『E-de-n』 ~葬送の少女天使は《あい》を謳う~

雨色銀水

Memory:1「失われた物語の最果てで」

「――そう、とっくの昔に世界は終わりを迎えていたのです」


 じゃり、と。踏みしめた足元が白い砂に変わる。ざらざらとした感触が足裏を伝い、『少女』は短く息を吐き出した。靴も履かずに歩き続けた足には、砂ぼこりがまとわりついている。


 また汚れちゃったな。深いため息をつくと、『少女』はゆっくりと顔を上げた。


 視界の先には、地面と同じ白い色が広がっている。見上げるほどの高さがあったビル群も、外壁が剥がれ落ちた後に白い結晶がこびりつき、無数の塩の杭か――あるいは巨大な白い墓標と化していた。


 視線を落としたところで、そこにあるのもまた、白。


 アスファルトは踏みしめるだけでボロボロと崩れ落ちる。下から現れる色は、土の色ではなく真っ白な何かの色だった。顔を横に向けると、広い道に沿って植えられた街路樹がきらきらと光る結晶となって佇んでいる。


 きれい、最初の頃は無邪気に思えてしまっていたけれど。


「もう、せかいはおわってしまったんです」


 何度目かの呟きは、白い風にかき消された。


 伸ばしっぱなしの金色の髪が体にまとわりつく。自分の身体の一部なのに、どうしてか不快で仕方なかった。髪を一房握りしめると、力任せにちぎる。


 ぎちぎちと嫌か音がした。傷んだ髪は簡単に断ち切られ、そのままかつての道路標識を越えて飛んで行く。すこしだけ胸がすっとなる。けれど、本当に一瞬だけだった。


 背中で何かがざわめいた。びくり、身を震わせ、『少女』は両手で自分を抱きしめる。自分では制御できない何かが、自分の中を駆け回る嫌な感覚。思わずうずくまると、足先に冷たい感触が伝わった。


 ガラスが砂の中から欠片をのぞかせていた。風化しつつある世界にあっても、よく磨かれた輝きはまだ失せてはいない。まるで鏡のように、『少女』の姿を映し出す。


 蒼白い頬と、輝きのない青い瞳。

 金色の髪は足元を覆うほどで、新緑色のワンピースの裾はボロボロだった。


 疲れ果てた子供のような顔で、ガラスの中の『少女』は笑う。だいじょうぶ、まだわらえるもの。だからきっと、まだ待っていられる。


 何度も微笑んで、最後には深くうつむいた。ずっとひとりで居たせいで、笑い声の出し方なんて忘れてしまった。せめて声だけは失わないように、『少女』はそっと口を開く。


「な――ぜ」


 なぜ大切なものばかり 失ってしうまうのだろう?

 幻でも美しい幼き夢 痛みでも消せぬ想い

 愛すればこそ誰もが……恋しいほどにbreath less


 変わらぬもの 探して

 狂おしく求めるけれど

 無情な時間止める術もなく

 傷ついた足 休める場所もない


 涙濡れた目そらしても

 痛み消えることなく

 落ちる雫だけが 地を濡らした


 なぜ大切な想いばかり 誤魔化されてしまうの?

 硝子砕けカケラ刺さるよ

 傷ついても忘れられない

 君こそ私のすべてと知って……苦しいほどにbreath less


 細い声で歌いあげると『少女』の手の甲に雫が落ちた。


 もうこんな孤独には耐えられそうになかった。何度歌っても、かつてこの曲を歌っていたひとのようにはなれない。強くならなきゃ、とずっと思っていたのに、それが誰のためで何のためかさえも忘れかけている。


 ただそれだけの事実が悔しくて、『少女』はガラスに額をつけて呻きをあげた。泣き声だけはあげたくない。せめてあの子が戻ってくるまでは、笑顔でいなければ――。


「だけど……わたし、もうだめだよ。いつまでも待っているつもりだったけど、もうつらいよ。さみしいよ。くるしいよ――たすけて、たすけて……!」


 レッカさん、ミレニアさん、アステルさん。

 せんせい、レオン先生、たすけてたすけてたすけて! たすけて――!


「たすけてよ! アイオン――!」


 叫びはどこにも届かなかった。『少女』を取り巻く世界は相変わらず白い砂に沈んでいて、助けなどどこからも来るはずがない。ふっと、短い声が漏れた。乾いた声音は明らかに愚かな自分自身を嘲笑するものだった。


「ふ、あは、あはははは!」


 きっと遠くない未来に、わたしは壊れてしまう。見上げた空は薄灰色をしていて、しかし浮かぶ太陽だけは血のように真っ赤だった。汚らしい色の雲間を、無数の輝きが落ちていく。流星だ、なんてのんきには考えなかった。


 この空から落ちる輝きは、巨大なごみ屑となった人工衛星のかけらだ。数十年前の世界大戦によって主要国家の大半が消し飛び、多くの人工衛星が制御を失った。


 結果、大戦直後から一部が隕石のように降り注いでいる。いくつもの都市や人命が失われ――いや、白い砂の元となった兵器に比べれば、損害は微々たるものだったが。


 どのみち、ここには誰も帰ってこない。死に絶えた世界、生きながらに崩れていった人々、あらゆるものから取り残された『少女』。


 希望なんてどこにもなかった。空を見上げながら『少女』は笑う。


「助けられるなら、助けてみて欲しい。神さまがいるなら、わたしのためだけに歌ってよ。おろかなわたし、かわいそうな『わたし』のために――!」


 願いは叶わない。理解していても、『少女』は両手を広げた。たとえ何も変わらなくても、ここにあるのが絶望でしかなくても、願うことくらいは許されるでしょう?



 絶望の中で希望を願う。あまりにも無力で、矛盾した姿。

 だからこれは、本当に本当の奇跡だったのかもしれない。


 かすかに日がかげった。『少女』は怪訝そうに首を傾げる。


 刹那、太陽の中から何かが落ちてきた。また人工衛星の破片か。じっと落ちてくるものを見つめていた『少女』は、短く声を上げ立ち上がった。


 落ちてくるもの。ぼろきれのような姿は『ひと』に見えた。何故、落ちてくるのか? 疑問はともかくとしても、明確な事実が一つだけある。


「ぶつかる!」


 このままでは、あれが誰であれ地面に叩きつけられてしまう。それで無事に済むはずがない。『少女』は一度頭を振り、背中の『それ』を大きく広げた。


「まってて」


 ふわり、体が浮き上がる。いまだにこの浮遊感には慣れない。必死に目標を見定め、地面を蹴って――空へと翔け上がる。


 勢いがついてしまえば、真っすぐに飛ぶだけ。一直線に落ちてくる相手を目指し、両腕を広げる。


 その瞬間だった。相手と目が合った。深い緑の瞳が驚いたようにこちらを見て、ふっと薄く微笑んだ。それだけだった、それだけのことなのに、『少女』は――。


「やあ『天使』――僕を迎えに来てくれたのかい?」

 どこか甘く優しい呼びかけに、『少女』の背中の翼がわずかに光を放つ。



 ※


 誰も気づかれずに終わってしまった物語の、最後の一ページを君に捧ぐ。

 もし興味があれば、この物語を辿ってほしい。

 結末はまだ、記されてはいないけれど――君の好きなハッピーエンドだといいね。


                       レオン・カノープス

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