第7話「絆を阻むは世間の視線」

 今日、私が目を覚ましたのは、アラームの音ではなかった。何度も鳴り響くスマホの着信音に、私は重い体を起こして電話に出る。時刻は5時30分、普段の起床時間より1時間も早いじゃないか。いい加減にしてくれ。

「はい、こんな朝早くなんの用でしょうか」

 露骨に不機嫌さを露わにしながら応答すると、呑気にしている場合じゃないと諭される。電話をかけてきたのは城戸くんだった。

『お前、ネットニュースでもテレビのでもいいからとにかく見ろ。ああいや、テレビでは出ないのか? とにかく、お前らの記事が大炎上してるんだって』

 ひどく焦る城戸くんの声に気圧されながら、話を整理する。お前ら、と言うのは多分私と瑠璃のことだろう。炎上って、私たちが外で何かしたか? 部屋の中では瑠璃のやりたい放題だが、別にそれ以上の何もないだろうに。半信半疑で検索をかけてみる。といっても、私の名前では何もヒットしないだろうし、さてなんと打つべきか。というか、城戸くんはなんと打った結果そんな炎上に辿り着いたのか。それともまさか、わざわざ調べなくてもってことか?

 結果は前述のとおりであった。ネットニュースの人気記事の欄を見ると、すぐにそれらしい記事が見つかる。

『幻の大人気モデル 一般女性の自宅で軟禁状態か』

『ラピス幻の真相 依存状態の女性の束縛の実態』

 そんな記事がゴロゴロと出てくる。あまりに素っ頓狂な記事になんだこれはと呆れてしまうが、考えてみれば案外辻褄が合うと言うか、そう言われるだけの物は揃っていることに気づく。瑠璃がそもそもモデル依頼をほとんど断っていたこと、水着を買いに行った時の状況、さらに記事を読んでいると、近隣住民への聞き込みから、手錠散歩まで明るみにされていた。これぞマスゴミ、なんて奴らだ。

 そもそも手錠散歩に至っては私が受け手だったはずなのに、なぜかそれを強要したヤバい奴扱いである。ひどいというかもはや喜劇だ。スペックが高いだけで正義なのか、あるいは瑠璃が悪だと思いたくないのか、なんだとしても、気持ちのいい話ではない。そして、それはどうやら瑠璃も同じようであった。

「何このクソみたいな記事。喧嘩売ってんじゃん」

 私の背後から寝ぼけ眼で瑠璃が画面を見て話す。寝ぼけているからなのか、怒っているからなのか、とにかく不機嫌そうな重苦しい声で、私まで気圧される。最近、私よりも他の何かに怒っていることの方が多い気がする。生理だろうか、それともストレスが溜まっているのか。なんにせよ、私に当たってこないのはそれはそれで意外だ。

「なに、私の顔に何かついてる?」

「ああいや、なんでもないけど」

 二人して憤慨していると、自宅の扉がだんだんと叩かれはじめた。とうとう自宅凸まで始めたと言うわけか。時間を考えて欲しい。ジャーナリストの朝は早いとかそう言う話じゃないんだぞ。私がため息を吐きながらどうするか考えていると、瑠璃は下着姿のまま扉の方へと向かっていく。おいおいまさかと思っているうちに。扉は開け放たれた。

「あ、あなたがラピスさんですね!」

「自宅では下着しか許されていないのですか!?」

「部屋を出ても大丈夫なのでしょうか!」

 ジャーナリストたちの心ない言葉が私の胸を鋭く突き刺す。彼ら彼女らの中ではすでに私は悪者で、精査の余地などなく一人の才能を奪う存在でしかないのだろう。その事実があまりにも悔しくて、辛くて。私はその場から動くことができなくなっていた。

 そんな私をよそに、瑠璃は私を手招きする。こんな状況で、私に衆目の的になれというのか。やっぱり悪魔だ。嗜好とかそういう問題ではない。本気で人を陥れて楽しんでる。そんな不信感を覚えながらも、おそるおそる瑠璃の隣まで歩み寄る。マスコミの視線が怖い。カメラもマイクも怖い。顔を上げると、軽蔑と好奇心と嗜虐心の奔流に気圧されてしまう。逃げたい、助けて欲しい。瑠璃、瑠璃、そう胸の内で叫んでは、彼女の腕を握りしめる。

