に立つ。レッカは返事もせずに携帯端末をいじっている。今日はついに返事もしてくれなくなった。
徐々に冷めていくレッカの態度に、何も感じていないかと言われれば嘘になる。どんなにエデンが努力しても、レッカにとっては気分の悪くなることばかりなのだろう。むしろ何もわからなかった頃の方が、ずっと楽しそうだったのは――。
「レッカ君。最近のわたしのこと、嫌でしたか?」
不治の病であるということ。抗うことも難しい現実に、同情なんてしてほしくない。幼い身で背負ってしまった苦痛や苦悩は、かろうじてエデンにも想像できた。
最近の変化が病状を知った上での結果だからこそ、レッカは嫌悪したのだろうか。
問いかけても、答えは返ってこない。エデンは無言で立ち尽くす。レッカはどこかの時点でエデンを見限ったのかもしれない。だとしても、まだ出て行けとは言われていない。まだ、完全に終わったわけじゃない。
根競べのようにエデンはずっと立ち続ける。モニターの中の景色が目まぐるしく変わる。小さな電子音が携帯端末から響く。不意にレッカは、ふう、と小さく息を吐き出した。
「ねえ、エデンちゃん。ぼくが怒ってると思うの?」
小さな声で問いかけられた。レッカはまだ、こちらを見ない。エデンは一拍置いて答えを返す。
「怒っているというより、呆れているように思えました。わたしの想像ですけども」
「そうだね、ちょっと呆れている。ぼくのために君は動いているつもりなんだろうけどさ。それ、すごく迷惑だし、見当違いなんだよね。ぼくはただ、何にも知らないばかなエデンちゃんと遊んであげたかっただけなのに、変な知恵をつけるから。幻滅しちゃうよね」
レッカはわずかに視線をあげる、黒い目には薄笑いが張り付いていた。嫌な感じがした。エデンは眉間にしわが寄るのを止められない。これが、レッカ君の本心なの?
「わたしがばかなのは認めますよ。部外者に変な同情されたら気分悪いですよね」
「そうそう、ぼくはさ。もうなーんにも思い悩みたくないんだ。病気のこともだけど、他の人間の気持ちに振り回されたくもない。毎日を何も考えず、楽しく死んでいきたいだけなんだよ」
軽い笑い声を立てながら、レッカは携帯端末を操作する。普段見ていた明るさとの差異に、エデンは心に強い痛みを覚えた。長く病とともにあった心が、荒れ果ててしまっていても不思議はない。しかし、今までのすべてが上辺だけだったとは思えなかった。
「レッカ君はもう、諦めてしまっているんですか」
「諦めるって何を? あ、生きることを? はは、面白いねエデンちゃんは! かわいい顔してえぐいこと言うね! さっきもいったでしょ? もうなんにも考えたくないって」
「何も、ないんですか。やりたいこととか、将来のこととか。夢や未来……元気になって会いたい人も、いないっていうんですか……」
「ないね、ないない、ない。ぼくの人生、無意味だった! 早く終わらないかな。生まれてきたのだって、資源の無駄だったよね?」
不快な言葉を吐き出しても、レッカの笑みは崩れない。歪んた笑顔がとても嫌で、レッカには似合わなくて、エデンは思わず目を背けそうになる。
「無駄だなんて、言わないでください。レッカ君のご家族が悲しみます」
ありきたりなことしか言えない自分の至らなさが嫌いだった。こんなことを言っても、レッカを逆なでするだけ。強く奥歯を噛み締めて、エデンは顔を上げる。
予想に反して、激しい反応はなかった。代わりに投げかけられたのは、空虚な一言。
「悲しまないよ」
少しの痛みも感じない顔でレッカはつぶやいた。エデンはからっぽの横顔に初めて否定の言葉を吐く。
「それは、うそです」
「うそじゃない。悲しまないよ。悲しめるわけがないんだ。みんな……父さんも母さんも、兄さんも。誰も、二度とぼくのところには戻ってこない」
レッカは強いまなざしを携帯端末に向ける。小さな機械の画面に、レッカの言葉を裏付けるものが表示される。死亡宣告の赤い文字が三人分、浮かび上がって消えていく。
「生きてたって、誰もぼくを待っていないんだ。それがどんなに虚しくて悲しいことか、君にはわかる? ぼくが死んでも、みんなすぐ忘れちゃうよ。誰も悲しんでくれない。だれも、思い出してくれないのに」
そんなことはない。簡単な一言がどうしても口にできなかった。
病院は命がやってきて過ぎ去っていく場所だ。元気になって出て行く人もいれば、悲しいことに亡くなってしまう人もいる。はっきり言えば、レッカの存在もその中の一つでしかない。
過ぎ去ってしまうことが虚しいと、通り過ぎて忘れ去られるのが悲しいと、レッカは静かに叫んでいる。不快な態度をとったところで、わずかばかりの強がりでしかない。
「ねえ、エデンちゃん」
レッカはまぶたを閉じて笑う。声をあげて泣くこともできない笑顔は、見る者の心をえぐる。エデンはうつむき、両手を握りしめた。
「ぼく、もっといろんなものが欲しかったよ」
ああ、わたしはこんなにも無力だ。レッカの言葉に、唇を強くかみしめる。
「学校に通って友だちとバカ騒ぎしたりさ。たまに先生に怒られて、頑張ったらほめられたりして。もしかしたら彼女ができたりしたかもしれないよね。そうしたらもっと楽しいことがあって、いつの間にか大人になって。ぼくにも家族ができたりするんだ。それってきっと、すごく幸せなことなんじゃないかなって、思ったりしたんだよ」
「ごめんなさい」
激しいものが胸の奥からこみ上げる。こらえきれず、エデンは顔を覆った。ごめん。ごめんなさいレッカ君。願いを叶えられもしないくせに、少しの夢も見せてあげられなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい……なにもできなくて、なにもしないこともできなくて。あなたはただ、当たり前のものが欲しかっただけなのに」
「いいんだ、エデンちゃんは悪くない。ぼくが高望みしただけなんだ。やっぱりさ。本当に欲しいもの――叶えたい願いだけは、自分の力で何とかしなきゃね」
低い機械音が響く。エデンが顔を上げた瞬間、白い霧のようなものが立ち上る。無味無臭のそれ――吸い込んだ途端、目の前がぐにゃりと歪んだ。
「エデンちゃん、先に謝っておく。ごめんね」
急速に視界が狭まっていく。どういう状況なのか理解する間もなく、膝から力が抜ける。全身に力が入らない。エデンは床に倒れ込んだまま、目だけでレッカを探す。
「レッカ、くん」
「わがままを許してなんて言わないよ。エゴだってこともわかってる。だけど、どうしてもぼくは……最後に『夏』を見たいんだ。そうしたら、やっとぜんぶを諦められる」
まって、いかないで。手を伸ばしても指先一つ動かない。細い手がエデンの首にかかったIDカードを抜き取る。だめだと叫んでも、言葉は呼吸以上の形にはならない。
「ごめんね、エデンちゃん。短い間だったけどほんとうに楽しかった。うそじゃなく、これだけはほんとうに……」
意識が遠ざかっていく刹那、歩き去る足音を聞いた。
音も届かなくなった暗闇で、エデンは一人思う。
ありがとう、だなんて。
こんなのただの、さよならだよ。
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