「あなたがラピスさんを軟k」

「少しだけ黙ってろ、私が話す番だ」

 一斉にフラッシュと質問が飛び交うかと思われた次の瞬間、瑠璃の威嚇とその言葉の圧に、記者の誰もが押し黙って続く言葉を待つ。

「お前らが記事にしていいことは二つだけ」

 瑠璃はその言葉とともに私を片腕で抱き寄せる。

「一つ、お前らみたいな余計な詮索する奴らがいる限り私はもうモデルはやらない」

 一つ指を立てて瑠璃は宣言すると、あたりがざわめく。私といえば、抱き寄せられたまま何もできないままだ。

「二つ、私とこいつは熱く愛し合ってるパートナーで、上下関係は私が上だ。私は誰にも縛られない。以上」

 二つ指を立ててそう宣言すると、瑠璃は私の首筋に口づけを落とす。それこそが第二の宣言の証左であり、ここまで一言も話せず主導権を握られたまま全ての話を終わらされた現状こそが、上下関係の証左であった。そして、全て言い終えると満足したのか、それ以上何を言うでもなく、扉を閉めて狸寝入りを決め込んでしまった。めんどくさそうにため息をつきながらベッドに潜り込んだので、文字通り寝入ってしまったわけだが。しかし、まさかまだ何か問い詰めてこないだろうかと心配しながら見つめる扉の先から、更なる追及が飛んでくることはなかった。瑠璃の圧力と言葉がよっぽどインパクトを与えたのだろう。まるで嵐みたいな一瞬だった。

 とりあえず、まだ朝も早いので、連絡をくれた城戸くんに一報入れておく。こちらの様子が心配だったのだろう、連絡にはすぐに既読がつき、さらに遅れて数秒ののち、反応が帰ってくる。

『うーん、この場合常識がないのは朝から押しかける記者なのか、圧で全て一蹴したお前の彼女なのか……とにかく、一段落ついたみたいだな。でも一応今日は会社休んどけ。俺から報告はしとくから』

 うーむ、これには流石に余計なお世話とも大丈夫とも言えないか。つけられて会社にまで迷惑がかかったらことだし、流石に私も朝一から大混乱で精神的な疲労がだいぶきている。無理ではないが、仕事に身が入るかと言われれば首を振るしかない。ここは大人しく厚意に甘えるとしよう。一言わかりましたと返して、ベッドの方に戻る。

「詩織、こっちきな」

 私がため息をつきながら向かうと、瑠璃は両手を広げて私を誘う。何となくこれ以上逆らう気も湧かないので、大人しく瑠璃の腕の中に収まる。仰向けだったので、上にまたがるような格好になった。

「ありがとう。庇ってくれて」

 今日ばかりは、今回ばかりは、意地を張らずに感謝の言葉を伝える。私のせいではないとはいえ、すっかり守ってもらってしまった。そんな私の心情など知らないというかのように、瑠璃は私をガバリと抱き寄せては耳に息を吹きかけてくる。瑠璃はずるい、こうやって私の余裕を奪って、好きなようにするんだ。

「詩織さ、自分のことしか見てなかったよね」

 私の耳元に注がれた言葉は、あまりにも理不尽で、それでいてさっきの対応よりも余程瑠璃を思わせるもので、私は柄にもなくその理不尽に安心感を覚えた。我ながら、だいぶ毒されたものだ。

「普通、自分が無茶苦茶な理由で咎められたら自分しか見えなくなるでしょ」

 心なし、文句を言う自分の声も普段より軽く弾んでいる気がする。こんな、爛れた繋がりに喜びを覚えているのだ。これが私たち二人だった。

「私が呼んだとき、すぐに来なかったの、Subの自覚がないんじゃない?」

 私の反論を無視して瑠璃は言葉を続ける。しかし、そこにはいつものような威圧感や私を制そうとする力は感じられず、あくまで日頃の再現、言うなればプレイの一環のようであった。いったい何を求めているのやら。

「と、言っては見るけど、今日はそういう気分じゃないや」

 瑠璃の言葉に、私は思わずため息を漏らしてしまう。全く、気まぐれにも程がある。そして、どうやら私をいじめる気分でこそないが、欲求不満ではあるようで、さっきから話すごとに私の体に口付けを落としてくる。

「今日は詩織に慰めて欲しいな。たまには、私も気持ちよくなりたいし、ね」

 普段は見せない扇情的な表情、そして、狙っていたかのように下着姿のままで露わにされている素肌。その全てが、私の心を揺さぶって、煽ってくる。

「今平日の朝なんだけど」

 それでも何とか理性を保ち、呆れながら形ばかりでも訴える。どうせ瑠璃の耳には届かないんだけど。

「今日くらいいいでしょ。どうせ、あの様子じゃ会社も出られないんだろうし」

 届かないどころか、届いた上で全て読み勝っていたようである。無茶苦茶だ。

「瑠璃には本当に敵わないね。はぁ……分かった、私も今日は何でも聞く気分だし」

 たまには平日の昼間から爛れ切った1日を過ごすのもまあ、いいか。

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世界一嫌いで世界一愛してる 園田庵 @2002614

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